愛知県の事件によせて
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100418ddm041040096000 c.html
4月17日未明、胸が痛くなるような事件が、
ありました。
このようなトピを立てるのも、かなり重い気持ちです。
決して他人ごとではないという思いが募り、
胸のざわつきが止まりません。
恐らく、明日の朝のワイドショーは、この話で
もちきりになるかと思いますが・・・。
ヘビー級のお話になりますので、
掲示板形式で、私も随時介入しながら、
コミの皆様と対話を慎重にすすめていきたいと思います。
よろしくお願い致します。
りんりん
2010年04月18日 15:42 by りんりん
この種の事件は胸が痛む。
一歩間違えば、私も同じことを
していたかもしれないと思うから。
誰も悪くないのに、結果として悲劇が起こる。
どうしたらいいのかな?。
一番、腹が立つのは、知ったような顔をして、
評論している人。
その家庭以外の人間に、事情がわかる筈ないのに。
2010年04月19日 17:33 by とれっく
そらさんへ
この事件は、そらさんが、言われる通り、
今まであった、色々な子どもの事件と同じ根っこが
私も、あるような気がします。
>机上の論争は簡単だけど
>現実はもっと根が深い。
>安易に語って欲しくない
>という思いが私をとても重くさせました。
私も、現場は、もっともっと、熾烈だと感じます。
そして、現場とは、家庭であり、地域であり、社会で
あるのかもしれません。
>ひきこもった子どもも
>繊細でやさしくて強い心をもっているんだよ。
>ほんとうは。
その優しさ、繊細さを、「気持ちのいい」感覚とともに、
自分を、生かしていければ、どんなにいいでしょうか。
そして、ひきこもった子どもの心を開かせるには、
何が、必要なのだろうと、考えます。
そらさんは、どう感じますか?
2010年04月19日 14:05 by りんりん
「・・・・」
このニュースを聞いたとき
とても重い気持ちになりました。
数年前の大阪池田小の事件、そして東京で起きた兄妹の事件と
同じくらいに。
それは
不幸にも人が亡くなってしまっていること
そして、この事件が報道されることにより
ひきこもりと呼ばれる人達が
ひとくくりで
「困ったことだ」
というような見方をされるだろうな
と思ったからです。
決して親身ではない、自分だったらこうしただろう
とか
それはおかしい
とか
机上の論争は簡単だけど
現実はもっと根が深い。
安易に語って欲しくない
という思いが私をとても重くさせました。
ひきこもった子どもも
繊細でやさしくて強い心をもっているんだよ。
ほんとうは。
レインボーさんへ
>何が不安か・・・もちろん息子の事が重なるから。
そうですね、誰もがそう感じていらっしゃるのだと思います。
私も息子と重なります・・・。
>息子がしっかりと自分の足で歩き、自分の力で生活する事が出来た時
>生き生きと彼自身の道を彼自身がその手で掴み取る事が出来た時
>初めて私は不安無く本当に信頼して、彼を見守る事が出来るのではないかなと思うのです。
不安・・・不安は、どこからくるのでしょうか。
ふと、そんなことを考えていました。
変なとこ、気にしてすみません^^;
でも、聞きたい気が~うずうず(* ̄∇ ̄*)エヘヘ
2010年04月19日 13:17 by りんりん
やなぎはっかさんへ
>父にとっても、母と私にとっても
>消極的な意味で孤独であったことが、私たちには
>重要なポイントだったのかな、と考えています。
>私が育った環境は「関係」を築いていくべき1人1人が、
>親も子も、それぞれに孤立していたのだと思います。
>ですから、今は、誰が悪かったのでもない、という心境です。
孤独とは、個々を分断することではないかと、
感じることがあります。
分断することで、暖かさも失われてしまうのだろうと。
自由であるようで、自由ではないのかもしれませんね。
>関係するそれぞれを孤立へと追いやるもの。
>その辺りに問題の鍵がありそうに思う今日この頃です。
>難しいことですけれどね。
>どうしたら、いいのかなあ。
この文章を書かれた後、やなぎはっかさんが考えられたこと、
もっと、知りたいです。
その過程の中に、もしかしたら、答えが見つかるかもしれません。
そんな気がしました。
2010年04月19日 13:06 by りんりん
けいさんへ
じっくりと、ご自分と向き合っておられる文章を
感じました。
>でも、ロボットが相手なら息子は心を開かないだろうなと、
>当たり前のことだけど、強くそう思いました。
それが、ここに、集約されましたね。
自分の心を取りもどす、
これからはじまりますね^^
2010年04月19日 13:00 by りんりん
オリーブランチさんへ
>そして それは ウチの息子にもある気持ちだと思います。
>「誰かに わかって欲しかった」そんなふうにも 聞こえてきます。
受け止める人や場所があって、その荒ぶる気持ちが穏やかになり満足し、
それが今度は、人をわかろうとする気持ちに変わっていくのかもしれませんね。
事件の青年と息子さんの心を重ねて見ていらっしゃる
その思いは、息子さんが教えてくれたこと^^
そして、オリーブさんが、掴まれた感覚だと感じました。
2010年04月19日 12:57 by りんりん
この事件がニュースで流れた瞬間、主人と顔を見合わせました。
毎回この手のニュースが流れると、やはり不安になります。
何が不安か・・・もちろん息子の事が重なるから。
息子は、今はある意味安定しています。
でも先は全く分からない。
いつも穏やかな息子ですが、もし今ネットを切ったら私殺されるのかな~
本気でそう思う事もあります。
我が子に殺されるのなら本望。。。と思ったり、
それでは子供を殺人犯にしてしまうじゃないか。。。と思ったり。
うちの子に限ってそんな事になるはずがない、絶対大丈夫。。。
心からそう思えない自分が歯がゆかったり。。。
何か事件があるたびに、色々考えさせられ、その考えは瞬間瞬間で変わります。
この方も本当に追い詰められてきたのだろうな~そう思う反面
この方の家族もまた同じように追い詰められてきたのだろうな~と思います。
私達親子がそうだったように・・・
どちらの気持ちも分かるだけに考えれば考えるほど苦しくって。
でも、答えは出ないのです。
とにかく今私が思う事は、やはり誰も悪くないという事。
だから難しいのではないでしょうか。
もし犯人がいれば、答えは簡単にでるのに。。。
そして思うのは、だからこそ子供を自立に導く事の大切さ・重要性。
我が家の場合、私自身が子供の生きる力を奪ってきて今に至っています。
私には私の育ちがあって仕方なかった・・・という言い訳で逃げている場合ではない。
この現実を真摯に受け止め、子供を自立させるという目標に向かって突き進んでいく。
これが、今の私に出来る唯一の事なのではないかと思いました。
息子がしっかりと自分の足で歩き、自分の力で生活する事が出来た時
生き生きと彼自身の道を彼自身がその手で掴み取る事が出来た時
初めて私は不安無く本当に信頼して、彼を見守る事が出来るのではないかなと思うのです。
その為にも息子に負の連鎖を与えてしまった償いとして、
「生きる力」を正の連鎖として息子に伝えていかなければならないのだと思いました。
という事は、息子に「正の連鎖」を伝えられるようになる為にも
私自身が少しでも早く心の回復を目指すことが必要なのだという結論に達しました。
取り合えず、これが今の私の気持ちです。
私は人様と関わりを持つことに
少なからず煩わしさを覚えて生きてきました。
でも、自分が育った環境、自分が子育てをした環境を
今になって振り返りますと、人とのつながりの大切さを
しみじみと感じます。
父にとっても、母と私にとっても
消極的な意味で孤独であったことが、私たちには
重要なポイントだったのかな、と考えています。
私が育った環境は「関係」を築いていくべき1人1人が、
親も子も、それぞれに孤立していたのだと思います。
ですから、今は、誰が悪かったのでもない、という心境です。
私の個人的な例にすぎないのだと思いますが、
そもそも人間というものが孤独であることを認め、
私自身は孤独感と闘うことを意識するようになって、
いつの間にか周囲との対等のつながりが出来ていたように
思います。最近のことですが。
関係するそれぞれを孤立へと追いやるもの。
その辺りに問題の鍵がありそうに思う今日この頃です。
難しいことですけれどね。
どうしたら、いいのかなあ。
りんりんさんからのお題。
自分の揺れる気持ちについて書いてみました。
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