死刑について
「あなたは死刑について、どう思いますか?」
あなたの大切な人が殺されたら?
あなたが人を殺してしまったら?
家族や友人が誰かを殺したら?
テロなどで無差別に人を殺すような人は死刑ですか?
一人を殺すのと複数殺すのは違う?
状況によって違う?
冤罪は?
賛成、反対、良い、悪い、ここは理解できるけどここはダメ、こうした方が良い、などなど、どんな意見でも構いません。
「人間の一回きりの生を人間が終わらせる法律」について、話し合いましょう。
・・・と言いつつすみません、トピ主の礼儀?かもなので先に書いておきますが、お一人ずつへのレスは出来ないと思います。
私はレスを短くまとめるのが苦手で、レスにとても時間が掛かるのです。
勝手で申し訳ありません(汗)
コメントは気まぐれになると思いますが、皆様どうぞお気を悪くしないでください。
とあるブログのlepさんのコメントから、トピックを立てることにしました。
http://no123.blog86.fc2.com/blog-entry-1782.html#comment57 40
2009年02月26日 14:47 by のー
前稿からつづく
「1」について
裁判官も やはり、サラリーマンであり、かつ、人の子ですから、せっかく エリートコースに乗って 昇進し、「高裁」・「最高 裁」 へ入ったのに、時の政権の立場と 異なる判断を下して、次の 人事異動で、どこかの簡易裁判所へ 飛ばされたくはないわけ です。
また、自分を引っ張ってくれた 先輩の見解を 否定するような ”判決文” は書きにくいし、将来の恩給のことや、叙勲の名簿 に掲載してもらうための ”推薦” を受けることが出来るのか否か (また その順位) についても、大きな関心を 抱いている ことでしょう。
さらに、組織に付きものの ”派閥” のバイアスもかかってきますし ・・・・・
「2」について
ここでは、ある法務大臣のケースを見てみましょう。
任期の終盤に 自身の党内での立場が微妙な時に、( うがった見方をすれば 話題づくりに ”利用された感” が残るような ) 一挙に大量の、異例ともいえる 刑の執行 ・・・
これにより、”マスコミ” への露出度が 一気に高まって ・・・・・
「3」について
ここでは、刑務官に焦点を合わせて見てみましょう。
「刑務官」 といえども、もちろん、感情を持った、生き物としての ”人間” ですから、なかには 公正性を没却した人物もい るでしょう。
また、自分に反抗的な態度をとった受刑者や あるいは そうでなくても ( たまたま その日に家庭でもめ事があったりして、 気分がむしゃくしゃしていたとか ・・・ などなど )、所内においては ”オールマイティの絶対的権力者” でありますから ( もちろん、外部のチェックはなされないが故に )、特定の受刑者に目をつけて、イジメ抜くこと なんかは ほんのさじ加減一 つで、いかようにも 出来てしまいます。
そして、その受刑者に関してなされた ”捏造された” 記録を元に、「死刑」 の順番が早まって 決まってしまう、という場面 もないとは言い切れません。
これらのことを 合わせ考えてみると ( さらに、冤罪の可能性をも 考慮するとき ・・・ )、どうしても 「死刑」 とい うものは ”封印” されてしかるべきであると 思わざるを得ません。
また、このことが、もちろん、被告人の「免罪」 を意味しておりませんことは、ご案内の通り。
さらに、1000文字規制にかかりましたため、三稿へ
こんにちは。
アボ子 さんのご意見、読ませていただきました。
>個人的にわたくしとしては、
重罪を重ねれば死刑、重罪は鞭打ちなんて刑が理想です。
レトロですが鞭打ちは刑務所に入るより相当痛そうです。
とても ユニークな見解をお持ちで、私自身 「ハッ」 と気付かされることもあり、また、日頃 慣れ親しんだ発想とは 異なる 世界を 知ることもでき、大変勉強になりました。
何だか、自身の世界が、少し 広く、そして、彩りを加え 多様になったように感じました。
どうもありがとうございました。
そこで、この場を お借りして、再び、「死刑」 というものについて、考えてみたいと思います。
誤解を恐れずに、あえて 書かせていただけば、私は、「死刑」 というものを、「社会制度」 の中の一つとして 捉えておりま す。
しかも、当該 制度は、( ”政権の交代” などという ) 「前提」が ほんの少し変わるだけで、いかようにも 運用されて しまう、きわめて 完成度の低い 「制度」 であって、その潜在的な危険性は 計り知れないものがある、と認識いたしております 。
「死刑」 について、たとえば、ざっくりと イメージすれば ・・・
1: 「死刑」 判決の確定
2: 法務大臣の 「署名」
3: 「死刑」 の執行
このとき、わたくしは 特に、「1」・「2」 のプロセスに ある種の "胡散臭さ" を感じてしまいま す。
1000文字を超えてしまいましたので、次稿へ
皆様のコメントをさらりと読ませていただきました。
大きな要素となっているのは
死刑肯定 ・費用 ・被害者やその家族の感情 ・罪の償い
死刑否定 ・免罪 ・人権 ・道徳
等ですよね。
死刑にはただ単に償いというだけでなく、
それ以上犠牲者を出させないという意味もありますし、無くさないでほしいです
個人的にわたくしとしては、
重罪を重ねれば死刑、重罪は鞭打ちなんて刑が理想です。
レトロですが鞭打ちは刑務所に入るより相当痛そうです。
こんにちは。
ゼーゼ さんの ご意見拝見致しました。
>死んでしまったら改心も贖いもないのに、死刑が被害者遺族に何をもたらすでしょうか…
おっしゃられるように、この視点を 看過せずに、一番の根底に据えて 考えを 積み重ねていく 必要性があることを 再認識致 しました。
また、そのこととは 直接 関係しないのですが、ふと、思ったことがあり、書かせていただきます。
それは、「刑務所」 の中での生活のことです。
私自身、そこで暮らした経験がないので、ルポや 新聞記事 等での 知識を基にした 一面的なものにすぎませんが ・・・ 塀 の中での生活は、果たして、「自分のなした罪の重さを 深く考え、改心する」 ことに 資する環境であるのだろうか ・・・・・
いろいろ 信じられないような ショッキングな出来事も 現実には 存在しているようです。
( 元受刑者の方々が、刑務所関係者を訴えて 記者会見をした、ということも しばらく前に ありました。 また、安土茂著『 ああ大阪刑務所四区』 他 )
「死刑」 とは、異なりますが ・・・ これらのことについても 合わせて 考えていかなければならないことと 個人的に感じ ております。
時々紙面に載る 受刑者の方の死亡事故の記事 ・・・・・ その点と点が線をなし、像を紡ぎだしたとき ・・・・・・
人間を そして、社会を 考えるに際し、私たちに 新たな視点を投げかけてくる 大きなテーマではないかと ・・・・・
ゼーゼ さんの 御意見を契機として、自分でものを考える という時間を 持つことが出来ました。 どうもありがとうございま した。
初めまして。新参者の若造ですが考えさせられました。
人間は無意識のうちに死という自我崩壊を常に恐れているという話を本で読んだことがあります。しかしその本のどこにも、死が最 たる不幸であるなどという記述はありませんでした。
犯罪者に何言う権利はありません。しかし冤罪や、犯罪者の家族のことを考えると、死刑制では更なる悲しみが連鎖するだけではな いでしょうか。
死んでしまったら改心も贖いもないのに、死刑が被害者遺族に何をもたらすでしょうか…
そう、若造としては思うのです。すみません、本当に自分の感想だけですが。
2009年11月17日 22:23 by ゼーゼ
こんにちは。
Oh!!ヌマ さんの ご意見、読ませていただきました。
>犯人に時間を与えること、それが一番大事だと思います。
なるほど、”時間”というものの 大切さを つい 軽視しがちでした。
「死刑」 という問題の性質上、我々には どうしても その ほんとの姿を 身近に感じることが出来ないため、事件の スター トとゴールを あらかじめ 決めてしまい、そして、この2点を むりくり結びつける ・・・
そんな、「テクニカルな ロジックの 運用」に 陥っていたのかもしれません。
犯人の立場からは、 「 自分のしてしまった犯罪行為の意味を考えるための ”時間” 」 ・・・・・
社会的な立場からは、「 冤罪の可能性・更生の可能性・社会への影響 などを 判断するための ”時間” 」 ・・・・・
遺族の立場からは、「 心のキズを 癒すための ”時間” 」、また、「 それが決して 不可能だとしても 事件の前の状態に ”時間”が 戻ってほしいという願いにおける ”時間” 」 ・・・・・
このような 多くの ”時間たち”のことを 考えるための 「時間」を 決して、「節約してはならない」、ということを 改め て、気付かされました。
もちろん、我々は、”神ならざる身”である人間ですから、これらの ”時間たち”を 「絶対善」という 唯一の 基準で 比較 して、「 どちらがどれだけ重要か ・・・? 」 なんて、裁くことなど はなから 出来はしませんが、それでもなお、「時間」 をかけて、考えていき 結論を 出していかなければならないのでしょう。
そう考えていくと、「人が人を裁く」 ということは 本当に 想像を絶する行為なんですネ。
近時始まった 「裁判員制度」についても 自分なりに、また 改めて、考えてみたいと思います。
Oh!!ヌマ さんの 御意見が 契機となって、この場をお借りして、いろいろと 考えることが 出来ました。
どうもありがとうございました。
では、失礼致します。
僕は法はよく分からないので精神論で意見を述べさせてもらいます。
死刑というものは「死んで償う」つまり死ぬことで赦される、ということです。
生きていれば人間は何にでもなれます。
また生きていれば、色々なことを考え、そして悩むことができます。
その無限の可能性を断ち切ってしまうのを本当に赦しと言えるのでしょうか。
生かされ、大いに考えさせてこそ赦しと言えるのではないかと僕は思います。
ですから、死刑制度を廃止して懲役刑によって犯人に時間を与えること、それが一番大事だと思います。
2009年11月01日 23:41 by Oh!!ヌマ
はじめまして。
私の 現在の 考えを 述べさせていただきます。
結論 : 制度としての「死刑」には 反対です。
議論の前提 : 私の「死刑」の定義は、「死刑とは国家による殺人のことをいう」です。
( ※ 「殺人罪」ではなく、「殺人」ですので、最広義では「戦争」も含まれますが、ここでは論じません。)
反対の理由 :
1 : 時の為政者による 反対派への弾圧に 用いられることを あらかじめ 防止するため
2 : 「冤罪」の可能性を いつも 考慮すべきであるため
大きくは 上記の2つです。
( 「犯罪抑止効果」・「遺族の感情」・「加害者の人権」・「人道的見地」・「更生の可能性」・「社会秩序の維持」 ・・・・ ・、 etc について、私は 考えれば考えるほど ” 無限のループ ” に陥ってしまい、・・・ 「ケースバイケース」 としか言えませんので、論じることは控えます。 )
上記 「理由」の 補足を少し お話させていただきます。
「1」について :
これは 戦前の 「特高警察などによる虐殺行為」を許してしまったことへの 反省から、どうしても 外せない ものです。「 いかなる場合にも、国家によって 人は その命を奪われることはない 」という、至極 当たり前のことを 大切に思いたいのです 。
「2」について :
これは、つい最近も ありましたが、まったくの 「 他人ごと 」、ということではなく、いつ自分の身に起こっても不思議では ない、もっと 身近に考えるべきことである、と思うからです。
( 「科学的捜査の目覚ましい進歩」ということは、裏返していえば 「 現時点のレベルは まだまだ 改善の余地があり、その 結果を 過信してはならない 」ということでもありますから ・・・。)
以上です。
最後に、多くの方々の 御意見を 拝読し、おおいに 啓発されました。
自分で ものを考える 良い契機となり、大変 勉強になりました。
どうもありがとうございました。
それではまた、失礼致します。
はじめまして・・
死刑制度論に関しては、法学的視点での限界論と人権射程の問題が大きな課題でありますが、最近では二つの問題点を感じています 。
①死刑を希望している犯罪者への応報対応
②死刑を希望しない被害者感情と民意の乖離
個人的には、原則的に死刑廃止を希望していますが、仮に、加害者・被害者・民意・法的要件を全て満たしているケースでは死刑執 行は適切だと思います。
つまり、死刑によって誰の自己決定権も尊重されるケースです。
この考えの俎上には、安楽死や贖罪意識まで含めた問題提起が可能だと思いますが、
死刑制度を全面的に廃止・存続という急進的な意見対立ではなく、
関係者各位の自由権を最大限に尊重できる刑罰制度が目標であるべき、と思っています。
なお、死刑の抑止力に関しては、死刑を目指して犯罪を犯す事例が増える社会を想定すれば、懐疑的にならざるをえません。
もっとも、刑罰が抑止力になりえるのは事実であるにしても、程度論で考えるべきで、抑止力論に関しては議論に適さないと認識し ます。
さて、少し視点を変えさせてもらうと、死刑によって被害者が癒されるわけがないことを問題にする意見もありますが、被害者感情 を第三者の我々が問題にする必要性があるかと思います。
では、第三者の我々が社会の代表として一人の人間の生死を簡単に論じていいものか?という問題もあろうかと思います。そして、 人権概念に関しても、いわゆる自然法主義・法実証主義では異なるわけで、法学的アプローチの必要性は死刑制度の是非を論じる上で は重要だと言えます。
極めて主観的な見解ですが、人権概念に関して法実証主義的な日本ならば死刑制度は許容されると思いますが、現代社会の社会秩 序を鑑みるに、法治主義の限界のような過剰な民主主義的視点からの死刑制度論が多いことには、若干不満があります。
諸論ありましょうが、争論つきない話だと愚考します
今更突然書かせて頂きます、北落師門です。
刑法には謙抑性があります。刑罰は最後の手段として使われるということです。
つまり、刑罰はできる限りは適用がないようにというのが、現行法の理念となっています。
反対の方は死刑が非人道的だとよく言われますが僕としては現行法の死刑はそんな苦しくもないそうですし、死刑自体は非人道的 でなく、非人道とするならば、本来確定後半年以内に執行すべきところを平均7年半もの間、明日死ぬかも知れないという恐怖に耐え つつ過ごさねばならないという点にあると感じます。
また誤判問題ですが、冤罪や心神喪失の疑いがあるときには更に死刑が先延ばしにされる傾向があるので、結果的には懲役刑の冤 罪を考えるのと同じような話になります。30年を過ぎれば刑罰時効が成立しますし。
死刑は国家の殺人罪だという見解もありますが、これは納得しかねます。
刑法には逮捕・監禁罪もあります。身体の拘束・懲役/禁錮はこれらに当たるのではないですか? ですがこれらに反対する人は 見たことがありません。
加害者と被害者の平等という事を求めるのなら、つきつめるとハムラビ法典に戻ってしまいます。
また被害者もしくは遺族の復讐のため、と考えるのなら刑罰は応報刑論のみに基づいたものになってしまいます。
現行法では目的刑論も採られています。犯罪を抑止するという考え方で、一般予防(普通人への警告)・特別予防(再犯を防ぐ) に分かれます。
異常人に対しては効かないだろう、とどなたかおっしゃいましたが(すみませんどなただったか忘れました)、異常人=心神喪失 ・耗弱であればまず死刑にはなりません。ですが別の異常人であるサイコパス(精神医学的には反社会性人格障害)は本当に死刑が怖 くありません。他人の未来に無関心なのと同じく、自分の未来にも無関心だからです。これは実に少数なので、あまり問題にはなりま せん。
幾ら凶悪犯罪者でも死ぬのはやはり怖い。だから精神鑑定で詐病したり、弁護人と相談して殺意を否定したり正当防衛を証明して みるのだと思います。それが犯行時に頭の中で冷静に考えられるかは保証できませんが。そうすると、死刑には抑止力がない事にもな ります。
でも、金を得るのが目的であるとき「強盗して顔見られたらヤバいから殺そう」が空き巣やスリといった穏やかなものに変わる事 も否めない気がします。
2009年05月05日 00:09 by 北落師門
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