ひとこと
スカルラッティのソナタは、聞くと豊かな気分になれますよ。動画集の記事を作成しました。見にきてください!
http://mirusekai.blog35.fc2.com/blog-entry-834.html
2010年01月01日 12:02 by mirusekai
タピオラは聴くと悲しくなる曲ですね。
ヤナーチェクがお好きなら、ドナウ交響曲をお薦めしますよ。
味のある音楽で、ソプラノがびっくりするような旋律を歌ってくれます!
フォーレの弦楽四重奏曲はもう少し待ってください。まだ聴く元気が湧きません。
今読んでいる本に次のような文章が出てきて考え込んでしまいました。
「理論に普遍性を求めるのは自然科学だけで、文科系の学問にはもともと普遍性など存在せず、みんな自分こそ正しいと思うことだ けを勝手にわめき合っているのだということがわかってきた。そう思うと、フロイトの主張も、それが普遍的真理かどうかなどあまり 気にせず、ちがう作家の文学作品や音楽作品、美術作品をそれぞれ楽しむように楽しめばいいのだと割りきって楽しめるようになった 。科学としてはエセ科学でも、面白くて楽しめるエセ科学があるものだと思えばいいのである」(立花隆、佐藤優『ぼくらの頭脳の鍛 え方』文春新書、313ページ)
こうなると音楽を話題にする場合、どういう意見がまともで、どういうのが間違いだと永遠に区別できないということになりますね 。どう思いますか?
2012年04月02日 23:09 by mirusekai
mirusekaiさん
久しぶりにYoutubeのシベリウスの第八番断章を聴きました。アクセス数を見ると900を超えており、この2週間ほどで2 00近く増えるなんてすごいですね。多くの方がシベリウスの音楽に関心を持っていただければ嬉しいです。
タピオラをどう評価するかは、つまりシベリウスの音楽をどう評価するのかというところへ行き着きます。シベリウスをペルトやグ レツキなど調性の問題に答えを出した現代音楽の先駆と考えるのか、グリーグやドヴォルザークなどに連なる民族的ロマン派(国民楽 派)の集大成とみるかで、評価は全く異なります。後期シベリウス作品をあえてロマン派の枠の中でくくるならブルックナーの晩年様 式に近いのではないでしょうか。シベリウスの立ち位置はまだはっきり定まっていないかもしれません。
発売したばかりのBISレーベルのオッコ・カム指揮ラハティ交響楽団のテンペスト、吟遊詩人、タピオラのSACDは非ロマン派 的な、(現代音楽を専門とする室内オーケストラのように)ソリストの集団であるオーケストラによって細部まで構築された現代音楽 的アプローチが濃厚です。この演奏を聴けば、特に1920年以降のシベリウスの作品は、新古典主義的なアプローチではなくても人 の心を動かす現代的な音楽を作ることは可能であり、現代音楽に与えた影響も聴き取れます。過大評価だと言われるかもしれませんが 、ペルトやグレツキ、まして直接指導を受けたラウタヴァーラがシベリウスから影響を受けなかったとは考えられません。
フォーレで違和感を覚えたのは弦楽四重奏曲第二楽章の転調です。なんで?と言う感じがしますね。楽譜を貼り合せたようにも思い ます。マーラーやラフマニノフにも転調がありますがスローダウンや急加速やグランカッサの一撃、ヴァイオリンの刻みなど伏線はあ りますし、フォーレは何か効果を狙ったのでしょうけど、説明不足のような気がしますね。
Joy of Musicさん、こんにちは。
スレ主のMirusekaiさんと私Parsifal以外あまり書き込む人はいないので、気が向いたらイギリスの情報でも書込 みをしてくださいね。
2012年03月30日 21:32 by Parzival
Parsifal 様、
コリン・デイヴィス指揮の古い録音で、タピオラと7番交響曲聴きました。ボストン交響楽団です。タピオラはかなりずっと聴いて いませんでした。
コリン・デイヴィスのトロイ人はすばらしいですが、7番は全く良いとは思えません。
昔はシベリウスの場合、こんな演奏が普通だったのでしょうか?
これでは古臭い音楽にしか聞えませんね。
タピオラは長い曲だったのですね。当たり前ですが、長いのに交響曲より薄味の感じがしました。
テンペスト (嵐) を絶賛している評論家がいるようですが、声楽入りのは聴かれましたか?
私は昔、組曲で聴いてタピオラほど感心しなかったのですが…。
20世紀前半は、作曲家たちは本当に苦労していたんだと思います。オネゲルの著書、『私は作曲家である』は、つまり「作曲家と いう職業はない」ということを言いたかったんだと教えてくれた人がいました。そういう大変な時代だったのでしょう。
考えてみると、19世紀は、木管楽器も金管楽器も前世紀の楽器が改良されて(キーやヴァルブ付きの)、新しい響きが出せるよう になったでしょう。サクソフォーンも発明されたし。
ところが、20世紀には新しい楽器は、もうたいしたものは現れないし、作曲家たちは新しい音楽を作る上で、悪戦苦闘したんだと 思います。
フォーレについてですが、確かにペレアスとメリザンドやチェロのエレジーもいい曲ですね。
弦楽四重奏曲はこの前聴いたとき、延々と堂々巡りさせられているような苦しい感じがしたもので、また日を改めて聴き直してから 感想を言いたいと思っています。
Joy of Music 様、よろしくお願いします。
どなたも、どうぞ何でも気軽にメッセージをお書きください。
2012年03月29日 19:43 by mirusekai
はじめまして♪
コンサートやオペラに行ったときに勉強したことを忘れないように記すために、初めてのブログをはじめました。
音楽は聴くのも演奏するのも好きで、今は声楽を中心にピアノも少し勉強しています。
mirusekaiさん、Parsifalさん、
お二人のコメント、興味深く、楽しく読ませていただきました!(といっても、勉強不足の私には分からない事のほうが多いのです が)私もシベリウスは好きです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
2012年03月24日 02:17 by Joy of Music
シベリウスのことでmirusekaiさんがおっしゃることに付け加えることは何もないです。シベリウスの第八番断章ですが不協 和音ではじまるテンペストの冒頭よりも大人しい感じがしますが不協和音が使われており、ここでも新しい音楽を希求していのたでし ょうか。美しいメロディが宝石のようにちりばめられた同時期に作曲された生前未発表のOp.117を聴くと、この作風でなぜ第八 番が発表できなかったのか残念でなりません。
私が持っているシベリウスの交響曲第四番以降の曲を一通り聴きなおしてみましたが、どれも本当に素晴らしいもので、中でもタピ オラに深く感動しました。ご指摘の通り20世紀前半で、いや、それ以降もシベリウスのような音楽を書いた人はいないです。ほぼ同 時代のマーラー、シベリウスとも音楽的に孤高の存在ですね。
シベリウスには作品番号がついていない作品も少なからず残されているようなので、1930年以降の晩年の作品で手に入るものが あれば聴いてみたいです。
私はフォーレの良い聴き手ではないので、フォーレのことを理解していないかもしれませんが、夢のあと、ペレアスとメリザンドな ど初中期からチェロソナタやイヴの歌あたりを聴くと、フォーレは晩年まで作品と作風を進化させていたように思えます。弦楽四重奏 について、最晩年のフォーレには作品をまとめる余力がなかったと言われれば、そう聴こえますね。完成に至らなくても作品が破棄さ れず残されたことは幸いだったと思います。未完の作品でも、作者の手を離れてしまえばその価値を決めるのは演奏家や聴衆なのです から。
いずれにしろとても参考になりました。
2012年03月24日 00:29 by Parzival
(続き)
演奏部分が短いのでほとんど何にも言えませんが…。
この3つのスケッチは、第1楽章の導入部、スケルツォ楽章、緩徐楽章部分なのでしょうか?
導入部らしいスケッチの響きに惹かれますが、これを聴いた今の感想は、シベリウスは作風や語法にそんなに凝る必要はなかったの ではないか、ということです。
この演奏ではシベリウスは、はっきりとものを言っていないように思えますが(導入部だから当然ですが)、何も語法面でもう凝る 必要はなかったと思います。
古風な作品になってもよかったし、メロディーをがんがん出しても問題なかったと思います。
どういう風に言うかというよりも、何を言いたいのかということでしょうか。(もちろん、技術面と音楽内容が関連しているのはわ かりますが。)
今から考えると、20世紀前半では、人類のために彼がある面では最高の音楽作品を残してくれたとさえ思えてきます。
シベリウスの5番、7番交響曲のように、しっかりと構成されていて、しかも心に強く訴える音楽作品をあの頃、一体他の誰が作っ ているでしょうか?
これから先、我々にはまた大震災が待ち受けているかもしれないです。
そういった状況で生活していくときに、どういう音楽を聴きたくなるでしょうか?
聴くと元気が湧く彼の音楽は、本当に貴重だと思います。
2012年03月23日 22:00 by mirusekai
大作曲家が途中まで作っていて破棄しなかった作品を演奏したり、補作したくなる気持はよくわかります。
モーツアルトのレクイエムの場合は、どこまで本人が書いたのかのかがわかっているので、演奏する際、本人の作ったところだけを 演奏することもできますね。
補作されたマーラーの10番や、ヤナーチェクのドナウ交響曲もいいなあと思って楽しみましたよ。
フォーレは昔、よく聴いたのですが(特に第1、2ピアノ五重奏曲、ピアノ・トリオ)、最近、弦楽四重奏曲を聴き直してみて、問 題あるかもと思ってしまいました。
ミリヨ著『弦楽四重奏』(文庫クセジュ)の133ページには、
彼には再検討する余裕がもう残されていなかった。(中略)
謙虚な態度で、フォーレはデュカス、プージョ、ラロ、ベレーグ、ラルマンといった友人たちに「この四重奏曲を出版するべきか、 あるいは廃棄すべきかを判断するという労」を委ねる。
と書かれています。死ぬ前でもあったので、本気で悩んだのではないでしょうか。
この曲についてこの本では、続けて次のように述べています。
この四重奏曲はそれ以前の作品にもまして理知的である。作曲者は、聴き手の心をとらえようとするよりも、耳が聞こえなかった … 20年前から … ために、出口のない世界に監禁されている思想を表現しようと意を尽くしている。穏やかなアンダンテと、人 の良い快活さが現れているフィナーレの2楽章は、作品冒頭の幾分秘教的な性格の補完作用を行なっている。(続く)
2012年03月23日 21:59 by mirusekai
甦演された交響曲第八番の断章はあくまで断片の寄せ集めですよね。
でも、断片でしたがところどころシベリウスの深い響きがありました。残された800枚もの草稿の中から第八番は復元可能だとい う人もいるみたいですが、あまり期待できないです。いびつなキメラのような曲にしかならざるを得ないと思います。
音楽は作曲家が最後まで完成させるのが理想でしょうが、でも未完の作品を認めないとなるとトゥーランドットやルルもモーツアル トのレクイエムもアウトになってしまいます。完成度があまりにひどいのは困りものですけど。
フォーレの弦楽四重奏曲Op.121については数年前に一、二度聴いただけなので、コメントできる立場じゃないです。私が持っ ているのはベルネード四重奏団のCDでOp.121に違和感は感じなかったのですが、私の聴き方がまだ浅いかもしれませんね。お 願いですがmirusekaiさん、フォーレのOp.121を聴くポイントを教えていただけないでしょうか。
シベリウスの第八番の断片についてはいかがでしたか?
2012年03月22日 21:54 by Parzival
シベリウスの交響曲第8番の断片、YouTube で聴きましたよ。
http://www.youtube.com/watch?v=HmIGn97BXs8
やはり、シベリウスの人気はすごいんですね!
しかし、フォーレの弦楽四重奏曲も首を傾げるところがあるし、シベリウスの場合は本人が公表しなかったのに、どうなんでしょう ね?
2012年03月21日 22:04 by mirusekai
mirusekai様 みなさま、こんにちは。
Parsifalです。
シベリウスの交響曲第八番の断片が発見され、Storgards指揮ヘルシンキ・フィルで甦演されました。このことについて私 のブログNachtmusikに調べた限りのことを掲載させていただきました。さらに詳しい情報を求めております。情報をお持ち の方はコメント欄に情報をいただけないでしょうか。第八番の断片をお聴きになった感想でもいただけると幸いです。
第八番の音源ですが、Nachtmusikのカテゴリ欄から「Sibelius」をクリックしていただき、「シベリウスⅡ」の 一番下にYoutubeへリンクしています。興味がある方はどうぞ。
2012年03月20日 09:01 by Parzival
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