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芸術の生態 寄生する芸術

芸術活動を始めることは自分の手さえあればいつでも誰でもできますが、芸術活動を続けるということは金銭的にも社会的にもかなり 難しいことです。金銭的な余裕があって、社会的に認められて初めて続けていくことができます。

現代の芸術家はコンセプトや目的という形で自分が作品を制作する社会的、もしくは美術業界的、自己的な意義も作品と共に発信し ています。
もしかすると作品を制作するよりも、自身の作品の存在意義を詮索したり発信したりする機会の方が多いのかもしれません。

政治や宗教、さらに遡ると呪術と芸術が共生していた時代はあらかじめ存在意義が用意されていました。
絵画や彫刻はマスメディアとして機能し、豪勢な芸術作品の所有は同時に権力の強さを示す材料になりました。

こうして芸術という生き物は、人間の集団行動に寄生し承認能力を糧に活動範囲を広げてきました。

しかし近代、カメラをはじめとするメディアの登場により役割を略奪されてしまうと、政教と芸術の分離が始まります。
権力に守られなくなった芸術は新たなアイデンティティを獲得しようと実験を続けます。その結果が、社会と対立する「前衛」運動 です。
芸術の追求を進めたことで、過去と同じく社会に依拠した存在になったのです。

このような歴史をたどった芸術は、現在も何か(社会、自己、過去の美術史、人間の営みなど)に対して批判的なニュアンスを帯び ています。視覚的にただ美しいとみなされる芸術は、下等のものとみなされることすらあります。

芸術がこれまで寄生してきたものは呪術、宗教、政治、自己の内面ですが、現在は既存の事象への批判/批評に寄生していると言っ ても過言ではありません。

その批判への寄生に終わりは来るのでしょうか、来るとしたら次は何に寄生すれば、人間の芸術活動は生きながらえることができる のでしょうか。


2017年03月10日 11:22  by 緒方

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