"神"について
文化も場所も違うのに宗教は存在しますよね。
それは人間の本質が神を必要としているか、
もしくは神が実在するからだと思います。
あらゆる宗教における神を比考しながら、神とは何なのか、
又は神はどのように存在しているのかを一緒に考えませんか?
そもそもヒトは何故神を必要とするのでしょうか?
平たく言ってしまえば「苦しい時の神頼み」の対象として必要とするからではないでしょうか。
私は、一神教の神は淘汰圧が擬人化されて生まれたのだと考えます。
ヒトに限らず生き物は全て自然界の淘汰圧にさらされている。とりわけヒトは高い思考能力を持つが故に、僅かな環境の変化や、偶 然に左右される不安定な自らの立場を認識することができる。「一寸先は闇」。この精神的に不安定な状態を少しでも軽減するため、 何かに容赦を請わずにいられない。この容赦を請う行為自体が精神を安定させる作用を持つ。
このとき、容赦を請うべき相手としては誰がもっとも適切でしょうか?
当然、自分の生死を左右する力を持つ『自然の淘汰圧』そのものに直接お願いするのが一番だろう。自分たちを見張り、賞罰を与え 、ある方向へと導く、目に見えない大きな力。この自然のメカニズムにぼんやりとでも気付いた人間がいた。
それを擬人化して神に祭り上げた。これが一神教の神の起源なのではないでしょうか。
2012年07月21日 02:43 by 南の島のダーウィニズム万能論者
はじめまして燐といいます
すいません、俺はそんなに知識があるわけでも人生経験があるわけでもないんですが・・・
俺は神が存在するとは思いません。
どんなきっかけで宇宙が出来たかなんてわかりませんが、仮に神がいたとしてどうしてその存在を人間は知ることが出来るのでしょ う?
宇宙は広いです。宇宙で微生物みたいな生命体を発見したという話を聞いたことがあります。つまり、条件と長い時間があれば生命 というものはほんのちょっとしたきっかけで生まれるのだと思います。そうして子孫を残していくうちにだんだん進化していく。その うちの一つは人間ですが人間だけが他の生物と違って神様の存在を知っているというのは乱暴な話じゃないですか?
いや、実は他の生物も神の存在を知っていると言われればそれまでですが・・・
俺は神様というのはその集団の絶対的な権力であり道徳なのだと思います。人間は半分猿みたいな時代からずっとある程度の集団に 身を置いていると思います。そしてまた、知能があるからこそ時に他の生物よりもずっと残酷です。そんな人間が助け合って生きるに は王様や神様といった強い権力を持ったモノが必要だったのではないでしょうか。
また神様はこの世の自分たちでは理解できない現象の答えという役割があるように思います。
2012年07月12日 19:06 by 狐さま
~ 参考 ~
以下の、"神の存在、死後の世界に対する各国国民の見方を図録"
を見ると、日本は なかなか 特殊 と感じると思います。
[リンク:http://www.]http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9520.html[/ リンク]
ちなみに、私は、神は存在する(すべてが神の一部)と思っています (゜-゜)
2011年05月27日 11:20 by gichan
神様?
世界のはじまりを創ったやつらのことかな?
それはいると思う。。。
だって偶然でこんなに秩序だった宇宙はできないと思うから。。。
誰かがいや誰かたちが宇宙を創ったんじゃないでしょうか。。。
みんなで知恵を出し合って!!!
彼らは自分たちの世界、存在に限界を見たから新しい要素の加えて僕たちの世界を創ったのではないでしょうか。。。
そうならば彼らはこの宇宙に何らかの形で移り住んだと考えてもいいと思います。。
だとしたら彼らの一部がこの宇宙にあるものや僕たちみんななのかもと思えませんか?
きっとすべてが特別なんです!!!
だから一人だけ特別な存在の代名詞「神様」はいないんじゃないかな!!!
いるとしたらあるものすべてが神じゃないかな!!?
えんじょーじさん、ご返答ありがとうございます。
ほんとうに驚きました。ここまで何もかも考え方が違う人は初めてです。
多分私がえんじょーじさんと議論をするためには、かなり深いところから話し合わなくてはいけなくなるでしょうね(*T-T)
とりあえず、今までに私が主張・考察してきた事をまとめると
①神とは、人間を真の幸福に至らせん理である。
②真の幸福とは、表裏があってはいけない。
③肉体的快楽や悦楽に溺れること、欲求の追求(即ち奢侈)の中に真の幸福は無い
④法で悪は縛れても、法で悪は絶やせない。
⑤真の幸福は愛の中にのみ存在し、人は敵味方なく愛せざることには永久に満たされない。
などです。
幸福、法、繁栄、神、宗教、道徳、様々な考え方が飛び交ってすごく面白いですね!
一つ書かなければと思っていたことを完全に忘れていたので補わせてもらいます。
字数を散々削ったにもかかわらず、10回近く「1000文字以下にしてください」と言われたため、編集により足すことはできな いので。
そして、ついでなのでここでも1000字を目安に書いていくことにします。
内容としては、
②繁栄や幸福は善とは関係がない
の部分に「人間が神の存在を信じていた時代よりも、それを信じなくなってきた時代のほうが繁栄と発展を遂げている事実がある。 」という一文を入れたい。
これは、紛れもない事実です。
良く言われるように、人間の経済的繁栄は人間の内面を豊かにするとは限りません。しかし下で書いたように、経済的繁栄と道徳的 善良さは何の関わりもないのです。人間は産業化以前も以後も、利己的・頑迷・醜悪なものですが、同時に驚くほ ど利他的であり有徳でもあります。これは歴史上一貫した人間の性質です。
これと別に、②に関しては「幸福」を省いた為補足しておきます。私の考えとしてはこの言葉は「自己の欲求の充足」というものと 等値です。
「幸福」と「欲求の満足」を同じに並べるとなんだか違うんじゃないかと思う人も多いかもしれませんが、冷静に思い出してみれば 、また功利主義者たちの定義に鑑みてみれば、人が幸福になるときには必ずその人のどのような形での欲求も満足させられているので す。
したがって、幸福を得るという事は悪徳とは言えないものの、特に道徳的な行為ではない、と言えます。
下のコメントの欠陥はこの2点ですので補足しました。
余談として、
上で言ったように、字数の制限上最後の反論がつっけんどんな印象になり、また議論をストップしてしまったことでabocoさん の気分を害さないかと少し不安を覚えました。
ネット上の議論と言うのは、往々にして言葉尻のとらえあいになり限りなく続いていく、不毛なものとなることが多いのです。
これを避けるために私は3回で議論を止めることにしましたが、ここでやっていることは、相手の議論を叩き潰すというのではなく 、互いの考えを並べていったときに、第3者が見てどれが妥当なものか示していくことにあると思うので、極限まで議論を続けていく 必要は無いと思っています。
勿論、他の方から意見や反論などがあればそれに対しては別個に答えるつもりではあります。
2010年08月09日 06:05 by えんじょーじ
お返事が遅れました。
反論したい点が多いので簡潔にまとめました。前回同様の理由でこの反論で議論を止めさせてもらいます。(文字数に差はありまし たけどね)
>宗教には聖典が・・・
①万一、神が(非物質的な形で)存在し意志というものを持っていたとしても、それを人間が正しく理解できるとは限らない
いかに正確なモールス信号を送られても、私はそれを理解できないのでその内容を受信できない。これは私、あるいは人の有限性と 可謬性から生じる不可避的な限界である。
>突き詰めて言えば・・・
②繁栄や幸福は善とは関係がない
繁栄や幸福は悪であると言っている訳でないが、経済的繁栄が倫理的善を保証しないことは、世の中のセレブのことを考えればよく わかる(幸福も繁栄と同様の例を考えてもらいたい)。
こう考えると、abocoさんが、道徳的善と「繁栄・幸福」のどちらを優先したいのかわからなくなります。
>えんじょーじさんの言う・・・
③「社会的な罪」と倫理上の罪は関係がないか
社会的な罪というものを、単に法律によって下される罰との意味で考えていませんか。
法律上の罪というものが、単に利害関係の調整として果たされているのではなく、例えば痴漢のように、単に「触る」という精神的 ・身体的危害といえないようなものも、公序良俗への抵触という観点から罰が下される。これは、法律というものが我々の常識や倫理 観というものに根ざしている為である。
>結果的に社会的に・・・
④どのような理念であっても、他者に害を加える根拠となるようなものは人間全体にとって有害である
1
人類一般が、他人に害を加えることを許容すると、自分自身も害を被ることも認めなければならない。人間は自らを害されることを 決して望むことはない。したがって、大前提と小前提は矛盾する。
2
①の言明と重複(前提)するが、その理念が正しいということが実証されれば、この加害行為は認められる可能性を持つが、その理 念の正しさは我々には「受信できない」のであるから、この加害行為を認められない。
>原因が・・・
⑤神と運命とお客様の関係
感謝の対象が神でも運命でもお客様でも、それらに共通するものがない場合、感謝は全くの気まぐれで対象が決定されることになる 。共通するものがある場合、感謝する人間は、感謝の対象を既に知っていることになり矛盾する。
2010年08月08日 23:02 by えんじょーじ
>そう言える理由を述べてもらわなければ、判断も反論もしかねます。
失礼しました。かなり抽象的でした(m´・ω・`)m
宗教には聖典が存在し、教えがありますよね。例えばキリスト教やユダヤ教ならば十戒等。
突き詰めて言えば、それは私達がより繁栄するための摂理のようなものです。
幸福のための一番の近道でもあります。
えんじょーじさんの言う"罪"とは社会的な罪のようですね。
前回申し上げたように、私は善は神の意志に従おうとすること、悪はその逆と考えています。
結果的に社会的に定められた法に触れたり、他人を傷つけてしまっても、
それが神の意志に従おうとすることならば、どちらも善だと思います。
終わりで判断するのではなく、始まりで判断するべきで、
原因がわからなければ、神や運命やお客様に感謝すればいい。
ビートルズじゃありませんが、愛こそはすべてです(*゙ヷ*)
>結果的に私達がそれがなくては生きられないのなら、
その存在に感謝すべきだと思うのです(*゚~゚)
そのお考えには少し無理があるように思います。
①結果からのみ善悪が判断される場合、行為が偶然か(意志的)必然か区別しないということになり、裏返せば過失(偶然)による 罪と故意(意志的必然)による罪が同じ量刑で裁かれることになります。
「行為の本質的善を成すものは心意であって、行為の成果がどうであろうと、それは問題ではない」(カント 道徳形而上学原論p .74 岩波 篠田英雄訳)
もし親切心から何かしようとして、途中でドジをしても我々は許すだろうし、もし善意以外の理由から人のためになることをしても 、それは悪いことではないかもしれないが、善いことではない。
②結果とは特定の区切られた時間の中でしか見いだせないものです。
野球の試合の結果は、普通9回の表(裏)の最後の3つ目のアウトで勝敗(結果)が出ますが、そういう区切られていない場合、例 えば人の一生などでは結果がどうなるか死んでみるまで分かりません。
野球少年の例では犯人逮捕までで区切ってめでたしめでたしでしたが、もしその泥棒が会社を首にされ、お腹をすかせた子供をかか え盗みに入ったのに、少年のせいで逮捕されて子供が餓死してしまったら、これは、結果がどこで良いか悪いか判断するのでしょう。
③何がその結果を発生させたのか分からない場合感謝しなければならないのか。
例えば「風が吹けば桶屋は儲かる」というような場合、桶屋が「最近やけに売れ行きが良いなぁ?」とその原因がわからないのにも かかわらず「結果」から見てもその「原因」がわからないようなこの場合も「感謝すべき」ことになるはずです。ですがそれは人間に はできないし、してもいないことは明らかでしょう。
後半の二行については、
>神の意志(自然法)に従おうとすることを善というのではないでしょうか。(;゚-゚)
>私たちの罪の源は恐れですから、克服する手立てが必要です(*゚ー゚)
そう言える理由を述べてもらわなければ、判断も反論もしかねます。
「神の意志(自然法)」や「恐れ」の代わりに適当な言葉を、例えば前者には「弱肉強食の定め」、後者に「自らの欲望」、などど んな語を代入しても意味は通じるし、そう言えるかもしれないし、言えないかもしれない。
2010年08月07日 15:03 by えんじょーじ
( ゚Д゚)_σ異議あり!!(笑)
結果的に私達がそれがなくては生きられないのなら、
その存在に感謝すべきだと思うのです(*゚~゚)
泥棒が捕まったのなら、その球児に感謝するべきですし、
それが偶然でもその運命に感謝すべきです。(*゚ワ゚)
神の意志(自然法)に従おうとすることを善というのではないでしょうか。(;゚-゚)
私たちの罪の源は恐れですから、克服する手立てが必要です(*゚ー゚)
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