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天皇陵の嘘

古墳時代の前期は祭祀具の埋葬が多いが、5世紀「倭の五王」の時代には馬具・兵器の服装が多い。これは高句麗・百済系の騎馬民族が王権を簒奪した可能性を示唆している。百済仏教の伝来と前後して、継体天皇と皇子たちが一度にお亡くなりになられているのは不自然。真の継体天皇陵は今城塚古墳。継体天皇遺伝「剣神社盛衰記」というのがあるが、越前二宮剣神社の神官の家系である織田信長公をイエズス会や東インド会社とつるんで暗殺したのは藤原氏近衛家と細川家、明智光秀はその部下だった事が隠されている。細川護貞のいた神社本庁は、むしろ神社伝承を抹殺したっている側。これを隠したら学問ではなく「大本営発表」というカルト、フィクションでしかない。

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