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生きることについて


生命ってなんなんでしょうか?
生きるってなんなんでしょう?
その人それぞれの生きる、生命について教えてください

2010年03月07日 16:16  by 

コメント一覧 51件中、31~40件表示

  • 結局は個人の問題で、生存者が何を言っても憶測にしか過ぎないということですね…



    人生の目的というか、私たちは命をかけて何をすべきなんでしょうか。

    2010年07月26日 08:09 by

  • 人生はこうだと、決め付ける人が、そうならなかった時に、間違うんでしょうね。
    はじめから、人生というものを決めなければ、間違うこともないという、理屈です><

    2010年07月23日 12:39 by

  • 人生について


    亜架里さんの言う通りだと思います!

    最後に、「わたしの全人生はこうだった!」といえるものですもんね。


    ただ、私と亜架里さんの意見で異なるところは、
    私は、人生に答えはないと考えています。だから、間違えはないんじゃないかと思っています。

    あ、でも、不幸だと思える人生は間違いだと思いたいです^^。

    2010年07月23日 12:35 by



  • それは人生の最期にわかる。
    だからその答えを出すまでの過程が《人生》であり、今はその計算の途中式を解いているような状態。


    その答えは人によって異なる。


    それは死の直前にわかるものだから、誰にも教えられない。

    だから今生きている時点で「人生とはこういうもの」とわかる人間はいない。
      

    そういう人間は間違っているが、指摘しなくても最期に間違いとともに真の答えを理解する。

    と私は思います(>v<)

    2010年07月23日 09:25 by

  • 関係についてですが、自然とは地球におけるサイクルで、生命はその一部でしか無いと考えてます。



    それからこのトピックで今私が感じた疑問は、
    生命は本能によって生きるとすれば、具体的に本能とはなんなのか。
    本能が脳などの"生命"の集合体によって機能するのであれば、
    単細胞生物はどうなのか。単細胞生物の本能とは?

    何故火や水には本能が無いと言えるのか?
    単細胞の生物がいるのならそれよりもっと小さなスケールの生物もいるのでは。
    などです。

    本能の有無は結局のところよくわからないと思うのです。

    2010年03月27日 05:10 by

  • >>せいちゃんさん
    本能がなければ生命ではない、確かにそうかもしれません・・・・

    その解釈であっています。
    すみません、わかり難い持論で・・・・

    >>アボ子さん
    生命が自然をつくるのか、はたまた生命が自然をつくるのか、ということに論点を絞れると思います。

    振り出しに戻るような議題、すみません

    2010年03月26日 13:17 by

  • 分解すれば私達の体は細胞、私は一人ですが同時に60兆個の命でもあるわけですね?

    生命を維持するために本能が有り、本能があるゆえに生命があるのだとすれば、
    生命とはなんであるかまた振り出しに戻りそうな気がします。

    遺伝子情報を残したから今彼らは居て、後に残るために必要だとは思います。
    でもそこに居るためだけに生きているのでしょうか。
    生きるためだけに生きているのでしょうか?


    自分の生命によって自然を動かしていて、自然を動かすために生きているのではないでしょうか?

    要するに私は、生命⊃伝えるもの だと考えているのです。

    2010年03月24日 05:27 by

  • 新しい議論の種が・・・。

    さて、現実の仕事が忙しいため、アボ子さんの質問へ直接接続する文体でお答えさせて頂きます。

    「生存本能」とは、生命が今日に至るまで世代を重ねるうちに定着した、次の世代に情報を伝えるための期間を出来うる限り継続さ せようとする生命の根幹に根付くプログラムとも言えるのではないでしょうか。
    外敵から身を守る防衛本能などが例として挙げられると考えます。

    「自己」とは、生命として存在する個体を言い換えた言葉です。

    私の生命の定義にもありますが、その様な存在こそ生命であると考えます。

    自発的に動いているということは、すなわち無意識という意識、言い換えるのであれば、前述した「本能」を持つものであるという 私の論点から、それらのものも生命であると考えます。

    私はあらゆる生命は、本能というその根幹にある命題の遂行のために生きていると考えます。
    しかし、脳の複雑化や神経系の発達が進んだ私たち人間という種が、その命題の遂行に至るまでの課程やその手段に富んでいること は、私が自らの生命の定義にその一例を挙げた通りです。

    私の生命の定義では、本能を持たない生命は存在しないことになります。
    また、障害を負った人の脳が自発的に失ったその働きを別の部位に移行させて補う事例のように、欠如した本能の一部は必ず何らか の形で補われるはずです。
    よって、本能を持たない存在は生命で無くなるという議論の前に、そもそもその様な存在は存在し得ないものであると考えます。

    故に、ここに改めて、命のバトンをつなぎ、その個が取得した情報を次の世代に伝えるという行為を「生きる」と定義し、また、そ れらを本能のもたらす無意識のうちになす事の出来る存在を「生命」と定義させて頂きます。
    私は、ここに逆転現象は感じません。
    以上、荒削りの文章になりましたが返答とさせて頂きます。

    さて、だら&だらさん、初めまして!!
    失礼ながら、ご返答をさせて頂く前に言葉の認識にぶれがあっては今後の議論に触りますので、
    まずは、だら&だらさんの生命の定義を私なりに解釈させて頂きます。
    「生命とは、個体・気体という単一な「物質の状態」から解放されたものであり、かつ、自然に対して何らかのかたちで影響を及ぼ すものである。」
    こちらで、間違い・勘違い等ありませんでしょうか。
    ご返答、お待ち致します♪

    2010年03月23日 21:59 by せいちゃん

  • しがらみは捨てられないと思います!

    けど、生命の必要条件として自然への関与を認めます。

    2010年03月22日 04:26 by

  • 論議の最中にすみません。

    生命とは単純に個体、気体などのしがらみを捨て、自然に対してなんらかの影響を齎すものではないかと思うことがあるのですが、 お二方はどう考えますか?

    2010年03月21日 20:36 by

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