模写から絵を始めて、自分独自の絵を描くのは大変なことのように思います。
その中でも、Y字路を題材にした絵が、段々変化していくところがいいですね。
最初、道が別れたところとしてかなり具体的に描かれていた風景が、徐々に分かれ道らしくなくなって、様々な印象だけの絵になっ ていくところがいいです。
漠然と方向は決まってはいても、自分の道はこっちかな。あっちかなと分岐するところがY字だと思うのです。
そのY字路が全体として見えるようになる。
そういうこだわりから抜けて、あるがままを表現するという境地になってこられたのかも知れません。
横尾さん自身が「融ける」といった言葉を使って表現されていたのも、全体として絵を捉えて、自分の心に写る情景を素直に描き出 しているからではないでしょうか?
同じものを同じ人が見ても、その時の心のありようによって色も構図も変わっていきます。
そういうことをキャンバスに表現しているような気がします。
波紋を大衆の前で描く試みは、なんとなく、音の世界に近いような感じがしました。
アトリエで描くことより大衆の前で描くことで、その絵も変っていくということもなんとなく分かるような気がします。
誰かいるのといないのとでは、「他者が見ていること」がその場の雰囲気で伝わりますもの。
聴衆の質によって演奏が異なってくる音楽と何か通じるところがあるように思います。
画題も波紋でしたから、自分の投げかける絵が、聴衆に跳ね返ってどんな変化を見せるか、そういう見えない波形を感じとりたかっ たのかもしれません。
パレットがそのままで抽象画になっているというのは、新たな発見のように思います。
絵と同じようにパレットにも向き合うわけで、それを意識化しているところは凄いですね。
無意識は自分では意識できない心の働きです。
意識に上る何かを書き続けないとその奥にある何かは見えないことを横尾さんはちゃんとわかっていて、それを求め続けるような気 がします。
2009年10月11日 20:13 by watasitotaiwa
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