「生存本能」と「自己」についてのご説明をいただけませんか?
自分の情報の一部を「伝えようと」すればそれは生きているということですか?
自発的に動いてさえいれば"意識"は存在するとお考えでしょうか?
愚考ながら、私は"生命"の定義は情報の伝達等に依存するものでなく、
本能は生存を保持するためのものだと考えます。
生きるために本能があるのであって、本能のために生きているのではないと思うのです。
本能が作用しているから私たちは70年80年と生きられますが、私がもしこの瞬間本能が欠如し、性欲やら活力やらをなくして他 人との関わりを絶ってしまったら、私は生命でなくなってしまうのでしょうか。
命のバトンをつなぎ、何かを伝えるのは結果であって定義ではないとわたくしは存じます。
ご返答ありがとうございます。
蛇足ながら、一点のみ以下において議論の補足をさせて頂きます。
アボ子さんの生命の定義にある、木々や単細胞生物も生命であるという主張は、
私も自らの生命の定義の中において、木々や単細胞生物も個体としての「生存本能」を有し、かつ、次の世代に生を伝えるという「 自己保存本能」を持っているという論拠から、脳という組織の有無に関わらず、遺伝情報に乗っ取った無意識を有する存在として、生 命であると同意できるものであります。
今回は、実に大学卒業以来の「積み上げる議論」をさせて頂きました。
では、どなたかが新しい議論の種を蒔いてくれることを祈りながら。。
2010年03月20日 19:35 by せいちゃん
ご質問、ご返答ありがとうございます。
多分私の考える人間においての"生きる"という行為は、
貴方の言う文化の継承を含みます。
誰かと接点を持ちさえすれば、生きることになると私は思っているのです。
残念ながら、私にとっての"生命"と貴方にとってのそれは考えを異にしているようです。
私はアメーバやその他の単細胞生物や植物のように
、脳の働きによる"意識"を確認できなくとも生きていると考えるし、
文化やその他の遺伝子情報を伝えられなくても生命足り得ると思っています。
何かを自発的に摂取し自発的に排泄する。そしてそのどちらもが自然の循環の一部である時、
その物体は生命であると感じるのです。
ご質問ありがとうございます。
私の前述した"意識"とは、人間社会において「この患者には、まだ意識がある」という文法で使われること もある、本人や第三者に確認できる個人の心理作用の表層的なもののことです。
さらに、"意志"とは、本人にすら確認することの難しい個人の深層心理や「子を成す」ことに代表される個 人の本能や無意識的なところに根ざすもののこと。
また、"産み育てる"とは自らの遺伝情報を持った子どもを生み育てること。
そして"その個体が存在した名残"とは、人類が今まで代を重ねながら次の世代に伝えてきた遺伝子情報には 書かれていない情報のことです。
具体的には「その人の人生で獲得してきた経験や価値観、継承してきた文化や風習」などがこれに当てはまります。
ご質問への返答は以上です。
さて、では恥ずかしながらここまでの全ての議論を踏まえた上で、ここで一つだけご質問をさせて頂きます。
子どもを生むことで伝えられる遺伝子も代を重ねる中で変化しながら継承されますが、
また、個人の経験や価値観、文化や歴史も加工・修正されながら継承されていくものであります。
詰まるところ私の生きるということに対する定義は、アボ子さんの人間社会における「生きることの定義」である「他人から得られ るものを別のものに変えて他人に渡す事」に近いものであると考えるのですが、いかがでしょうか。
ご返信頂けると幸いです。
蛇足になりますが、「人間は人間しか興味を持てない」と誰かが言ったように、結局、私も万物に対して思いを馳せるためには「人 間」を置かないと満足に思考できないようです。
2010年03月19日 19:11 by せいちゃん
う~ん…「生命」は人間の言葉であるから
人間の視点が基準になってしまうのは仕方がないとは存じますが、
その意味の出来うる限り万物に即する根本を突き詰めたいのです。
"生命"が"意識を持った""産み育てる"もしくは" ;痕跡を伝える"ものであるならば、
"意識"とは何でしょうか。
"産み育てる"とは具体的に何を産み何をすればよいのでしょうか。
そして"その個体が存在した名残"とはどういった物があるのでしょうか。
なるたけ具体的に仰っていただければありがたいです。
もしよければわたくしにもご質問なさってくださいね。
返信ありがとうございました!
さて、私の定義の中で「無意識のうちに」と触れていますとおり、「何らかの意志、または意識」を持っていることも生命の条件の 一つではないかと考えます。
よって、私たち人間の五感で感じること(実感すること)の出来る「それら」を持っている者(個体)が生命であり、
つまり私の生命の定義には、アボ子さんのご質問にある「私達の作りだした機械類や薬品や物質」は、生物には含まれません。
しかし、アボ子さんの「個体認識へのお誘い」から、
ふと、なぜ私の定義から外れた無機物や有機物の海から突然「生命」が誕生したのか。と続いて考えると、
私が生命であると認識することが出来ない無機物や有機物にも「生命になろう」とする何らかの意志が存在している可能性があるこ とに考えが至ります。
そして果てには根拠もなしに、その生命になろうという意志の大本は、原子が集まり、分子になる瞬間に生じるのではないかとも考 えてしまいます。
つまり「存在しているものは全てが生命を持っている」という可能性が・・・。
確かに、これは楽しいテーマですね。
まだまだ、思考の必要がありそうです♪
2010年03月17日 15:32 by せいちゃん
わたくしごときの質問を真摯に聴いていただき恐れ入ります。
私の表記にも問題があったと存じますのでお詫び申し上げます
生み育てるか伝えるかする物が生命と言えるのならば、
伝えさえすれば、または産み育てられれば何でも生命といえるとお考えですか?
例えば私達の作りだした機械類や薬品や物質は
その存在を他の生物に刻みつけて問題視されることが多々有りますが
それらも生命だと?
原子レベルで個体なのか分子レベルで個体なのかとりあえずひとかたまりなのかも考えると楽しいですよね。
あ、申し訳ないです。
今、自分の書き込みを再確認しましたが、
この文中の接続詞だと「生み育て、かつ、伝える者」という文章になりますね。
恥ずかしながら、文中の接続詞を「また、」ではなく、「または、」に訂正させて頂きます。
改めて「生み育て、または、伝える者」と解釈して頂けると幸いです。
ご指摘、ありがとうございました♪
アボ子さん、失礼ですが改めてご質問を頂けると喜びます。
2010年03月15日 19:56 by せいちゃん
ということはその個体が存在した名残を伝えられない存在は生きているとは言えないのですか?
次の世代を生み出すことが出来ない個体は生命とは言えないと?
生殖行為ができても出来なくても有性生殖でも無性生殖でも
何かを取り込み何かを放出し、やがて己の体自身も循環の一部になる物が生命なのだと私は考えています
ところであなたは「死んでいる」とはどういうことだとお考えですか?
生命とは、無意識のうちに次の世代の生命を生み出す者、または、次の世代の生命にその個体が存在した名残りを伝える者のこと。
生きるとは、無意識のうちに次の世代によりよい生命のバトンを繋ごうとすること、または、その個体が存在した名残りを次の世代 の生命に伝えようとすること。
「実感」できる範囲の言葉を使って表現するとこうなりました。
*再読し、接続詞を訂正しました。
2010年03月14日 15:32 by せいちゃん
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