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怒られても好きだった人・・・

今日、ちょっとアイ母さんのブログを拝見していて
子供を叱ってしまったという内容の記事を拝見しました。

http://h46t47.blog12.fc2.com/blog-entry-32.html

子供の問題を抱える中で
子供に対する怒りの悩みはとてもよく聞く話ですね。

そして、叱った自分に後悔する・・・
この繰り返しになるようですが・・・

皆さんは、どんなに怒られてもなんか嫌いになれない人って
いなかったのでしょうか?

叱らない事をイメージするより
叱られても好きだった人をイメージして
その感覚を追い求めてゆくほうが面白いのではないかと思います。

叱られても好きだった人・・・
思い出してみませんか?

2010年01月06日 18:59  by きんたろう

コメント一覧 27件中、21~27件表示

  • 私もりんりんさんのブログを読んできました。

    たいてい私達は、五体満足に育ちます。
    それは、日本が先進国だからだと思います。
    基本的な子供の人権が守られることが
    当たり前の世界に生きているからだと思います。
    その意味では、親にまず感謝しなければいけないと思います。
    ただし、一つだけ、日本は、
    自由な意思の表明が制限されやすい国だと思います。
    そのひどい例がACなんだと思います。

    さて、私も皆さん同様、叱られても
    好きだったという人の記憶はありません。
    ただ、怖かったけど嫌いではなかったという人はいます。
    小学校,中学校の恩師で、熱血教師でした。
    今は、あまりこういう教師はいないかも知れませんね。
    何度もゲンコツを食らいましたけど、
    怒られている内容が、ごもっとも、ということばかりでした。
    そして、私のことを想って、
    愛情を込めて叱っていることが伝わってきました。

    もう一つ、不純な動機ですが、
    同年代の異性には怒られることが、嬉しかったです。
    好意を持っている異性の気を引こうとして、
    確信犯的に怒らせてたんだと思いますけど。
    これは、ちょっと趣旨が違うかもしれませんね。

    2010年01月07日 22:43 by とれっく

  • りんりんさんの記事、読んできましたー。

    りんりんさんに、経験談をいただきたくて質問です。
    AC回復に伴って、幸せな記憶って増えて(戻って)来ましたか?

    私、辛い記憶はAC回復に伴ってどんどん朧になっていき、
    だからと言って幸せな記憶が戻ってくるわけでもなく、
    よって、昔の記憶がほんっとに無くなりつつあるのです。
    辛い記憶ばかりではあったけど、それはそれで貴重な幼少時の記憶で、
    それすらも無くなっていくというのは、自分の過去が無くなる感じがします。
    存在したという事実、実感さえも失せていく・・・・・そんな感覚です。


    2010年01月07日 15:41 by たすく

  • ちょっと、ブログ更新してみました。
    参考になれば、幸いです^^

    2010年01月07日 13:34 by りんりん

  • 叱られても(怒られても)好きだった人・・・・・・一生懸命考えてみるんですが、無いです。
    一応、親は叱られても(怒られても)好きだった人に該当するのでしょうが、
    見捨てられることへの不安と表裏一体のもので、ちょっと違いますしね。
    親を嫌う、という選択枝は子どもには過酷なもので、
    切り捨てられたらどんなに楽かと頭では思いながらも、
    切り捨てられる不安、嫌われる恐怖、そんなものが伴っている感じですから。
    これはこれで、「興味深い」という意味では面白い探索になりそうですが、
    決して幸せなものでは、無さそうです。

    あと該当しそうなのは、DV野郎な元彼でしょうか。
    何度怒られ、酷いことされても、懲りずに好きだったんですが、
    これもあんまり、思い出したくない記憶ですね・・・・・・(昇華済みにつき遠い目

    そもそも、恋愛以外で本当に好きだった人って、私には無いのかもしれません。
    学校の先生も、当時は自覚していなかったけど、嫌なイメージが強く、
    未だに公教育への強い不信感になって残っているし。
    イイコにして、頑張って、それなりに評価されて、無難な好意寄せられて、
    踏み込まず、踏み込ませず、そんな感じだったので友人関係も貧弱ですし。

    2010年01月07日 12:04 by たすく

  • 私を叱ってくれたのは、両親と父方の祖母だけだっように思います。
    他には、先生くらいです。

    父方の祖父は、世間では頑固で気難しい人と言われていたようですが、
    すごく私をかわいがってくれて、何をやっても叱られることはありませんでした。
    だから、大好きだったと思います。
    そんな祖父を見て、祖母が怒っていたのを覚えています。

    叱られても好きだった人以前に、好きだった人 
    というのが、祖父の他にいたのかどうか・・わらないです。
    私は母の側を離れない子どもだったのですが、
    それは、母が好きというよりも
    分離不安や見捨てられ不安からだったのだと今は思っています。

    ん?分離不安や見捨てられ不安 って、好きだからでしょうか?
    あ~ グルグルてきました。

    2010年01月07日 07:26 by 風の実

  • 私の場合怒られたり叱られたりする人は限られていました。
    やはり両親や祖母だったと思います。 他にもいたのかな~?!
    確かに嫌いにはならなかった。でも、好きだったという感覚は覚えてないような
    気がします。
     このブログを書いた後思い出したことですが、
    私が小学校4年生頃から両親は自営で夜遅くまで家にいませんでした。
    帰ったら疲れてるだろうと私は家をきっちりと片づけていたような記憶があります。また、散らかっていると機嫌が悪かったような 記憶もうっすらと思い出されました。
     叱らないイメージより叱られても好きだった人を思い出すのですね。
    思い出してみますね^^
     
     


    2010年01月07日 00:31 by アイちゃん

  • 私の場合ちょっとずれてしまうかもしれないですが。

    まず今の私は怒られてるのか、叱られてるのか、それが理不尽なのか・・・
    いまだに区別がつきません。

    「良い子」の私は他人を嫌っては「ならない」
    その上わざわざ労力を使って怒ってくれる人は「私を良き方向に導こうとするいい人だ」と信じていました。
    「性善説」を信じてたのではなく「あの人嫌だ」「嫌い」といういわゆる「負」の感情を幼い頃から蓋してしまったようです。

    昨年年末、今まで感じていなかったその感情を少し感じることができるようになって混乱中です。

    本当の私が「叱られても好きだった人」って誰だったんだろうか。
    本当にそんな人が私の周りにいたのだろうか・・・
    なんだか自分は幼い頃からドレスを着てると思っていたのに、実はぼろを着ていたような気分がします。

    2010年01月06日 23:07 by

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