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聖書を読んでみる。

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聖書に関係なく・・・心に響くセンテンスを。

「星の王子様」は聖書の次に好きです。
でも「椿姫」を読んだとき、
あまりにも共感する言葉が沢山あって書き取りしながら読んだ記憶があります。
最近読書してない。。。んで、
何か読もうかと…
読んだらここに書き込もうかと。
ついでにそのセンテンスに関連する聖書の言葉とか、
見つけられたら良いな。。。とか思ってます。

2010年03月11日 10:01  by 

コメント一覧 10件中、1~10件表示

  • 黒猫ちゃんの話している人間関係と、
    びびさんの話している人間関係とはちょっと温度差があると思います。
    黒猫ちゃんが書いてくれた心に刺さった文章(感情)って、
    その時期特別な土台の上にあるからじゃないかな。
    私たちも通ってきた道ではあるんだけど。
    夫婦ってもう既に出来ている土台の上で手をつないでいるんです。
    でもクラスメートとか、仲間ってものはある意味水溶性の土台の上に浮いているようなもんで、グラグラしちゃうから「重要」「関 係」「信用」なんかの状況で気分が傷ついたり相手を傷つけちゃったりするんだと思うナ。

    2010年05月20日 14:23 by

  • 相手を傷つけようと思ってそうしている人はそうはいないと思うけど、知らないうちに傷つけてしまうことはきっとよくあることで、 わたしのようににぶい人には、傷つけたことに気付かないという最悪のこともよく起こる。

    コミュニケーションを築くためには双方の努力が必要だとつくづく思う。

    自分の感情とかを素直な言葉で感情的にならずに伝えたいと願っているけど、これも練習が要ることのようだ。

    わたしには自分の弱さや欠点、失敗を指摘されると事実を言われただけなのに相手から責められているように感じてしまって切れち ゃうという悪いところがあるんだけど、この相手は特に夫で、しばらく夫はわたしには何も言わなかった。
    言ってもわたしが怒っちゃうから話にならないからなんだけど。

    こういう時、わたしは夫を逆に責めて傷つけるようなことを口走ったりするので、自己嫌悪に陥る。

    夫は自分のことをあまり話さない人だったけど、抑うつ状態になってから薬の力も借りてだけど、話してくれるようになった。
    その時、わたしはそれまで夫の話を聞こうとしていなかった自分に初めて気付いた。(汗)

    傷ついた時、相手にそれをちゃんと伝えられるようにならなくちゃと思う。

    大切な人とは互いに真実をもってコミュニケーションしたいから、わたしが気付かない時には言ってもらえるように、聞く耳を持っ ていたいと思う。

    韓国のドラマを観ていて驚いたのは、韓国の人達って自分が傷ついたらそのことを率直に(激しくともいう^^;)相手に訴えるん だよね~。
    納得するまでやるから言い合いがすごいんだけど、自分が悪かったって思ったらちゃんと謝るの。そして「水に流してね~」なんて さらりと言うのよ。
    え~あんなにひどいこと言ったのに水に流してって言っちゃうんだってこっちがびっくりしちゃうけど、根に持つ風ではないのね。
    ま、ドラマだからなのかもしれないけど。

    あんなに激しく言わなくてもよいとは思うけど、やっぱり率直さって人との関係を築く上では大事なことだなって思わされたわ。

    2010年05月15日 20:43 by びびんば7

  • >どうして、人は人を傷つけるのか。
    >それによって、存在意義を感じるのでしょうか?
    >そんなのは、悲し過ぎる生き方だと思いました。

    だれでもそうではないよ・・・
    ただ、誰でも「つい」人を傷つけてしまう 時がある。
    だから「ごめんなさい」って言葉があるんだと思うよ。

    でも複雑な問題だよね。
    だからレスが遅くなってしまった。
    私も今人間関係でとても悩んでいるので。。。

    2010年05月13日 13:16 by

  • 人間が差別することが大好きだってことを知ってる人は他人なんて信用しないんだよ。
    日本人なんて特にそうだよね。
    たとえばね、誰か友達が一人、集団に迫害を受けていたとするじゃない。
    一対多数ね。
    そこで何をするべきか。
    勿論それは友達の味方をするべきなんだよ。
    でも大抵の人はそうしないんだよね。
    集団につくんだよ。人間は仲間を欲する
    だけどその仲間は誰でもいいんだ。
    仲間があること仲間がいることが重要なんであって、
    それがどういう集団なのかは関係ないんだ。
    意味がない、価値がないと言ってもいいかもね。
    そういう残酷な事実を知っちゃったら、誰も信用なんてできないよ

    (戯言シリーズより・クビシメロマンチスト・智恵・P281)


    この前読んで、心に刺さった言葉です。
    学校で苛めがあっても、きっと私は被害者の味方にはなれないんだろうな、とつい悲しくなってしまいました。

    どうして、人は人を傷つけるのか。
    それによって、存在意義を感じるのでしょうか?
    そんなのは、悲し過ぎる生き方だと思いました。

    2010年05月06日 13:06 by 黒猫

  •  傘をお借りしたので持って来ました。○○さんいますか。」
     ところが、彼女はいませんでした。雨はすでにやんでいましたので、帰りは一人で、遠い道を歩いて帰りました。電車賃がもった いないことと、もしかしたら、途中で彼女に会えるかもしれないと思ったからでした。しかし、会うことなく、家に着いてしましまし た。
     翌日、学校で彼女に会うと、すぐに礼を言いました。彼女も「持ってきてくれてありがとう、今日でもよかったのに」と言いまし た。彼女に、私が興奮しているのがわかったらしく、彼女は私に言いました。
     「梶さん。何でそんなに興奮しているの。」
     ところがそのときの私は何とも残念というか、情けないというか、「興奮」という言葉の意味が十分理解できませんでした。
     私は、彼女の言ったことがわかりませんでした。わかったふりをして黙っていましたが、痛くプライドが傷つけられました。その 後、可憐な顔の彼女でも、かわいい女の子に見えなくなってしまいました。
     男のプライドを傷つけることの恐ろしさを、世の女性たちはあまり知らないでしょうが、本当に男のプライドというものは始末に 終えないしろものであることは確かなようです。家に帰り、急いで国語辞典を取り出し、コウフンの文字を探したときの興奮が懐かし く思い出されます。


    今は亡き梶日出男さんの著書です。彼は牧師でしたが、自分が牧師でありながら『男のプライドに』こだわっていた事を素直に書い ています。
    私も男のプライド大事にしたいともいます。

    2010年05月06日 11:41 by

  • また長いので分割して書き込みます。
    ちょっと読んで見て下さい。
    借りた傘
     小学校の6年になった梅雨どきの事でした。午後になって降り出した雨は、授業が終わり、下校時間になっても、一向にやむ様子 がありませんでした。雨空を教室の窓から眺めていると、隣の席の女の子が言いました。「梶さんは遠いから、私の傘、貸してあげる 。」私にとって女の子は、皆、かわいらしく見えてしまうようで、その子も例外ではなく、かわいらしく賢い子でしたから、まるで、 愛の告白でもされたような気分になり、その傘をさして、天を駆け巡るような思いで家に帰ってきました。家に着くと、ふと我に返っ て、いったい、彼女は雨の中をどのようにして帰ったのだろうかと心配になり、彼女のことを考えないで、いい気になって帰って来て しまったことを後悔しました。
     彼女の家は西武池袋線・保谷駅の前でお菓子屋をしていました。私の家は次の駅のそばで、当時は田無町といっていました。学校 はその二つの駅の間、保谷からは4分の1ほどの所にありました。ですから、雨が降っていれば、彼女も、しっかりぬれてしまう距離 でした。
     私は、家に帰ると、すぐに、電車に乗って傘を返しに行きました。彼女に会えるのを楽しみに、胸をときめかせて保谷駅を降り、 お菓子屋さんに入って行きました。そして期待と不安の入り交じった思いで、母親らしいおばさんに言いました。

    2010年05月06日 11:40 by

  • >でもそれって結果があって「知る」って言葉を当てはめるのか、
    そういう行為自体を「知る」と言うのか疑問です。

    そう言われて初めて疑問を持ちました。
    原語とかわかると助けになるかしらね。

    2010年04月23日 13:48 by びびんば7

  • >鋭い両刃の剣がイエス様のみことばなら逆に怖くないですか?

    うん、自分に向けられたらかなり怖いよね。
    みことばが剣という表現はエペソにもあったよね。
    ええっと6章17節「…また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」
    黙示録の2章のところもそうなんだけど、この剣がどこに向けられているのかというと、サタンなんだよね。
    ペルガモの地はローマ皇帝への忠誠を見せるために皇帝崇拝が盛んだったそうです。偶像礼拝に陥らないように「両刃の剣」を持っ てサタンに立ち向かえということなんじゃないかと思って読んでいます。

    イエスさまご自身もサタンの誘惑に遭われた時、みことばを持ってそれを退けられたとありますね。

    「両刃の剣」とは違うんだけれど、ヨハネの福音書15章2節に出てくる「刈り込み」ということばを怖ろしいと感じていたことが ありました。

    「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしの枝で実を結ばないものはみな、もっと多く実を結ぶために 、刈り込みをなさいます。」(ヨハネ15:1~2)

    最初、わたしは刈り込みをされることでイエスさまの木から切り離されてしまうのではないかと、誤解して読んでいたのでした。
    でも、注意深く読むと「もっと多くの実を結ぶために」ということばに気がつきました。
    「刈り込み」はわたしを切り離すためではなくて、わたしがもっと多くの実を結ぶためになされる、神の愛の業だということに気付 いてやっとほっとしました。

    ただ、「刈り込み」や土の器を「捏ね直して形作られる」というプロセスは苦しかったり痛かったりするんですけれど…

    2010年04月23日 13:45 by びびんば7

  • 鋭い両刃の剣がイエス様のみことばなら逆に怖くないですか?
    イエス様のみことばでシャリ~ン!とか殺られたらひとたまりもないですね。。。
    聖書で言う「知る」という言葉は色んな意味に使われますよね。
    子供を作る事も○○が△△を知った。とか言います。
    でもそれって結果があって「知る」って言葉を当てはめるのか、
    そういう行為自体を「知る」と言うのか疑問です。
    ずーっと疑問ですが、誰も答えてくれた人はいません。

    2010年04月22日 08:51 by

  • 鋭い、両刃の剣を持つ方がこう言われる。
    「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。…」(黙示録2章12節より)


    わたしにとってわけのわからない部分が多い黙示録なのですが、昨日の礼拝メッセージで語られた中で励まされたみことばです。

    黙示録の中に出てくるイエス様の描写は人としてのイエス様からは想像ができないようなもので、特に1章の12~16節の描写に もある、「鋭い、両刃の剣」は口から出ている、なんてところを読むと恐ろし~と思っていました。

    でも、今日なぜ励まされたかというと、この「鋭い、両刃の剣」とはみことばのことだそうで(ああ、それでイエスさまの口から出 ているんだと納得したりして)、また、「わたしは・・・知っている」というところの「知る」とは、全知全能の神だから何でも知っ ているというより、いつもわたしたちの傍にいてわたしたちのすべてを共にして下さるゆえに深く「知っていて」くださるという意味 だと聞いたからです。

    このみことばとは直接関係ないのですが、「全能」という言葉はもともとは「乳房・母乳」を意味するものだというお話も聞きまし た。
    神が「全能である」というのはよく使われている言葉で、わたしなども「神様は全能者だから何でもできる」というふうに受け取っ ていましたが、何でもできるということに偽りはないのかもしれませんが、母乳という、赤ちゃんの栄養のすべてを満たすものという 意味を重ねると、「全能」という言葉の意味が少しだけ違って見えてきました。
    神様はわたしたちを深く知っておられ、わたしたちの必要を満たすことができるお方なんですね。

    わたしはすでに赤ちゃんではなくなり、あれも食べたい、これも食べたいと思う欲張りな大人になりましたが、神様だけがわたしに 本当に必要なものをご存じでそれはもうすでにわたしには与えられているのだなと思われました。

    2010年04月19日 10:37 by びびんば7