お返事が遅れました。
そうですね。クリムトは職人肌でありすぎたために、依頼人の希望を完全に無視する傾向があった、というのは感じます。
それが孤立した雰囲気を生み出したというご意見は、確かに私も感じます。
最近私は共同作品を手がけるようになってきて、話し合いの大切さを痛烈に感じています。私の希望を最初にきちんと理解した上で 、いいものを作るためにどうしても自分の考えでやりたい、という意見を出してこられた方もいらして、私は、どうぞお好きなように なさってください、と返答を出しました。
ご自分の作品に対して厳しい視点を持つ方です。適当な作品は発表したくないのだとも思っていらっしゃいます。そんな方に、そち らの道で素人の感覚しか持ち得ない私が「いやどうしても私の企画で」とはなかなか言えません。
クリムトは、恐らく当時の医師連とは相性が合わなかったのだと思います。
しかし同時に、他では素晴らしい作品を多く残しました。
芸術に妥協しない彼の孤独は彼を不幸にもしましたが、幸福にもしたのだと私は考えます。
ひょっとしたら本人は、孤立ドンと来い、という感覚だったのかもしれませんね……。
2010年01月17日 11:16 by Chiduru.Y.
姜さんの感じる孤独とはたぶん、
「描かれている対象とクリムト」だけが作り出す確固たる世界があって、自身以外の何者の介入を許さない寂しさがにじみ出ている 気がします。
医学をテーマに妖艶な女性や苦しむ人々を描くことは、クリムトならではの医学に対する真摯な感性の表現ではあると思うのですが 、少なくとも、教授たちが大学の講堂の天井に描いてもらいたかった絵とはずれているように思います。
普通、絵を制作するときには、依頼した人たちと
「どんな絵にしましょか?」
といった交渉があると思います。
ですが、そういった対話がなされずに、ひとりよがりで描いていると、周囲とはうまくいかないように思うのです。
そういった孤立した感じが作品ににじみ出ているように思うのですが、どうでしょう?
2009年12月20日 23:29 by watasitotaiwa
こんにちは。
姜さんは冒頭で、「世紀末の時間と今とには通じるものがある。クリムトの絵には孤独を感じてならない」と仰っていましたが、ど ういった内容だったのでしょうか。
19世紀末、ファム・ファタル(宿命の女)という言葉が流行した時代。まだまだ絵画が学問の領域と見なされていたその時代に、 クリムトは、官能的で挑発的なヌードや愛の姿を描きました。依頼されたとある聖堂では天井の三枚の絵が医師らの反対を受け、そし て「希望Ⅰ」という絵は、そのエロティックな内容のせいで公開禁止にすらなったそうです。
私と対話さんが詳しく述べられている「ダナエ」の官能については、女の私が見てもぞくぞくするものがあります。
そして、その官能を取り巻いているのはすべて金。金のきらびやかさを官能と組み合わせた画家は、非常に珍しいと言えるのではな いでしょうか。
ニューヨークのノイエ・ギャラリーでは、「アデーレ・ブロッホ・バウアーの肖像」という絵があります。当時のサロンの貴婦人だ った美女アデーレの姿をきらびやかな装飾で描いた作品です。顔と胸元以外は、すべて渦巻き模様やコーヒー豆のような模様で覆い尽 くされ、金で細部を施されています。まるで一枚のデザイン画を見ているようです。実物は凹凸があり、まるでギシリャのレリーフの ようなものだそうです。
代表作「接吻」の美しく艶やかなこと。見飽きません。
クリムトが金を多用した理由は三つあると言われています。
・金細工師の息子
・ビザンチン美術の影響
・日本美術の影響
クリムトは父親の仕事を幼少期から見てきて、金のさまざまな形態をよく知っていました。これが絵にも表れています。
ビザンチン絵画にも金は多用されています。先のアデーレ・ブロッホ・バウアーと皇妃テオドラとの類似を、番組では指摘していま した。
そして日本美術の影響。さまざまな日本画とクリムトの代表作を比較しながら、日本美術との関連性を番組は楽しく説明していまし た。
そんなクリムトは、50代に、その金を絵画に使うのをやめてしまいます。生涯、自画像を描かなかったクリムトは一体何を見たの でしょうか。それは、姜さんの仰った孤独だったのでしょうか。
今日はアンコール放送でしたが、よい回だったと思いました。
2009年12月20日 11:03 by Chiduru.Y.
今日の日曜美術館はクリムトでした。
今では当たり前のエロスを直情的に表現するのでなく、上品にまとめているのがいいです。
生の性はなんとなく生臭いですが、神話の世界を借りると、より昇華された形で表現されると思います。
職人顔負けの金細工を駆使して表現しているのは、太陽の輝きのように思えるのですがどうかなあ。
danaeについて、ウィキペディアから引用すると
「美しい娘ダナエは父であるアルゴス王アクリシオスによって青銅の塔に閉じ込められたが、ゼウスは黄金の雨になって塔に入りダ ナエと交わった。そうして生まれたダナエの子がペルセウスである。」
まあ、神様と交わるのですから、それはもう、恍惚の表情となっても仕方ありますまい。
金細工と日本美術との関わりについても興味深く解説されていました。
異国の小さな島国の細やかな細工を見たクリムトが
「私にもこれだけのことができる」
という思いで作品を作ったのかも知れませんね。
彼の作品を通してみると、なんとなく、常識に対するアンチテーゼを提供し続けてきた気骨みたいなものを感じました。
2009年12月20日 10:16 by watasitotaiwa
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