「感覚を分かち合うこと」は共感と呼ぶことができるかもしれませんね。そうしたら、私たちの意見はある程度一致を見ることがで きるかもしれません。
とても参考になりました。こちらこそ有難うございました♪
2014年11月20日 10:35 by ササクレ
私の結論は、『楽しいことの具体例の本質は、自分の心が歓ぶ相手と、その感覚を分かちあうこと』です。
偏見をなくせば、誤解が少なくなり、共感が多くなるかもしれませんが、それだけでは足りないように感じます。
生理的、本能的な感覚を無視することはできないと思いました。
ありがとうございました。たいへん参考になりました。
2014年11月19日 16:16 by 真守
まず、過去の経験にさかのぼって論理的、客観的に考えるというのは、個人の経験に基づく判断ですから、偏見になる可能性が高い と言えるでしょうか。
そうすると相手の選別は、「主観的」「感覚的」な判断によるのでしょう。
しかし、主観的な判断は間違っていることもあるのですね。そうすると、主観的な判断は絶対ではないのでしょう。
主観的な判断でも客観的な判断でも、人を偏見なく選別することはできないということになります。そうすると、「人を選別する 」という思想自体が、おそらく偏見なのでしょう。
偏見をなくせば、誤解が少なくなり、共感が多くなり、楽しくなるのですから、「人を選別しない」ことによって偏見を減らし、 楽しくすることができると考えられます。選別しないこと、無分別であることが楽しさの秘訣なのでしょう。よって次のように結論で きるように思います。
楽しいことの具体例の本質は、「選り好みしないこと」である。
2014年11月19日 08:52 by ササクレ
過去の経験を遡って論理的に考えるとか。
主観的に好きか嫌いか。
あるいは、直感的なものだったり、感覚的だったり。
でも、第一印象で、ダメな場合……ずっと引きずるような気もしますが、付き合ってみると誤解だったりする場合もあります。
2014年11月18日 23:19 by 真守
なるほど。
つまり、接触回数を増やすことによって、ある程度までは故意的に共感を増やすことができる、ということでしょうか。
しかし、接触回数を増やしても、その手法には限界があって、合わない人とはとことん合わないと。
親近感を増やす手法として、「接触回数を増やす」という方法があるということが分かりました。しかし、この手法を適用しても 「合わない人」はいる、ということですね。合わない人とは、この手法を用いても、親近感を増やすことは難しい。
では、この手法が有効であるかどうかは、どのように確かめるのが良いのでしょうか? この手法で親近感を増やす事のできる相 手と、この手法が無効で親近感を増やすことができない相手をどのように選別するべきでしょう?
2014年11月17日 16:57 by ササクレ
故意に親近感を持つといったら『ザイアンスの単純接触効果』なんて、よく言われますよね。
でも、合わない人とは、とことん合わないものですが。
2014年11月17日 13:24 by 真守
そうすると、「親近感」が共感なのですか。そして、親近感は趣味とは別のもので、趣味よりももうすこし広い概念なのでしょうか ね。
そして、その親近感が原因になって、「興味」が出てくると。興味が出てくると、その人のことをわかりたいと思う。そうして好 きな人ができる。好きな人といると楽しい……
では、楽しいことを増やすためには、なるべく親近感を増やすことができればいいことになります。
故意的に親近感を作り出すことは可能だと思いますか?
現実と虚構。
作家と作家の作品の間の結び付きは単純なものではありませんよね。サドの小説を書いたからと言って、その人がサディストであ るという判断は、作品および作者理解としては単純すぎるかもしれませんね。
作家と作品はつながっているとは思いますが、作品から作家の人格を考える場合、よく考えることが必要なのかなあ、と思いまし た。
2014年11月16日 00:32 by ササクレ
趣味が違っても、方向性が同じとか、なんとなく気が合うとか……漠然としたものでも、共感し合えるのではないかなと思います。
世間の夫婦や恋人とか見ていると、友達と違って、まったく同じ趣味のカップルというのは、そんなに多くはないような気がします 。
同じものを好きになるとか、趣味が同じだというのは、たぶん最初のきっかけに過ぎないと思います。
親近感がわくと、その人に興味がでてきます。その人が好きなものや、何をどう見ているか感じているか……その人を分かりたいと 思う気持ちが共感じゃないんでしょうか。
興味のない人には、共感することもありませんものね。
現実と虚構をごっちゃにするメンドクサイ人とは……。
たとえば、マルキ・ド・サドの小説を書いたら、すぐにあの作者は「サディストだ!」とか言うような人のことです。
澁澤龍彦のファンかもしれないじゃないですか?
2014年11月15日 23:05 by 真守
好きなものが同じであることが共感なのですね。
好きなものが同じだと、何か親近感は湧きますものね。
現実と虚構というのは、これまた大きな問題ですね。どのように区別するのかがけっこう難しい問題だと思います。
共感する為には、趣味が同じ人と一緒にいるのが良いということになるのかもしれません。では、趣味が違う人と共感するのは難 しいのかもしれません。
そうすると、楽しくするためには、趣味が違う人を避け、趣味が同じ人と一緒にいるようにすればいいということになるでしょう か。
2014年11月14日 21:03 by ササクレ
小説より、たまたま好きなものが同じだったとか、そんな感じです。
誤解されることが『小説の内容』なら、受け取り方は人それぞれなんで、それは読んだ方にお任せすることなんですが
『この話を書いてる作者は、こんな人』とか、現実と虚構をごっちゃにされたりして勘違いされると、メンドクサイと思います。
悲しいのは、親しい人からの誤解だと思います。
親しくない人の場合なら、イラッとくるとか、その程度でしょうか。
2014年11月14日 15:23 by 真守
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