◇◆四要素一体論◆◇
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(しようそいったいろん)
【時間】
時と間。時間は分かる。然し時は分からない。或時間を観ていても、時は外在す。時は内在しているとは言えない。すなわち《時》 は要素である。
【空間】
空と間。空間は分かる。然し空は分からない。或空間を観ていても、空は外在す。空は内在しているとは言えない。すなわち《空》 は要素である。
【物質】
質と物。物質は分かる。然し質は分からない。或物質を観ていても、質は外在す。質は内在しているとは言えない。すなわち《質》 は要素である。
《時・空・質》是すなわち主(あるじ)を構える三要素である。空は質を有し、質は時を与す。主(あるじ)は唯これを感ずるのみ 。《無形有質の真理》
【主観】
可能性(二間一物)と私。時間・空間・物質は観ずることが出来る。然し私は分からない。観ずることが出来ないので、私は内在し ているとは言えない。すなわち《主》は《時・空・質》と同列の存在である。(《時・空・質》そして《主》を合わせて四要素。)
『四要素を一体とし、我は無の中に在る。』
※二間一物
(にかんいっぷつ)
⇒時間・空間・物質
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【0∞1】
『可能性の出来した出来事と私の予測との間には、とび越えることの出来ない何かがある。』
信仰とは可能性(カオス)に屈すること、美しく言えば要求を神に委ねることである。宗教の起源は未来に対する不安が出来したと き、即ち人類が、認識上の世界の拡散した様々な情報を調和的に纏め、自然の現象として依存する習慣を持ち、またこの習慣から予測 する『未来』と言う概念を創り出し、その未来を打ち砕く可能性について不安に感じたときである。
『宗教を知る民(もの)は信仰に溺れず、また科学を知る者もこれに溺れる事はない。その彼らの基礎は哲学であり、哲学の背後に は観る者のいない真理がある。客観的な真理など、ない。そう言う意味での真理を誰もが面白おかしく踊って探すのである。』
いいないいな にんげんていいな
おいしいおやつに ほかほかごはん〜
いいないいな にんげんていいな
みんなでなかよく ポチャ ポチャおふろ
あったかいふとんで眠るんだろな♪
点は見えない。粒は見える。
(0∞1)
面に点は見えない。面に粒は見える。捉えるからだ。
だいいち、物理から『物質としての私や物質としての世界』を説明しようとしても、【今ある】という【事】は確定しないでしょ。 確定してるのに。
だからだよ。信じる自由が法律により認められるのは。
しかしながら普遍的基礎は踏まえないといけないよね。それが無きゃただの宗教。
こえて(それを踏まえて)自世界を認めればいい。両側に生きるために。
例えとして般若心経から引用しましたが、
『神』というとらえ方は、宗教上の"神"と、哲学上の説明として使う"神"という言 葉では、認識が違いますね。どちらの使われ方もあると思います。
私は特定の宗教を信仰している訳ではないので、哲学としての『色即是空』の内容ことを言ってみました。私の中では、仏教はどち らかと言うと哲学的な宗教という認識があります。
もし、素粒子が『粒』として見えるのならば、体積というものがあるのかもしれませんが、素粒子よりももっと小さい単位→もっと 小さい単位→もっと…と、∞状態があるわけで、そうして見た場合に、どちらにせよ境界はどこにもなくて、境界がないということは 、体積もないわけで、限りなく『点』でもあるのだと思います。
・・・あら?
これはMagic Monkeyさんのおっしゃる、
「質すなわち点(0次元)には質量が無いので、幾ら(無限個の)点を集めても点でしかない。」
ということと同じ意味を持つ気がするのですが・・・。それだと、
物質や身体はどう出来ているのでしょう?
『点』と『無』の間にも何か境目があるのでしょうか。
点が、限りなく点でも、質量は存在できるということでしょうか…?
『点』が『0』でそれを『無』というのかと思ったら、
『点』は、『確かに存在するもの』ですよね?
どんなに近寄っても『点』でしかないとしても、
存在するからこそ『点』と呼べるような気がします。
不思議ですね!!
そもそも、『点』という存在は視覚的単位の表現なんだろうな。と今思いました。
世界には目に見えない物が沢山あって、質量(?)はなくとも存在が判っているものも沢山ありますものね。
『気』とか『超能力』とか『魂』とか言ったら信じなくても、放射能とか電磁波(光線、超音波)とか…いろいろ実用化されていま す。
わたしは物理や化学には詳しくないので質量や体積があるのかないのかとかは、よく分かりませんけれど、きっと人間にはまだ存在 を証明できない『何か』が、身の周りにはたくさん溢れているんだろうなって、思いました☆
2009年12月22日 03:42 by futaba*yotsuba
質すなわち点(0次元)には質量が無いので、幾ら(無限個の)点を集めても点でしかない。もし点が膨張するならば、不可分の面 としてであろうし、如何なる偏りが在ろうが切り離せない。だから粒という量化は捉え方の問題である。真の四要素一体論は粒(物質 )と言う捉え方を克服して質に至り、その裏側の絶対無を想定し、意思は物質側(存在側)に無いことを結論付けるものである。しか しながら意思は神(絶対無)に帰すので結局その在り処は分からない。ただ道具としての自意識(全容)があるのみである。
《道具に道具にされない!》
《囚われて、囚われない!》
信仰は自意識に対する在り処の分からない意思(いし)にとって最も有害なものであるという認識は人生に於て、基本中の基本であ る。
『可能性(カオス)の根源である時間・空間・物質とそれを統轄する神仏(かみ)によって自己そのものが支配されている。このよ うな宗教的妄想・信仰は哲学的な考え方によっては、最大に最大に、最大に不幸である。可能性(カオス)を論じる前に、質的な自意 識(全容)は確定しているし、質を確定する意思は、質に還元できない歪曲の根源である物質にはなく、自意識(全容)の裏側の絶対 無すなわち神に帰すのである。』
・・・つづきです。
世界のどこかで起きた『振動』は、必ず全てを伝って全てに伝わる。
わたしは、自分の感覚を通して、その『振動』や『波動』を受けとっている”実感”があったので、何だかうまく表現できないこの 感覚を、柳澤さんが”ピタリ”と証明してくれたように思えて、嬉しく、納得してしまったのです。
色即是空について書いてしまいましたが、
もしよろしければ、『四要素一体論』について、もう少し易しい言葉で分りやすく書いて頂けると嬉しいです☆その方がみなさんも 理解しやすいと思います。
よろしくお願いします(*^ー^)ノ
2009年12月19日 04:51 by futaba*yotsuba
Magic Monkeyさん、こんにちは。
トピック欄のお名前が消えていますが、このトピック立てて下さったのは
Magic Monkeyさんだったでしょうか?
大変興味のあるお話ですのに、言葉遣いが少々(かなりかも…)難しくて、
頭に入って来にくいところが残念です。。。
『四要素一体論』というのは私は知りませんでしたが、
般若心経の中の『色即是空 空即是色』の思想と重なりました。
わたし自身は、般若心経にも宗教にもあまり詳しくはないのですが、
生命科学者・柳澤 桂子さんの『生きて死ぬ智慧 』という本がきっかけで、
少しだけ知ることができたんです。
この本が話題になった頃に、NHKの番組で彼女とこの本が特集されていたのを見て
共感し、父にこの本をプレゼントしました。
般若心経を解釈した本は他にもたくさんあるのでしょうけど、
この方の解釈に惹かれたのは、命の存在を見つめてきた生命科学者らしい観点と、
女性らしい分りやすくやわらかい表現で書かれた点でした。
本が手元にないので詳しくは書けませんが、私が一番印象に残っている表現は、
『素粒子』の例えです。
これは「時間」と「意識」に対して言えることかどうかわかりませんが、
「空間」「物質」「己 (主)」についてはとてもわかりやすいものだと思います。
物や空気などを、全て原子の値までクローズアップし…さらにさらに、それよりも
小さな素粒子の世界で見ると・・・全てのものが小さな粒粒(つぶつぶ)でできていて、
身体の境界線も、空気の境界線も、物質の境界線も…全ての境界がなく、
全てが渾然一体として一つに見える。
『あなた』と『わたし』は離れていても、間を埋め尽くす『空間』とは
双方とも隣り合っていて、あなたとわたしは繋がっている。
それはもちろん、人と人だけでなく、他の生命、物質、空間(宇宙や、
宇宙の外の世界までも含む)・・・としていくと、
全てがミクロ(?)の世界で繋がっていて、外も内もなく、上も下もなく、
"貴方"も"私”もなく、良いも悪いもない。。。という感じでしょうか。
この、『全てが素粒子として繋がっている』という科学的解釈は、命の波動を感じやすい環境で育った私にとって、『すとん。』と 腑に落ちた表現だったのです。
2009年12月19日 04:51 by futaba*yotsuba
実際私は物質を見ているのであって物質を知っている訳ではないし、私は物質によって私たらしめられている訳ではない。とすると 物質とその動き、つまり物理現象の究極無限的な分析を行い高精度自意識確定論(自循論)に至った後に、不確定性原理を無視し、抑 の歪曲の根源である数学・物理学を一蹴して得られる自意識の境として還元された質は、この裏側の絶対無との線引きである。現に君 は物理学をやる前に君意思である。
理解しやすく言うならば(0∞1)に記されたように『0』は0次元(点)であり要素の質、『1』は不確定性原理を超えて質に至 るまでの無限の物理的意識である。数学・物理学は自意識を自意識たらしめる質に至るまでに純粋なる理性によって棄却される学問で あり、哲学は数学・物理学を扱いつつも、これを一蹴できるので質を得られる。
此処で新たにわかったことは0次元(点)は絶対無の中に膨張すると言うことである。但しこの発想は間違いで、抑科学が犯した過 ちは自意識が自意識を超えられない事実を握り潰して宇宙を創造したことである。つまり科学は厳密には誤りであり、絶対無すなわち 神の道具に過ぎない。絶対無と存在が一つである世界こそが真理である。
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