>そうですね。どんな環境であろうと、その人の生き方次第で変わると思います。
ただ、私の場合、その人の生き方によって、何をどこまで変えられるかには限界があると考えています。おそらく、生き方を変 えても、変えられないものは存在すると思います。
ササクレさんのおっしゃることもこの世の真理なのではないかと思います。
全ての人が心の持ちようで世界を変えられるのなら、毎日毎時間世界は大きく変化していっています。それができない、一握りの存 在しかそういうことができないから、限界もあるのでしょう。
ですが、私は自分に限界があるとは思いません。時間は有限ですが、自分たち人間の力は無限の可能性があるはずだと信じているか らです。恐らく、この考え自体は変わらないと思います。
>そして、個人の力は非常に微力なものだと見積もっていますので、個人の思いの持ちよう、生き方を変えても、ほとんどのものは 変えることができないだろうと考えています。
生き方を変えても、現状自体は変わらない。そういうことでしょうか?
自分自身の気構えを変えても、自分の性格自体が変わらなければ周りも変化しないと思います。
>「居場所」ですか。居場所は確かに大切ですね。
居場所という言葉に比べて、環境という言葉は、やや冷たく響くかもしれませんね。
ただ、環境というものも、やはり大切ではないかなあ、と思います。
私は『環境』は自然なものであって、人間たちの存在する前からあったものだと考えています。そちらの『環境』もこれの意味に含 まれますが、何か違う感じがしていたので、『居場所』という言葉に置き換えました。
冷たく響くというわけではないのですが、環境は人為的なものではないなと。
自分で決められない状況=環境もありだと思います。
>私が考えている環境のせいではないという意見は
どんな環境であろうと、その人の生き方次第で変わるのだということを言いたかったのです。
そうですね。どんな環境であろうと、その人の生き方次第で変わると思います。
ただ、私の場合、その人の生き方によって、何をどこまで変えられるかには限界があると考えています。おそらく、生き方を変え ても、変えられないものは存在すると思います。
そして、個人の力は非常に微力なものだと見積もっていますので、個人の思いの持ちよう、生き方を変えても、ほとんどのものは 変えることができないだろうと考えています。
「居場所」ですか。居場所は確かに大切ですね。
居場所という言葉に比べて、環境という言葉は、やや冷たく響くかもしれませんね。
ただ、環境というものも、やはり大切ではないかなあ、と思います。
2014年07月18日 12:38 by ササクレ
>アドバイスまことに痛み入ります。網干さんは優しい方なのですね。私は網干さんのブログを拝見しまして、非常に魅力的な方だな 、と思っていました。願わくば、ずっとその網干さんらしさを大切にしていただきたいな、とまことに勝手ながら思ったりしておりま す。しかし、そういうことはやはり網干さんの決めることなのでしょうね。それに網干さん自身の決めた道なら、結局はそれでいいの でしょう。それ自体が網干さんらしさの発露ですからね。
アドバイスという感じで書いたつもりはなかったのですが、そういうことにしておいてくださると幸いです。なぜか書き出すと止ま らないくせがありますので。
やさしいのでしょうか。自分では知識ひけらかすナルシストと思っています。
ありがとうございます。魅力的といわれるのは少々照れます。こういう考え方をするような私は、大人の方には好かれますが、同年 代にはかなり嫌われるので。
たくさんお返事くださってありがとうございます。非常に見ごたえがありました。
ついでに網干はずっと変わらないと思います。
考え方は少々変わるかもしれませんが、いつの時代も何かについて病気なくらい没頭して考え込むことが多々ありました。周りから は集中力が高すぎて心配だといわれていたくらいです(自慢ですね)
病気については、環境のせいでなく、自分のせいでした。
上記のようなことをほぼ毎日のようにしていたせいで、朝まで起きていたり徹夜したりということを繰り返していましたし。今は集 中力を自分で切らす方法を見つけたのですが。
病気というのは、気力が十分であっても、自分がこれまでしてきた行動などによっても左右されるのだと思います。不摂生でしたし 。
真面目といえば聞こえはいいですが、考えすぎる悪いクセというのだと思います。研究者とか学者になりたいと思っていたので、そ ちら方面には良いかもしれませんが。
私が考えている環境のせいではないという意見は
どんな環境であろうと、その人の生き方次第で変わるのだということを言いたかったのです。
こちらでは悪い例ばかりを取り上げましたが、
ある人が泥水をすすり、腐った肉を食べて、ずっと風呂に入らず外で寝ているという話がネット上で話題になりました。
現代の私たちはそういうことをすれば、間違いなくお腹を壊しますが、その方はそれで80歳以上生きています。
本来、人間は外で暮らしていたので、そういうことができるはずだったんです。それなのに文明開化して、菌が蔓延したり病が流行 ったりと、自分たちが劣悪な環境を作り出したということに他なりません。
環境も全て、人間が作り出した産物なのです。
人間が生を授かる場所・理由があって行かなければならない場所というのは、環境ではなく居場所ではないでしょうか。
そこにいるという感覚がなければ、それはもう居場所ではなく、その世界から取り残されてしまう。居場所がなくなる。
それが社会的な死だと考えています。
5.おまけ
>幸せな日常がずっと続くのだと思っていた矢先、人生のどん底かもしれないというぐらい、変な病気になったことがあります。原 因不明の。
ですがそれもまた、自分が弱かったから生んだ原因であって、自分を鍛えることはできたはずなのです。それをしなかった自分が悪 い。
なるほど。網干さんが病気に。
私は、個人的には網干さんのせいではないというふうに思います。
私も病気ですが、それが自分のせいだとは思っていません。
病気には多くの場合、そうなっても仕方ない環境の作用が絡んでいるというふうに、私は考えています。やはり思いの力だけでは どうにもならないものがあるというふうに思っています。そこには科学や医療といった外部のもの、環境を変容させる力が必要とされ るだろうと考えています。
とは言え、網干さん自身が、自分を鍛えようと思うのなら、私はそれでもいいと思いますよ。網干さんの好きなようにするのが得 策だと思います。
と……長くなって申し訳ありません。真面目に対応しようとすればするほど、文章が長くなってしまうのです。どうかご容赦くだ さいませ。
2014年07月17日 11:50 by ササクレ
4.おまけ
>たとえば人から無視されて傷付くよりは
『あ、わかったぞ。あいつら宇宙人なんだ。変な顔だし。だから言葉が通じないのか』
とポジティブに考えることもできるはずです。
何事もポジティブにとは言いませんが、傷付かない方法を探すのはたくさんあります。
これは網干さんが培ってきた処世術なのでしょうね。
私もこれは賛成しますよ。全ての人の話を聞く姿勢というのはなかなか精神に堪えますからねw
>今辛い時は
『これは神様からの試練だ。これを乗り越えたら、自分にご褒美あげよう。お疲れ、自分! 今日も良く頑張ってる。自分は誰より も偉い! 汗水垂らす自分、ステキ』
と自分を気持ち悪いくらい褒めちぎる。
自分の良いところばかりを探すことも大事。
そういう気持ちが出てこない時は、紙に書いたものを自分の目の届く範囲で貼り付ける。疲れた気持ちもリフレッシュするよ。
アドバイスまことに痛み入ります。網干さんは優しい方なのですね。私は網干さんのブログを拝見しまして、非常に魅力的な方だ な、と思っていました。願わくば、ずっとその網干さんらしさを大切にしていただきたいな、とまことに勝手ながら思ったりしており ます。しかし、そういうことはやはり網干さんの決めることなのでしょうね。それに網干さん自身の決めた道なら、結局はそれでいい のでしょう。それ自体が網干さんらしさの発露ですからね。
>お金の話なのに、全然関係のないことをつらつらとすみません。
いえいえ。私は話の脱線が大好きなのです。特に網干さん流の脱線は別にいいと思いますよ。私のことについてはあまりお気にな さらず、網干さんの思うことを書いていただけたらいいと思います。
2014年07月17日 11:33 by ササクレ
3
さて、もうすこし分かりやすい例に絞っていってみようと思います。
日本人の間には有意な環境の差異はあるかどうか。
現代では、教育格差が叫ばれておりますし、さらには、格差社会の問題において、親の所得が子供の学歴を決定する傾向にあるこ とはよく言われていることかと思います。東大生の親の五十パーセント以上が年収950万円以上であるという話も聞きます。そして 、これらの事情から、貧乏な人の子供は貧乏に、裕福な人の子供は裕福になるという、階級の再生産という機構が見られるという話も 聞きます。
以上のことから、同じ日本人の間でも、自分ではどうしようもない格差があるように思われます。
同じ日本人同士においても、格差、環境差があるのなら、人間はかなりの部分が環境で決まってしまうのではないか、という考え も自然にわいてきます。
実際には、一人の人間の力とは非常に微力なものであって、ならば、自己責任に帰属できる事柄もかなり少ないものだろうという 推測もできてきます。
一人でもできることはもちろんありますが、それはとてもわずかなことであって、人間には多くのどうしようもできないこと、つ まり環境差が深く根を下ろしているというふうに思えます。
なので、実際には、所得差は善人か悪人かによって決まるのではなく、つまり意志の必然によるものではなく、むしろ環境差によ って決まっているのではないかと私は想像いたします。
悪いケースの想定にも限度があって、ならば、ほとんどは自己責任ではなく、環境差によっているのだというふうに思えてきます 。
ただ、もうひとつだけ念のために付言しておくと、私は人間には不可能をこえる力があると信じています。なので、どうしようも ならないように思われる環境を変容させる力が、人間にはあると信じています。
2014年07月17日 11:01 by ササクレ
2
とりあえず、私はこの場では、環境を重要だとする立場を取ってみたのだとお考えくださって問題ありません。
もとよりそういう話の振りでしたものね。
さて、ポイントとなるのは、「自己責任」という言葉でしょうかね。
どこからどこまでが自己責任なのか。どの責任をどこの誰に帰属するのか。責任の限界はどこにあるのか。この点だと思います。
>環境のせいではなく、後先のことを考えない自分が悪いのです。
こういう言説ですね。ここでは、後先を考えることを自己責任だとしています。なるほど。これは十分にあり得ることかもしれま せん。しかし、この自己責任は何も世の中の全てのことに適応されるわけではないというふうにお見受けいたします。
>それでも、どうしようもないことというのは、世の中には存在しますね。
世界にはどうしようもないことがあって、どうしようもないことについては、もはや自己責任の範囲ではない、というふうに受け 取ることができます。確かに、何もかも全て自分の責任というのは考えづらいですし、そういった概念に有効性があるかどうかもやや 怪しい心持がいたします。
では、物事を自分でどうにかできることと、自分でどうにもできないことに弁別することで、責任の所在を示すことができます。 そして、自己責任ではどうにもならないものについては、自分の意志ではどうにもならないことですので、「環境」であるということ になります。網干さんの文章からは、「後先を考えること」が自己責任として挙げられています。では、他の部分についても吟味した いと思います。
>生まれたところも誰から生まれるかもわからない環境
ならば、どこに生まれ、誰に生まれるかは環境であるということになります。これはどんな階級の家に生まれるか、どんな親のも とで育つか、どんな教育を受けることが可能か、ということを左右する環境であると思われます。なので、この環境は、たった今列挙 しましたこれらの要因から波及するすべてのことに影響を与える環境ということになります。分かりやすいように極端な例をあげます と、通常の家庭に生まれることができれば、大概言語を話すことができますが、野生児の場合には言語を話すことができません。この ことから、環境が人間に与える影響は絶大なものであると思われます。
2014年07月17日 11:01 by ササクレ
1
網干さん、丁寧なお返事ありがとうございます。
私が話したことにこれほど熱心に反応してくださるというのは、なんというかうれしいです。大概の人は、私が何か話してもこれ ほど深く取り合ってくれることはありませんのでw
網干さんは悪いケースを積極的に想定して動くべきだと考える方なのだな、と思いました。
もしもの備えというのは大切ですものね。
網干さんふうに言うと、「備えをしていない人が悪いのであって、それは意志の問題であって環境ではない」ということなのでし ょうね。
しかし、如何せん、この問題はなかなか難しい問題でもありますよね。
>環境のせいというのは間違いではないかもしれません(というか、明確な答えはない)
そうですよね。「明確な答え」というのはなかなか難しいものだと思います。特に意志と環境の問題などは、「才能」と「環境」 の問題にも対比されて、非常に難しいものだろうな、と思います。
明確な答えはないので、誰もがとりあえずでどれかの立場を選ばなければならないのかもしれません。
一つは意志を重要だとする人。一つは環境を重要だとする人。一つはどちらでもないとする人。一つはどちらも重要だとする人。
おそらく、この四つのどれかから、明確な確証のないままに選びとらなければならないのだろうと思います。
そして、今回は網干さんは、意志を重要だとする立場をおとりになったということになるのでしょうね。
網干さんがあんまり丁寧に応対してくださるので、私もそれにお答えする形で、私の本心を少し明かしますと、私は、「どちらで もない」という立場です。ただ、これに触れるのは話の脱線が甚だしいので、自粛いたしますがw
2014年07月17日 11:00 by ササクレ
何故かと言うと、良いことがずっと続くわけではないことを本能的に知っているのに、悪いことから目をそらし続けていたから。私は 、今まで何度もそういう経験をしてきました。幸せな日常がずっと続くのだと思っていた矢先、人生のどん底かもしれないというぐら い、変な病気になったことがあります。原因不明の。
ですがそれもまた、自分が弱かったから生んだ原因であって、自分を鍛えることはできたはずなのです。それをしなかった自分が悪 い。
今のこどもがいじめに遭って自分の首を絞めるのは、こういうことも関係しているのかもしれません。が、環境のせいと言ってしま うのではなく、人はどんな環境でも自分の心次第で全く違う行動を取れるということを頭の片隅にでも置いておいてくださいませ。
たとえば人から無視されて傷付くよりは
『あ、わかったぞ。あいつら宇宙人なんだ。変な顔だし。だから言葉が通じないのか』
とポジティブに考えることもできるはずです。
何事もポジティブにとは言いませんが、傷付かない方法を探すのはたくさんあります。
今辛い時は
『これは神様からの試練だ。これを乗り越えたら、自分にご褒美あげよう。お疲れ、自分! 今日も良く頑張ってる。自分は誰より も偉い! 汗水垂らす自分、ステキ』
と自分を気持ち悪いくらい褒めちぎる。
自分の良いところばかりを探すことも大事。
そういう気持ちが出てこない時は、紙に書いたものを自分の目の届く範囲で貼り付ける。疲れた気持ちもリフレッシュするよ。
環境のせいというのは間違いではないかもしれません(というか、明確な答えはない)が、何でも人のせいにするのと等しいのでは ないかと私は思ってしまうのです。
必ずしも誰かのせいというわけでもなく、結局は自己責任です。
それでも、どうしようもないことというのは、世の中には存在しますね。
お金の話なのに、全然関係のないことをつらつらとすみません。コメントありがとうございました(・ω・)
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