スピリチュアリティの社会学―現代世界の宗教性の探求 (SEKAISHISO SEMINAR)

スピリチュアリティの社会学―現代世界の宗教性の探求 (SEKAISHISO SEMINAR)

好著、ただし宣言されるほど革新的ではない

ほめ言葉から――「スピリチュアリティ」なる言葉には 強い違和感があった。それがオカルトであること、が理由ではない。 むしろ 第一に本質において完全に個人主義 (人とのつながりが大事と言いつつ、結局は 自分探し) (私の幸せ、せいぜい身近な人の幸せ がすべて といった) (共同性を個人が利用するかのような、道具主義的な傾向) (そして この目的にとって それはたしかに有効なのだ)これと完全に連動して、グローバルな体制批判がない (先進諸国の都市インテリ・エリートの神秘主義) (第三世界の都市スラム街や僻地農村 その「現実」への無関心) (正確には、優しいまなざしを装った不関与、愛を語るだけ語る不活動) (せいぜいエコロジーどまりの。ただし、ごくまれに例外あり)だから、私自身は 一連のスピリチュアリティ文化とは 一線を画してきた。これに加えて、第二にスピリチュアリティ研究者とスピリチュアリティ文化人との区別がしづらいこと。 (研究者も その世界にどっぷり という強い印象) (批判の観点がない、とは言わないが、弱い、かなり弱い) (研究者自らが「グル」になろうとしているかのような・・・)本書は、この第二の違和感をかなり低減してくれた。スピリチュアリティ研究も まんざら捨てたものではない、と。 (この点、とくに弓山達也さんのオウム論が印象的だった)スピリチュアリティ文化が宗教論にとって重要なのは分かっていたから、これを契機に 他の本も読んでみよう と思うようになった。難点は――「宗教社会学」が「宗教研究」全体を代表するかのような語り口 (端的に、勉強不足の執筆者がいる) (たとえば、その方、京大系宗教哲学を読んだことがあるか?)執筆陣が意気ごむほど、革新的な「宗教研究」ではない (仮想敵である「かつての宗教研究」とは誰のどの作品のこと?) (この本自体、宗教社会学の小気味いい小著、という程度なのでは?)