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どうしていきものができたのか。

新参者でいきなりトピ立てていいものか迷いましたが、疑問に思うのでたくさんの回答待っています。

このコミュニティの、命・生命に関するトピックをみていて、
生きる、ということの道徳的・宗教的な考えがたくさんあり、勉強になりました。

1.そもそも、いきものの定義は何処にあると思いますか?

2.どうして、いきものは生きつづけよう・増えようとするのですか?
(増える=強くなる=生きやすくなる。より、増えるのは生きるためだと私は思っています。他の理由があるのでしょうか?)
私たちいきものがたんぱく質と核の小さな塊(?)だったころから、増えよう、増えようとしていますよね。

それが当たり前すぎて、不思議に感じられます。

死ぬのは苦しいし、お腹が減ったら食べたいし、喉が渇いたら飲みたいし。ですが、そう感じているのは生存本能とか、脳のはたら きのためですよね。
どうしてそう感じさせる必要があったのでしょうか?

3.上記の質問から、生きてるってなんですか?

人間が、ということではなく、プランクトンから宇宙にいるかもしれないものまで、広く考えてみたいと思います。

わかりにくい文章ですが、意訳していただけると助かります。

2012年03月29日 01:57  by とろんぺ

コメント一覧 6件中、1~6件表示

  • とても気になるテーマだったので、初心者ですが参加させて頂きました。

    1.そもそも、いきものの定義は何処にあると思いますか?

    『種』を残す存在のこと。

    2.どうして、いきものは生きつづけよう・増えようとするのですか?

    多分生き続けよう、増えようと思考しているのではなく、そうせざるを得ないのではないかと。
    遺伝子のプログラムがどう組み込まれているのか、
    小さな虫から動物、植物に至るまで知る由もありません。
    そしてそんなプログラムが組み込まれていることさえ私達は知らなかったはずです。

    愛し合ったから、子供が生まれる。
    愛せずにはいられなかった。その結果として子供が生まれた。
    これは「人間」という対象に焦点を当てた場合ですが・・・
    言いたいのは理性的なものではなく、本能的なものではないかということです。

    なぜ、生まれてきたのに死があるのか。飢えてしまうのか。
    それも全てが種の繁栄のためなのかは分かりません。
    ただ、「死」がなければ「生」はなく、「飢え」がなければ「食物」が存在しない。
    ひいては全ての生き物が存在している必要もなくなってしまうのではないでしょうか。

    最後に。
    上記から全てをまとめるのは、何とも難しいですが・・・
    生きているということは“この世に生をもって生まれてきた存在のこと”であり、
    私たちは常に自分達以外の「生」によって「生」を得ている。
    生きているのではなく、生かされている。

    全ての生きとし生けるものの集合体自体が
    「いきもの」としての在り続ける上で必要なもので、
    この世に存在する数えきれないほどの『種』の中のひとつが、その他の『種』を支えている。
    そしてその中のひとつの『種』が絶滅することで、また他の『種』の存在を危ぶむ。
    その『種』が欠け続けることは、わたしたち「いきもの」個体としてではなく
    集合体としての「いきもの」の存在をそれはゆっくりと、でも確実に「死」へと近付けていくことでしょう。

    なんだかまとまっていないような気もしますが^^;
    長文失礼しました。

    2012年05月10日 15:22 by dolce

  • ニーチェの思想「永劫回帰」がひとつの答えになるのではないでしょうか。

    世界は始まりも終わりもなく、したがって動機も目的も意味もなく、いわば永遠運動する自動機械のようにただ単に存在しているに すぎない。

    「エネルギー保存の法則」を生命循環にまで当てはめて考えると、確かに納得できてしまうのですよね。
    個人的には、この思想は好きではないです。あまりにも虚しすぎて。
    好きではないんですけど、でもかなり衝撃的で、納得せずにはいられなかった思想です。

    2012年05月06日 11:47 by マリ   

  • 「いきもの」ねえ… やはりよくよく考えると不思議なもんですね。

     私が最も考えさせられたのは「生きているとは何か?」ということですね。ここでは質問1、2の内容は比較的科学的な視点から 、そして質問3の内容はそれをふまえてもう少し総合的な視点から考えてみました。(字数が凄いことになったようで2つに分かれて ます。)

     いきものの定義、生物と無生物の境界というと、生まれてから消滅するまで外的要因に依存するのみであるのかそうでないのか、 それ自体が子孫を残すか残さないかという辺りになってくるのではないだろうか。
     そして、なぜ生き続けるか、増え続けようとするかという点に関しては、あくまで物質的な面から見れば、生き物というのは化学 反応が自己完結した一つの形態、言い換えるならコンピュータのプログラムと似たようなものといった方が分かりやすいかもしれませ ん。つまり、全てが遺伝子という形ではじめから書き込まれていて、それに必要なアクションをとるように設定されているというわけ です。

     まあ、プログラムなら当然書き手が必要になってくるわけですが、そこで当然のように出てくるのが「じゃあ書き手は一体誰だい ?」という疑問。
    正直言ってこんなもんはわかりません。神といわざるをえないでしょう。
     書き手の存在が何者かということすら分からぬようでは我々が生きていることの真意というのは知り得ないだろうが、では生きて いるとは何か、ということを考えるのは無意味だろうか、そんなことはあり得ない。むしろ考えることにこそ意味がある。(解釈とし ては「生きているとは何か?」を「○○にとって生きているとは?」と読み替えたものになります。)

    2012年05月06日 02:04 by 神威


  •  じゃあ生きているとは何なのか、ただ生物としての命が続いている状態を指すのか、私はそれだけではないように思う。それぞれ がそれぞれのカテゴリの中で最も輝いている状態というのが本当の意味で生きているということなのではないだろうか。
     私が思うに「命」というのは我々でも案外簡単に与えられる。もちろん神があらゆる生命を創造したとかそんなレベルのことは到 底ムリだが、人にしろ動物にしろ道具にしろ、はたまた実態を持たない概念にしろ、何かの役割を与えたとき与えられた側はその定義 に沿い続けることが不可能となるまでその役割として生きている、あるいは生かされているという状態になる。「我ら人間は神によっ て生かされている」とか、「神もまた人によって生かされている」なんていわれることもあるが、このような背景もあるのだろうと思 う。こう考えるなら、「全てのものは生きている」というようにいうことも可能かもしれません。
     
     結論としては生きているということは、生物ならば生物としての命があるのかどうか、また生物無生物問わずそのものに与えられ た定義や役割が有効か、という大きく分けて二点から判断されるものだと私は思います。

    (う〜ん…なかなか難しいテーマだからやっぱりうまくまとまんないねえ…)

    2012年05月06日 02:03 by 神威

  • 最近のマイブーム
    生物学者の福岡伸一氏
    生物の生命の神秘に遺伝子の研究から様々な著書を書かれ
    なかなか面白い見解を発表されています。

    『動的均衡』は機械の部品はパーツが一つとれるとすべてが止まって壊れるが
    生命は流動的で1つが壊れても他のパーツが補う性質があり生命の魅力であると
    これが動的均衡といい生命は常に動きながら補い合う均衡を保っているといいます。

    昆虫のありに識別番号をつけ観察すると働きアリの中に右を左をして働くふりをする
    サボる蟻が20%いるそうで、この20%を外すと100%の働きアリと思うが
    やはりサボる蟻が20%いるそうで、遺伝子レベルで考えると
    このサボるということを許容することを許していることに気が付いたというのです。

    そして、科学は全てのことをもう一度裏ずけているだけなのです。といいます。

    ニュートリノを研究する科学者が地底深くに生物はいないと思っていたそうですが研究施設を作る際新種が発見されたそうです。

    様々な科学者が口をそろえてまだ化学は全てを解明したわけではないと言います。

    葉っぱに殺人犯を聞いたら反応が出た事例もあります。植物と見るか命と見るか
    によっても見解は変わると思います。

    私は地球も生きていると思うので星の命も好きです。宮崎駿の星を買った日など
    わくわくします。

    自由でいいよね。皆が考えられることが命なんだと思います。

    我が家の犬も奥さんが死んだ日泣いたんだよ。

    2012年04月01日 22:48 by 未来の夢

  • どうしていきものができたのか
    自分は何か専門で哲学を学んだこともなく人生経験も浅く論理だった話が上手でありませんが 自分の感じるものを書くと

    生き物って何だろう?って素朴な疑問がわいてきます もちろん生物学的区別は知っていますもっと根本にどこが違うのか考えると 考えると不思議でしかありません

    もともと世界にはいきものはいなくてある時をさかえに生物が誕生したのなら いきてるものは無生物の延長でしかないんじゃない でしょうか

    いきてないものから いきものが生まれた・・・石、水や空気これらはいきてませんですが形も重さも性質、構造 すべてが全く違 います いきもの もまたでつの形での無生物なのかもしれません・・・

    いきものとその他を強いて区別するなら時間があるかないか 時と共に老いくのはいきものの特徴です その他はずっとそこに存在 します時が経って形が変わったとしてもいきものが増えようとするのはいきていないものの性質のなごりのように存在を維持しようと た手段の一つかもしれません

    まとめるといきていないものが周りの条件に対し液体固体気体分解結合などの反応の中にいきものとしての性質があるのでないでし ょうか。

    2012年04月01日 20:47 by yaku kuru