厳しい自然の中で修業すると、人は優しくなれる。
そうなのかも知れません。
初期の仏像にはその優しさが表現されていると思います。
お寺が移動して、頼るものがなくなった人たちのためには、そういう慈悲に満ちたものが欠かせないと思います。
そういう人の心には、豪華で繊細で綺麗な仏像よりも、なんとなく人の血の通ったある種のゆらぎが残った仏像が必要になるのかも 知れませんね。
さすがに自然の中で修業をすると、自然に生えている木そのものが神様のように思えてくるのが自然なのかも知れません。
後期の作品では、仏像というよりも、木のオブジェという形の仏像が多くなります。
木の中にある魂みたいなものを、そのまま掘り出すことで、荒々しいながらも、確固とした存在感が出ていると思います。
命の宿る木の中にほんの少しの彫跡を残すだけで、木であり仏である存在になるのは、見事な洞察と確固な構成力があるからだと思 います。
2010年04月11日 14:58 by watasitotaiwa
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