チベットのモーツァルト (講談社学術文庫)

チベットのモーツァルト (講談社学術文庫)

今だからわかる

大学2年の時にこの本を一通り眺めて、なんだか最先端の思想に触れている気になっていい気持ちになって、でも心のどこかでちゃんと理解できてないんじゃないかというルサンチマンがくすぶっていて、20年の時を経て吉本隆明と糸井重里の対談の「悪人正機」で吉本隆明がこの本を再評価しているのを見て、「もう一度取り組んでみよう」と思い、「アースダイバー」と同時に発注したが、「アースダイバー」は読めてもこちらの本は構えてしまってきょうまでかかってしまった。 今回読んでみて、20年前よりも理解できたように思った。無論、本の内容を自分の言葉で説明しろ、と言われたら多分5分の1ほどしか説明できないだろう。あとの5分の4は解った気にはなったが、結局はさらさらと指の間から砂がこぼれ落ちるように僕をすり抜けてしまった。 吉本隆明はこの本を再読して「精神(心)の考古学」だと評した。ヘーゲル的な西洋中心的社会進化論的文明・文化観の底の浅さを突き抜けて、もっと大きな括りでの太古を探る知的営みなのだ。「はじめに言葉(ロゴス)ありき」のその前の、言葉が生成されて精神も時間も空間も分節される前の、いわば夜明け前の曙光の予感を感じる「時」を心で体感して生まれたのがこの本だろう。だから、この本で使われる言葉はイメージ喚起的な言葉ばかりなのだ。元々言葉では表現しようのないこと、それこそ太古の人間の精神をそのまま継承しているかもしれないチベットの行者に弟子入りして体感しなければ理解できないことを言葉で表現しようというのだから、並の言葉使いではダメだ。 その面で中沢新一の言葉使いはすごい。なんとなく理解できる気がする。言葉を通じて体感できる気がする。