短歌の叙情について 歌論 4
詠うものから書くものへ、詠むものから読むものへの変化
多くの人の前で詠む神への祈りや、国家、氏族、部族のための長歌が平安中期になると、その役割を終え個人の心情を表すための 短歌が主流の位置を占めるようになります。
万葉集に多く残された長歌は古今和歌集では五首にだけが残され、新古今和歌集では皆無です。このころから和歌といえば短歌を指 すようになったと考えられます。
叙事から、叙情の手段として歌への変化、それは日本人の感覚の変化と供に表記するツールとしての文字発明が大きくかかわって いると思われます。
万葉集では今でも詠み方すらわからない歌が多くあるといわれています。
現代と古代を隔てる言葉の違いも有るでしょうが、日本語を全部漢字表記にするという乱暴なやり方では、多くの人に読まれる詩と しての歌の成立は難しかったでしょう。
でも、平安中期に至り、日本語の表記に革命的な変化をもたらす、仮名が発明されます。簡単な漢字と仮名交じりの表記により、 自己の表現をたやすく歌に託し書ける、このことは、今の情報革命以上に日本人の意識に大きな衝撃をもたらしたでしょう。
短歌は詠うものとしてだけは無く、書くものとして、また、詠むものとしてだけではなく読む物へと変化がおき始めます。
紀貫之が書いたといわれている土佐日記では、主人公の思いがあるときはユーモラスに、あるときには切々と詠まれています。
また、伊勢物語では物語のクライマックスで必ず歌が登場します。
(ここで注意したいのは声を出して詠むということがあくまでも歌にとってもっとも大切だということです。あくまでも書く、読む は一つの要素として加味されたものです。)
次回歌論では、私信(手紙)としての歌について考えて見ます。
2010年05月02日 12:10 by 春秋のブログ
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