俳句の成立について 歌論 6ノ2
[色:000000] 前号で俳諧連歌の発句が俳句として独立する過程について述べました。
そこには松雄芭蕉という天才の役割が大きく存在しています。
奥の細道を書いた松雄芭蕉はどうにかして、遊びの要素が強かった俳諧連歌から、発句の独立を目指し、和歌に匹敵する芸術とし ての発句を確立しようとします。各地の歌枕を巡り、歌を慕い、ある意味、歌に戦いを挑んだ、無謀とも思える行為だったと思われま す。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
旅を続けることにより、尊敬する多くの詩人、歌人たちの足跡をたどり、発句を芸術として確立しようと無謀な挑戦を続けた芭蕉で すが、死ぬまでそれを続けようとした、俳聖芭蕉の思いはどのようなものだったのでしょうか。
ちなみに俳句という言葉は明治時代、正岡子規が月並み俳諧を批判し、それと、区別するために作った言葉です。[/色 ]
2010年05月10日 11:21 by 春秋のブログ
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