本は買って読め!
ある人が図書館で借りた本の感想をブログに載せたところ、その本の作者が「本を買わずに借りて読むのは、その本の作者に対して失 礼。本当に好きなら、買って読め、買わないのは愛情が足りない証拠だ」と抗議してきました。
作者に言わせると、「本はゲームやケーキなどという下賎なものとは違い、文化を司る重要なメディアなので、それを借りて済ま せる人は、教養のない野蛮人」(意訳)だそうです。
あなたはそれに対して、どう思いますか?本は借りて読むべきですか、それとも買うべきでしょうか?
2009年01月28日 00:28 by leprechaun
よく知らないのですが、CDやDVDはレンタル料の一部?が作者か製作会社に入るのですよね?
消費者が「タダで借りて節約した♪」と言うのが気に入らないのであれば、本の作者や出版社もそのようなシステムを作れば良い のだと思います。
コメント欄にて作者さんは、外国の図書館では出版社に使用料を支払っているというサイト(http://wakataker u.blog105.fc2.com/blog-entry-660.html)を紹介され、日本でそうしないのは本が特別だか らだ、という話の流れに持っていこうとしていましたが、私はそれは作者さんが視点をうまくずらそうとしているようにしか思えませ んでした。
本は特別だけれど、だから図書館が使用料を払っていないのではなく、ただ単に出版業界がそういうシステムを作ろうとしていな いから払っていないのだと思います。
それはlepさんが指摘した「文学は特殊なもんだ、という文士感覚が残っている」、「その奇妙なプライド」のせいだと思うの です。
お金のことを言うのなら、中途半端に回りくどく読者の心意気といったものに訴えたりするのではなく、CDやDVDの業界のよ うに商根性丸出しで本気になって、図書館に使用料を支払わせれば良い、と思うのです。
2009年02月26日 15:29 by のー
面白いのは、CDや漫画だと素直に買って応援してあげる・あげられるという雰囲気が出来上がってますが、本、特に純文学系の世界 ではそういう雰囲気が乏しい点ですね。
文学は特殊なもんだ、という文士感覚が残っているようで、その奇妙なプライドが、「買って読まずば人にあらず」という発言に つながるのでは。
2009年02月18日 12:29 by leprechaun
確かに、好きな本、好きな作者なら、図書館に行く間も惜しんで、平積みにされているのを即購入! ということがありますね。
ただ結局のところ、これは作者と読者の意思疎通の問題になるのかなと思います。
読者は、常に作者の意図を気にして、購入し、読まないといけないのか。
また作者は常に読者のニーズを意識して書き、その作品に関して発言していかないといけないのか。
正直これは個々の考えや思いがあるだけですから、最終的にはフタを開けてみないと分からないんでしょうけどね。
「これから書かれるもの」と、「すでに書かれたもの」があって。
また「これから読まれるもの」と、「すでに読まれたもの」があって。
でも「これから書かれるもの」は、書かれていないんだから、存在しないも同然です。
また「すでに読まれたもの」もあり得ません、これから多くの人が時代を超えてどんどん読むかも知れないからです。
とすると、結局のところは「すでに書かれたもの」と「これから読まれるもの」が存在するだけで、作者と読者の意思疎通は終わ らないまま、永遠に読まれ続けるのでしょう。
学生の立場から言わせて貰えるならば、『だが金はない』。
好きだ、また読みたい、手元に置いておきたい。でも現実的に
叶わない。“学生だから”に限らず、そういう場合はやはり借りてしまうのでは
ないでしょうか・・・?
つまらない意見で恐縮ですが、やはり
「愛情=金銭」は昔からの方程式ですし、一番分かりやすいのではないでしょうか・・・?著者が「本は買って読め」というのな ら、学生は「買いたいので
安くして下さい」としか言いようがない場面もあります。
親の脛をかじっている年に、図書館はなくてはならない存在だと
思います。
「買わないのは愛情がないからだ」と言われれば、
「分かりました。買います、でも、愛情を本に捧げ続けて、もし私が一文無しになったら、作者(貴方)は私をバカだと罵らず、 世界一の読書家だと敬ってくれるのですよね?」
と言ってしまうのかも知れません。
乱文で申し訳ありません。
私自身は、本にはほとんど執着はありませんね。電子本に移行できるなら、今すぐにでも移行したいタイプですw。
文章も書きますが、それで儲けようと思ってはいないので、図書館という存在に矛盾も感じてはいません。
書き手としては異常wかもしれませんが、一般人の、本に対する感情はこんなもんじゃないでしょうか。
2009年02月10日 02:44 by leprechaun
あ、皆さん僕のことは「寝ぼけネコきうちん」だと煩雑なので、適当に略称で良いですよ〜。敬称略でも構いませんし。まぁ適当で。
そういえば某評論家が、本を読む時は印象に残ったページに印をつけて、折に触れてそこを何度でも読み返すような機会があれば それば立派な「愛読書」だという言い方をしてたのを思い出します。
僕はそれが印象に残っていたし、勉強する時はそういう方法を使いますが、でも小説や図書館で借りた本は関係ないんですよね。 考えてみると。
まあそれは余談ですが、ここで改めて皆さんの書物に対する思いを読むと、価値観や脳みその構造は本ッ当にそれぞれ違うものだ なァと感じますね。
ひこ222さんのご意見は、ほんと、読者の素直な意見だと思います。
私はゴルギアスさんとは少し違っていて、本に執着を持つことがあります。
読んで心の内部に深く食い込んでくるような小説や詩、短歌の本や画集、写真集などは、それほど頻繁に再読しないものでも手元 においておきたいと思ってしまいます。
あと、ひこ222さんのコメントにあった、役に立つと思われる本も手元に置きたいです。
私が著者さんから受け取ったメッセージは、DILIさんのコメントにあった「あなたの言いたいことは良く分かった」というこ ととは少し違いました。
それもコメントを続けるうちに、後のほうでおっしゃっていましたが、基本的なメッセージは、著者さんが”「面白かったけど、 この本は図書館で借りて正解だった」とか「買わずに借りてよかった」と言うような人が嫌い”、”そういうことを公共の場で言うな んて人間性を疑う”、ということだったと思います。
私は著者さんが私を嫌いだというのは別に構わないのですが、自由に発言、表現することを生業とする書き手側の人が、人の自由 な発言について上から(本、著者は特別だというコメントで上からだと気づきました)抑えようとすることに違和感を感じました。
DILIさんのおっしゃるように、あの本には、「短歌の普及啓蒙に対する想いと、『作家が生きていくには、今の世の中は辛く 険しい』といったメッセージが明確に書かれて」いたと思います。
ですが、あの本は残念ながら、私にとっては「買うまでもない本」でした。
好みがあると思うので、あくまでも私にとっては、です。
一生懸命書いたのに買わなくて申し訳ないとも少しは思いますが、情けをかけられるほうが著者さんにとって屈辱だと思うので、 情け容赦はありません。
あの後、あの本に載っていた歌人の何人かのサイトに訪れ、短歌を読みました。
図書館と同じですねw、サイトでタダで読みましたが、その中で数人、素晴らしいと思える人がいたので、その人の本を取り寄せ ました。
そしてやはり、「買うまでもない本」と「手元に置いておきたい本」は存在する、との思いが強まりました。
やはり才能が光る本は、誰が何をブログで書き散らそうがw、自然に人の心をとらえ、売れるものだと思うのです。
2009年02月05日 21:58 by のー
付けて加えるならば、わたしは『本自体』にはあまり愛着がありません。
(そんな小説書きもいるのです)。読んだ本は、だいたいすぐ処分します。
手元に残すのは、再読率の極めて高い本だけですが、基本、小説などは
一度読んだら満足しますから、殆ど再読しません(例外は、かなり少数)。
・・・・そう、『詩集』などは、手元に残りがちですね。ふと、何かの折り、
ちらほらと目当てのフレーズを再読したい、という気持ちになります。
コンテンツの『濃度』の差・・・なのかも知れません。ただ、古典詩集は現在
「青空文庫」で結構補完可能ですから、その辺の著作は我が書棚から消えました
(島崎藤村、竹久夢二、中原中也、宮沢賢治、夢野久作あたりですか。尤も、
外国詩集の「青空文庫化」は遅々としているようですので、当面エミリィ・
ディキンソンやポーの詩集は残ると思われます)。
ちなみに、日本文学(純文学)が停滞しているゆえんは、単純に才能が他分野
(お金になる分野)に流出したからだと考えています。
2009年02月05日 05:35 by ゴルギアス
わたしは寝ぼけネコきうちんさんと同様「小説書き」で、それもプロになって
実際に自分の本を売ろうという立場ですから、近視眼的に考えたならば、
「できれば買って欲しい」が本音となるでしょうね。
ただ、ここから先は個人的意見となりますが・・・図書館のパブリシティ的な
効果も、「広報面」から考えると案外悪くないかな、というのも一方であります。
書店の「棚争い」というのはなかなかに熾烈で、売れない本はさっさと撤去、
という厳しい現実がありますけども、図書館の陳列棚にそうした競争原理は
基本ありません(え? というようなマイナー+古い本があったりしますよね。
丸山健二の話が出ましたが、あの人の本も書店で探すのは相当至難です)。
また、大人に比べ、子供はどうしても自由になる金銭に制約がありますから、
読みたい本は図書館で、という話になりがちです。子供達は、お金がなくても
「時間」はありますから、仕事を持つ社会人などとは違い、開館時間に制限の
ある図書館利用も楽々。
わたし達「売り手」からすれば、これは『未来の顧客候補生』です。
図書館でそうした子供達が『読者』になってくれれば、将来、ふと書店で
目に留まった我が新作を、手に取ってくれる確率はいくぶん高まるでしょう。
故に、わたしは図書館の存在自体について危機感を持つどころか、逆に
無くなって貰っては非常に困る・・・そんな意見を持ちます。
2009年02月05日 05:35 by ゴルギアス
私は物忘れが激しくて、前に読んだ小説の内容は忘れてしまいます。以前は図書館を良く利用しましたが、買った本の内容は少しは覚 えていても、借りた本の場合は殆んど覚えていません。
単身赴任先の図書館は勤務時間内に閉館してしまうし、土日を過ごす自宅近くの図書館はバスで片道250円かかるし、これらの ことから、私は本は購入して読むこととしています。
本を手許に置いておくと、ブログ等の書評で自分と違った解釈に触れたりした時、読み返すことができます。でも、私は物忘れが 激しいので、読み終えた本をどこに保管したか忘れているのですw
ノサカさんが著者とバトルした本、私も読んでみました。そこには、短歌の普及啓蒙に対する想いと、「作家が生きていくには、 今の世の中は辛く険しい」といったメッセージが明確に書かれていました。
出版業界はかつて、電話と机があれば誰でも出来ると言われていました。そこで目先の利益を追求し、インフラ整備を怠ったばっ かりに、近年では出版会社の倒産が相次ぎ、良質の作品、有望な作家が生まれづらい状況になっているのではないでしょうか。
著者がノサカさんに言いたかったのは、lepさんの(意訳)の部分ではなくて、「あなたの言いたいことは良く分かった」とい うことだと思います。
図書館でも、書店でも、どうでもいい問題です。
2009年01月31日 16:00 by DILI
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