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キリスト教

前々からキリスト教について色々調べたいなと思っていたのですが、最近読んだ本がようやく取っ掛かりになりました。

それで最近、本を買ったり借りたりして、色々と読んでみています。

まずは難しい議論抜きで、キリスト教や宗教全般について思う所を語り合ってみませんか?

2008年12月24日 23:14  by 

コメント一覧 30件中、11~20件表示

  • いつものことなんですが、空気読めない上に電波気味です。。。

    「宗教」というものが、地球に仕掛けられているトリックだと思ってます。とても巧妙な。
    そのトリックをどう見るか? どう利用するか、されてしまうか。
    全て個人の受け取り方次第で、文化や地域などによって特徴が見られると思いますが、いかなる○○教にも興味がなくて、今のと ころ私には不要なものである為よく分からないです。
    必要としてる人はすがれば良いし、活かせる人は活かせば良いくらいにしか感じない。
    もっと大人になれば興味も出てくるかもですが。

    神もサッパリ分からないですけど、私にとってはサンタクロースみたいなもんかなw
    サンタクロースはクリスマスにプレゼントをくれる人(?)ですが、実際にプレゼントをくれるのは両親などの身近なリアル人た ちで、サンタクロースではありません。
    だからと言ってサンタクロースは居ないのではなく、プレゼントを貰えたり、皆で集まってケーキや料理を食べたり、家族や恋人 に普段以上に思いを馳せたり、クリスマスが近づくとやってくる誰かを思う気持ち、楽しみ、ワクワク感、ウキウキ感、それが「サン タクロース」だと思ってます。

    ノサカさんの発言を引用させていただいて、

    >神様を信じている人たちはそれを神の思し召しって言うんだろうなって思いましたが、それは神ではなく、その人たちの気持ち です。
    神の思し召しなんて言ったら、その人たちに失礼だと思うのです。

    ここで言う「その人たちの気持ち」が「神」なのだと思ってます。
    神の思し召しというより、神そのものというか。

    神や宗教といったものに興味がないため、適当にいったん自己解決しちゃってる段階で、皆さんの意見を参考に、いろいろ経験し て、これから発展させていければいいな〜と思ってます。

    たまに「信仰」って何だろう?とは思います。
    「宗教」や「神」という言葉に興味はなくとも「信仰」という言葉には、ちょっとだけ心魅かれるものがあります。

    2009年01月20日 15:50 by

  • ゴルギアスさんへ
    天皇機関説やプラグマティズムと同じ立場を取ることは可能ですし、それによって社会学・宗教学的に宗教を分析するのは、有意 義なこととも思います。

    ただ、キリスト教を理解するには、その文学的・心理的側面を突っ込んでみる必要があるように感じました。

    なぜ、(日本人にとっては)理解しがたく「裁き」と「愛」が同居しているのか。「利益」とともに「損害」を与えるのか。

    また逆に、なぜ(欧米人・アラブ人にとっては、日本では)理解しがたく「裁き」と「愛」が分離しているのか。利益だけで、損 害は与えないのか。

    その根をたどっていくと、日本文化では母性原理が、欧米・中東文化では父性原理が支配的なことに、理由が求められそうです。

    2009年01月20日 11:43 by leprechaun

  • gelt改めleprechaunですw。

    ノサカさんへ
    死に瀕したさい、宗教が出てくるかどうかは、その人が受けた宗教的教育・環境や、その人自身の性格・資質に大きく左右される と思います。

    だからキリスト教的教育や家庭環境を持たないノサカさんに、神が「光臨」しなかったのは当然と言えば当然と思います。

    >というのは、例えば実は本心ではある人がその戦争をしたいだけなのに、これは神の裁きなのだ、正義の戦いだ、って言いたい がための神ってこと ですか?

    宗教が戦争の口実に利用されるというのは古来多々あったことですが、ここではそういう事を言いたかったのではなく、例えば朝 鮮戦争のような内戦、動乱のとき、今まで信じてきた秩序や道徳が崩壊してしまうわけです。

    日本支配が終わったと思ったら、今度はイデオロギー支配がやってくる。肉親、兄弟同士で疑いあい、殺しあう。戦線は半島全土 を行き来して阿鼻叫喚の様を呈する。

    そのような混沌とした状況の中で、全てに絶望し、自分の立ち位置を見失った韓国人の少なからぬ数が、生きる意味と指針を与え てくれるキリスト教に希望を見出したのは理解しやすいと思います。

    2009年01月20日 11:29 by leprechaun

  • 神を『道具(ツール)』と考えれば、多くの疑問は氷解しそうです。

    敬虔なキリスト教信者に、「大いなる父やキリストは道具ですよ」なんて言うと
    殴られそうですけども、実際『宗教』とは、そうした側面を強く持ちますし、
    信者達もそれを利用して人生を豊かにしています。

    『神』はあくまで人間が発明した、とてつもなく大規模なトリック
    (悪い言い方をすれば空前絶後の詐欺)に過ぎませんが、
    それは具体的に何かをしてくれる「超越的存在」ではなく、
    ただ単に超越的な存在──────なのでしょう。
    だから、利益を与えつつ、一方で被害(理不尽とも思える罰)を与えても、
    それは「神」の在り方としては無矛盾……そんなところでしょうか。

    2009年01月20日 06:33 by ゴルギアス

  • う〜ん、今ひとつやっぱり分かりません。

    私は自分が死にそうになったことは無いですが、母が難病に侵された際、あの手この手で治療を試みたものの一向に良くならず、 毎日の治療の痛みに苦しみ抜いた末、亡くなったという経験があります。
    借金があったので私は仕事を止める訳にいきませんでしたが、夜は付き添い、母が治療の痛みに声も出ず涙を流す様子を、何も出 来ずにただ見ていることしか出来ませんでした。

    神様は求めても何も与えてくれませんでした。
    母も薬で頭が朦朧とする中、幻覚を見ることがあったようですが、「看護婦さんにおまんじゅうを持っていって!」などと言って いたので、神様ではなかったようです。
    会社の人が1人、ご飯を作る時間もないだろうと料理を差し入れてくれたことと、親戚の人が休日の付き添いを変わってくれたこ とが本当に嬉しく、救われました。
    神様を信じている人たちはそれを神の思し召しって言うんだろうなって思いましたが、それは神ではなく、その人たちの気持ちで す。
    神の思し召しなんて言ったら、その人たちに失礼だと思うのです。

    宗教が心の支えになるというのは、最後の最後のふっと暗くなる瞬間の話ですよね?
    死ぬ瞬間に、自分が宗教に対してこれだけのことをしたんだから(これだけ信じているんだから)、天国にいけるはず、っていう 。
    死んでいく人ではなく、死にそうになっているくらいの人は、逆に神は何もしてくれない!って思いそうな・・・?

    なんかやっぱり宗教って良く分からないな、信じている人の気持ちも曖昧すぎる。
    試験が終わったら、きうちんみたいにキリスト教の本でも読んでみますw

    あと、lepさんじゃなくてw、 geltさんの書いてる、

    >戦争や自殺などの劇的な死の場合は、「世に屹立して自分を救ってくれる」宗教が必要なんだと思います。それはまた絶対神で あり、世の混 沌に裁きをもたらす正義の神でもあります。

    というのは、例えば実は本心ではある人がその戦争をしたいだけなのに、これは神の裁きなのだ、正義の戦いだ、って言いたいが ための神ってことですか?
    本人もなんかもう、自分でもそうだと信じてしまうくらいの神が必要という・・・。

    スミマセン、昔からそうですが、勉強不足で流れがよくつかめてないかもです(笑)。

    2009年01月20日 05:01 by のー

  • たぶん、「死」の定義が違うんだと思います。普通に生きていて、最後に死を迎える場合は、「そばにあってよかった程度」の宗教心 が最後にはものを言う」でしょう。

    一方、戦争や自殺などの劇的な死の場合は、「世に屹立して自分を救ってくれる」宗教が必要なんだと思います。それはまた絶対 神であり、世の混沌に裁きをもたらす正義の神でもあります。

    そのような混沌や動乱を経験した社会の多くは、一神教が盛んになることが多いようです。朝鮮戦争を経た韓国、ソ連邦崩壊後の ロシアなんかはその好例でしょう。

    2009年01月16日 13:21 by leprechaun

  • グレーゴルさん、こんにちは。

    日本人には確かに体系的な宗教は必要ないかも知れませんが、
    死などの限界状況にあっては、結局のところ「そばにあってよかった程度」の宗教心が最後にはものを言うと思います。

    そうした日本人の信仰心は、あまりに間近すぎてなかなか見えないものなのでしょう。

    2009年01月16日 07:55 by

  • 死にそうになったら宗教の意味がわかります。
    そばにあってよかった程度のものが、本人には大きな心の支えになります。
    日本人の多くが宗教を必要としていないということは、やはり豊かな証拠なのかも知れません。

    2009年01月15日 00:22 by

  • あえて日本的な目で「裁き」というのを好意的に解釈するなら、人間にとって罪と言うのは原理的に耐え難いものだ、というのがまず あると思います。

    だから、確かに裁くことは傲慢にも見えるし、裁かれるのは辛いことのようにも思えるけれど、罪は裁かれることで確実にひとつ の「区切り」になるのではないか。だからキリスト教の根底に原罪思想がある以上、やっぱり最終的には人間は裁かれねばならない、 と。

    なんだかんだ言っても、一神教の影響は現代文明のあらゆる分野にまで及んでますからね。とにかく理解しないことには…。

    >宗教は私にとって「胡散臭いもの」って感じがしてなりません。

    確かに、こっちが求めてる訳でも無いのに宗教のハナシをされると困りますね。
    それこそ聖書にある通り「求めよ」、さらば与えられん、なんですよね。

    専門的に調べていっただけでも、余りに深い信仰にに行き当たると息苦しさと閉塞感を覚えます。
    なのにひと足飛びにいきなりディープな部分から説明されると、こっちとしては引くばかり。

    2009年01月09日 18:29 by

  • そうですね〜、向こうの人は、裁きと愛は表裏一体と考えているように思います。裁きという峻烈さを伴わない愛は、むしろニセモノ 、と捉えている。

    日本やガンジーの非武装中立論や、非暴力主義が理解されがたいのは、この辺に理由の一つがあるようです。

    どちらが良い・悪いかを「裁く」つもりはありませんが、そういう峻烈な価値観を理解しないと、世界の半分は理解できないとは 痛感します。

    2009年01月08日 02:57 by leprechaun

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