春の3つのお題
定番ものを。
季節を先取りネタに、少し彩りを添えて。
・校門
・桜
・老婆
・共食い
のうちからどれか3つを使用してください。
例によって意味するところが同じなら言い換え語でも可。
ガンガン書き散らしましょー!
2008年02月19日 11:28 by 石瀬醒
そこでねこがさんの作品だと言うだけで、最後まで「何かある」と思いつつ読んでしまいました。
ごめんなさい。
そのまんま、哀しい水の中を行くような作品でした。
無理やりに希望に繋がる道筋を示したりしないところが、ねこがさんらしく、よかったです。
今、こういうじっくりしたドラマ少ないですよね・・・
2008年03月14日 18:01 by 石瀬醒
その2
路駐した車の中で恵子は待っている。
しばらくすると飯田がパックに入った焼き鳥を持って乗り込んできて、恵子に渡す。
その後、お茶のペットボトルのふたを開けて恵子に渡す。
しばらく二人焼き鳥を食べる。
恵子「共食いだわ。」
飯田「え?」
恵子「あたしひどい女だ。だってそうでしょ?あたし桜ちゃんの命を犠牲にしたから今こうして生きてるんだもの。あたし桜を喰 って自分が助かったんだ。」
飯田「飛躍しすぎだし、そんなに自分を責めるなよ。どちらにしたって桜は死んでたんだから。」
飯田は串をパックに入れて、それをビニール袋に入れて、しばる。
飯田シートベルトをしめて、ギアをドライブに入れる。
飯田「さっ、家まであと少しだ。行くよ。」
走る車。
多摩ニュータウンと書かれた看板を通り過ぎる。
恵子窓の外を見ている。
小学校が見える。
恵子「あーあ、もうできないのか。校門の前で入学記念の写真を撮る、とか。桜ちゃん、あの世で怒ってるかな?」
飯田「怒ってないから桜は君の命を助けてくれたんだよ。桜は今自分の行動に満足してるはずだよ。」
車は大通りを曲がる。
前方に桜並木が見える。
飯田「ほら、桜が咲いてるよ。きれいだ。あれ、桜の生まれ変わりだったりして。」
恵子「桜の季節に生まれるから桜ちゃんって名づけたのあたしよね。漢字もそのままがいいって言って。」
飯田「弥生って名前も考えたよな。」
恵子「弥生・・・。そうね、弥生ってますます生きるって意味よね。」
車は桜並木の下へと入る。
恵子窓越しに桜が舞っているのを見る。
恵子「桜って名前つけたのが良くなかったのかな?」
2008年03月14日 16:54 by そこでねこが
その1
午後2時ごろ病院の駐車場。
飯田貞司(33)は妻・恵子(31)を助手席に乗せた後、カバンや荷物の類を後部座席に詰め込む(車種はヴィッツかフィット で)。
車が走っている。
運転しているのは飯田。
恵子は目の焦点が合ってない。
長い沈黙の後。
恵子「あたしのこと恨んでるんでしょ?」
飯田は少し驚く。
飯田「何言ってんだよ、急に。」
恵子「だって子どもができたってわかったとき、あなたあんなに喜んでたじゃない。」
飯田「喜ぶに決まってるじゃないか。僕と君の子なんだから。でも今は君が一番大切だと思ってるよ。」
恵子「嘘。手術するって日、あなた残念そうにしてたわよ。」
飯田「そんなことないよ。心配だったんだよ。」
恵子「でも桜を産んでほしかったんでしょ。」
飯田「そりゃあまあ。」
恵子「ほら、やっぱり!でもおあいにく様。あたしはもう子どもを産めない老婆のような体になってしまったわ。」
飯田「そういう意味じゃないよ。桜を産んでたら君が死んでいたし、君が死んだら桜だってそのまま死んでた。そんなのもう医者 からさんざん聞かされていたことだろ。」
恵子だまる。
飯田ため息をつく。
飯田「もうお昼過ぎてるし、おなかすいてない?」
2008年03月14日 16:53 by そこでねこが
○水姫さん
思わず学校をサボった昔のことを思い出してしまいました。
あと、疎外感(笑)。
「教室と外の世界の狭間」ってすごくいい表現ですね。
20世紀前半にパークという社会学者が「マージナル・マン」という概念を提唱して、どの社会集団にも属せない結果アイデンテ ィティを持てず社会的にも精神的にも不安定な状態に置かれている人間を規定しましたが、彼もきっと抑圧的でありながら拠り所でも あった学校というシステムの「境界」に立っていたのでしょう。
学校と外、どちらへ向かうにせよ、その場でいじけて座り込まずに新しい一歩を踏み出した彼には、石瀬醒さん同様(パクってる ?)僕もエールを送ります。
○石瀬醒さん
さすが石瀬醒さん、気付くのはもとより、返す刀で攻撃してきますね(笑)。
「言え共」と「食い違い」は、確信的な誤用と自然な用法(例えば「食べ残し/食い残し」とは違って「食べ違い」という言葉は ない)という、ステルス性において真逆な表現を堂々と並列させているのが面白いです。
「貌」といい、吸血ハムスターの話といい、日々日本語の海で格闘している石瀬醒さんの姿が思い浮かばれます。
喫茶店大好き。
2008年02月22日 23:59 by そこでねこが
水姫さんの作品を読んで
主人公は学校の外の社会(=大人の社会)にも、学校にも、居場所を見出せないでいます。
彼は外に出ない理由を「門が閉ざされているから」と、大人側の所為にしていますが、そのことについて、「落胆はしていない」 と、自分が傷ついていない(=大人に負けていない)と思い込もうとしています。
両方の世界を知りたい(参加したい)と切望しながら、「彼は〜狭間にいるのだ。知るわけが無い」と、知らないのは自分のせい ではなく、門を閉ざした大人の所為なのだ、と再びほのめかします。
そこには、自分をコントロールしようとする者への反発を覚えながらも、自分の人生を一人で背負うほど自立していない、思春期 の少年の気持ちが読み取れます。
彼は「桜が散ったのだ」という、論理ではない、彼だけに感じられるキザシを頼りに一歩を踏み出す勇気を得ますが、その決意に は、力強さより危うさを感じます。
でも、私は焼け糞でも一歩を踏み出したこの主人公にエールを送ります。
彼が、自分と世界とを繋ぐ確かな線を見つけられるように、祈ります。
2008年02月22日 16:33 by 石瀬醒
老婆心から申し上げると、新たな気持ちで校門をくぐる皆さん、まずはそこでねこがさんの文章の中からお題の4つの言葉を探し出 して頂きたい。
人類の性質などと言う、権威ある学者達と言え共食い違う意見を持つようなテーマを、なぜあえて取り上げて語るのか、考えてみ て頂きたい。
こう書くと、なんだか下の文章の宣伝に努めているみたいであるが、私は決してサクラではないですぞ。
2008年02月22日 14:58 by 石瀬醒
「このクソババァっ!!」
担任の女性教師にそう吐き捨てて、彼は教室を飛び出した。
校門は閉ざされている。外には出られない。彼はそんなことは知っていた。だから落胆はしていない。
今教室はどうなっているんだろう――彼は思う。
今外の世界で何が起こっているのだろう――彼は思う。
どちらの答えも、彼は知らない。彼は教室と外の世界の狭間にいるのだ。知るわけが無い。
「さて…」 僕は何処へ行こう?
風が吹いた。桜の花びらが空に舞う。
外に出よう――桜が散ったのだ。この世界で。
それ以上の理由は必要ない。
私の住んでる所はもう桜が咲いてます。うるさいほどピンクです。
その3
ここで注意していただきたいのは、僕は戦争肯定論者というわけではありません(しかし、全否定もしない!)。
ただ人の歴史というのは人が人を殺し合う共食いの歴史であり、現在もそうあり続けているということを肝に銘じておいてほしい のです。
その上でこれからどう生きていくのか、何を書いていくべきなのかということをよく考えていってほしいのです。
そのためにも若い今だからこそ毎日たくさんのことを勉強してください。
小説でない上に僭越で生意気な提言、長々と失礼いたしました。
2008年02月22日 00:41 by そこでねこが
その2
敷延すれば人間は生来戦争が好きなのです。
これを示す好例が19世紀のヨーロッパです。
18世紀から19世紀にかけてヨーロッパでは帝国主義国間の戦争やナポレオン戦争があり、その後も後片付けのようにゴタゴタ がありました。
ところが1848年以後基本的に大きな戦争は起こらない、平和な時代が続きました。
するとどうなったか。
若者達は享受された平和に苛立ち、戦争を求めました。
彼らは“戦争の世紀に乗り遅れた世代”という感覚を持ったのです。
そして1914年にやっと第1次世界大戦が起こったとき、彼らは“喜びいさんで”戦地へ向かったのです。
そのことは当時の彼らの日記にも書いてあります(もっともそんな記述は明くる1915年には消えていきますが)。
これが人間というものなのです。
戦争がなかった期間を勘案して、19世紀50年説というのまであるくらいなのですから。
今の日本なら大丈夫だよと思われるでしょうが、そして確かにこの国は今後戦争をすることはないかもしれませんが、ただほんの 60年前までは日本も戦争一色だったということを忘れてはいけません。
みなさんもおじいさんおばあさんから聞いたことがあると思いますが、当時日本は特攻という世界の軍事史上でも例を見ないバカ な作戦を立て、あまたの若者が桜花という飛行機(ただし着陸のための装置はない!)に乗って大空で――ごくまれに敵艦にて――散 華しました。
また日本史屈指の大戦争と言える西南戦争(1877年)が、戦国時代を収束させ徳川による250年間もの平和な時代の末に起 こったのは、上記のヨーロッパと同じ気分のものと言われています。
ちなみに60年安保も戦争放棄により学生の間で鬱積していたものが爆発したと見てもいいと思います。
要は日本人もひとたび天秤が傾けば一気に戦争になだれ込む部分があるということです。
2008年02月22日 00:40 by そこでねこが
その1
えー、本来ならお題小説を書くべき場なんですが、一応オトナと言われる年齢なので、来たる4月にまた新たな気持ちで学校の門 をくぐる10代の学生さんたちに向けてエールと言うかメッセージを書きたいと思います。
要点は簡潔です。
みなさん勉強してください、この一言に尽きます。
特にこの100年間世界がどんな歴史を歩んできたかを知っておいてください。
それは“今”を知る上でとても重要なことだと思うからです。
ここでは人と戦争について考えたいと思います。
知ってのとおり20世紀世界は2つの大きな戦争を経験しました。
それは史上かつてないくらい凄惨なものでした。
しかしだからといってみなさんにはその両大戦が特殊なものだと思わないでほしいのです。
なぜなら人間は戦争をする生き物だからです。
戦争をせずにはいられないと言っていいかもしれません。
あるときは土地を、あるときは富を、そしてあるときは名誉をかけて、同じ人間同士で争い、滅ぼし合いました。
その原則は石器時代の頃から変わっていません。
例えば昔地球上ではネアンデルタール人が隆盛を誇っていたのですが、彼らは我々の直接の祖先であるクロマニョン人に滅ぼされ ました。
クロマニョン人は家畜化されたイヌを従えていたので勝つことができたと言われています。
つまり、我々の祖先は異種の生物の手を借りてでも同じ霊長類を滅ぼすという原罪を背負って進化を遂げてきたのです。
それは生存競争だから仕方ないだろうと言うかもしれませんが、ナポレオン戦争(1803年〜1815年)に従軍したカール・ フォン・クラウセヴィッツはその著『戦争論』の中で言います。
「平和とは戦争と戦争の間の準備期間である。」と。
2008年02月22日 00:38 by そこでねこが
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