1について、最近面白い小説を読みました。北森鴻さんの『邪馬台』です。
この中の結論を書くのは野暮っていうものでしょうが、なるほどなと
感心しました。国家の概念をどう捉えるか。いろいろな説があって未だに
決着をみせないからこそ、そんな根本を疑ってみるのもいいかもしれませね。
2について、信長は結構いろんな人物に裏切られているので、それを思えば
その一つがようやく成功したという気もしないでもありません。
最終的には光秀も死に追い込まれていますが、乱を起こすタイミングとしては
バッチリであったと思います。そういう意味では、関ヶ原の小早川秀秋の裏切
りに通じるものがある。そこから思えば、心理的に追い込まれた結果による暴
発であるように感じられます。
で、絶対に無いでしょうが。
黒田官兵衛が黒幕で、普通に使者を使わせたところ彼が裏切って秀吉を唆し、
天下をかすめ取った。光秀は秀吉軍が簡単に動かないと思っていたからこそ、
西の防備よりも東の防備を優先していて、そこを秀吉に付け込まれてしまっ
た。官兵衛は、そこまで計算していたのでしょう。秀吉は、官兵衛の動きに
薄々感づいたからこそ、その後彼を冷遇し続けた。なんてことはないでしょう
けど。
2014年02月08日 13:13 by 影法師
こんばんは。
1は難しいですね。国という概念が十分に確立していないと思うので、地域性から九州かな〜と思いますが、朝鮮からの影響を考え ると、中国地方〜近畿の可能性も否定できないですね。
2はもういろいろな仮説が出きっているように思いますが、私的には、明智光秀の突発的な行動だと思いますね。あれだけの敵を作 った信長ですから、いろいろな人の思惑はあったと思いますが、計画されたものではないでしょう。
こんにちは。
1については私もさっぱりです。
箸墓が卑弥呼の墓だとするならば自動的に畿内となりそうですが………
ただ、朝鮮と最も近いのが九州である事を考えると、なんとも言えませんね。
2についても諸説ありますよね。
まあ、事実だけを述べるならば、確かに本能寺わ襲ったのは明智軍であったという事。
その明確な意図は未だにわからず。
もし本当に怨恨だとするならばこれはもう判断のしようがありませんね、本人死んでますから。
ただ、信長と光秀の仲は決して悪くなかった、むしろ良かったというような表記も多々見られますし。
黒幕説としては、朝廷、キリシタン、長宗我部などなど、いろいろと挙げられますが。
なんとも言えません。
2010年05月09日 01:52 by 九
そこまで語れませんがとりあえず。
1:これは何とも言えませんねー。九州説と畿内説ともにさまざまな説があるようですし。卑弥呼の墓が箸墓古墳では?という調査 結果が昨年出たようですけど、それも結局ははっきりしませんし・・・。ただ、畿内説ならその後の大和朝廷にもつながりそうな気は するのですが・・・。さっぱりですね。
2:何かの本で、黒幕の存在説を知りました。その本自体は、筆者の空想がかなりあったので微妙ですが、その本の筆者が言うには 黒幕は公家の近衛前久で、どうたらこうたらと書いてありましたね。まあ、信長に対して何かしら危機感を感じていた誰かしらが黒幕 についていたというのはありそうななさそうなという感じ。
と、いろいろ調べてたんですけど、どうやら僕がその本で読んだ黒幕説の可能性はほとんどないらしい。
ということは、やっぱり光秀が単独でやらかしたのかなー?
う~ん、これも難しいですね。
2010年05月03日 23:50 by もみの木
どなたがこの話題に食いついてくださる事を祈りつつ(笑
1.邪馬台国は何処にあるのか
(沖縄県を除く九州全土に比定地がある(最近沖縄説も登場したらしい))
2.明智光秀が織田信長を自害へと追い込んだ要因
(「怨恨説」「黒幕の存在説」「天下が欲しかった光秀の単独犯行説」etc.)
エトセトラエトセトラ。
やっぱ生まれが九州だからか、1は九州説を贔屓したい。
でもまぁ、中国地方や近畿地方に、
九州をはるかに上回る規模の古墳や集落が存在してるって事実もあるんだけど。
2も難しいところ。
記述によれば(もっとも正確なことが書かれているとは限らないが)、
結構な「怨恨」があったみたいだし、でも以下略。
誰か語ってくれま戦果。←
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