"神"について
文化も場所も違うのに宗教は存在しますよね。
それは人間の本質が神を必要としているか、
もしくは神が実在するからだと思います。
あらゆる宗教における神を比考しながら、神とは何なのか、
又は神はどのように存在しているのかを一緒に考えませんか?
私の足が腐ってしまいました。
私は、
医者の技術力を信じ、
医者の私に対する気持ちを信じ、
医療技術そのものを信じ、
神が私を助けてくれるのを信じます。
私の足を直してくれるものを無条件に信じます。
いいえ、違います。
私は無条件に全てを信じているのではありません。
医療技術が他のなにものよりも、私を救ってくれるであろうことを信じているのです。だから、医療技術を使う医者が、私に悪意を もっていないことを、確信はもてないまでも、信用します。
これからもっと回数が増えれば、もっと信用することができるとおもいます。
医者のつかう電卓については、信じるとか信じないとかではなく、そのときはまったく興味はないです。
占いが、私の足が治るといえば、信じます。
救いを求める私は、疑うことなく「あなたを救う」と言葉にしてくれる神を信じます。
それとは別に、私が愛している人たちに愛されているのは、事実です。
信じるということではありません。
これは、私が足が腐ってしまったときのことを考えて
私の心境を考えてみましたw
実際わたしがお世話になっているのは歯医者さんです。
歯医者さんでは、盛り上がらない気がしたので、、、
「信じる」ということを考えてみました。
しばらく留守にしてしまってすみません(´・ω・`)今全部読みました…orz
やっぱり、人間を信じるのと神を信じるのは違う気がします!
どちらもよくわからないのですが、人間の絆ってもろいですよね。
もし私の顔が爛れてしまえば、それで離れていってしまうし、
本当に心でつながっている友人でも、私の性格が悪くなればそれだけで離れていきます。
どんな自分でも愛してみていてくれる存在を信じるのと、
誰かが何とかしてくれるのを信じるのとでは、明らかにちがうとおもうのです。
鶏が先か卵が先かについてですが、私は卵だと思います!
ちょっとずつ進化して現在の鶏に分類される種になったんですよね(`・ω・´)
生まれてしまったあとは変えられませんから、遺伝情報の発生が鶏の始まりの始まりです。
この世界に生まれ落ちたこと(出現)を始まりとするならば、断然卵が先です!
招き猫の手さんへ
ブログのほうへお邪魔させて頂きました。
私の質問にたいして、貴重なお時間を使って頂きまして
ありがとうございました!
mikaela5さんへ
卵と鶏の話には、今のところ、頭が働かない私なので、避けさせてもらいたいと思います。
さて「人間の仕組み」について簡単に言っておきますと、それは「神の創造」と「神の全知」を前提した概念となっています。
たとえば我々は、【人間の言ったこと、したこと】について、それぞれ各人が解釈していますが、同時に我々人間が解釈する程度は 知れていることも、おそらく何となくですが、誰しも感じている事柄でしょう。そこで、もらすことなくすべてを知っている[全知の 神]を前提とした上で、その我々が解釈している曖昧な内容とは別に【人間の言うことや、することには理由があり、仕組みがある】 という事柄を信じることが、すなわち「人間の仕組み」を信じることの意味となっています。
もう少し詳しい説明も、ブログの「起こり得ないことは起きない」に残しておきましたので、宜しければ、どうぞ!
少々、自説披露の御満悦状態となってしましたが、失礼します。
2010年07月25日 09:29 by おバカな意地悪くん
招き猫の手さん、
【卵から鶏へなる仕組み】と【鶏が卵を生む仕組み】が、同時に用意されていた
その考えは思いつきませんでした!
確かにそうだと私も思います。
では改めて、卵と鶏、どっちが先だと思われますか?
招き猫の手さんの考え方にインスパイア?したんですが、
どちらでもないようなきがします。
卵でも、鶏でもないものが、
卵と鶏になっていったんじゃないかなと。
でも、2択で答えなければいけないなら、卵に一票いれます。
たぶんこの問いで、皆さんの知りたい答えは、
卵が先か、親が先か、という問いのほうにあるような気がします。
ダーウィンの進化論を信用すれば、陸上の動物は海に住む魚が祖先ということになります。(ですよね?)だとしたら、卵はどこか ら、卵と呼ぶようにするのか、ということがキーではないでしょうか。
例えばイクラの薄い膜をどのあたりから、卵の殻であると決めるか。
で、その卵を第一号と言ったとします。
でもそうなると、卵が先か、親が先か、という問いには、あまり興味は惹かれなくなってしまいますね。
招き猫の手さんの論点からズレズレですよね>< すみません。。
「人間の仕組みを信じる」という文章が理解できませんでした><。
もうすこし、私にわかりそうなレベルまで噛み砕いていただけませんでしょうか?
人体についての科学的、生物学的な解釈(DNAなど)を信用するということでしょうか?
追伸
このコミュニティで哲学ができて、とてもうれしいです。私の好奇心を刺激してくださる方々に感謝しています。私の好奇心からく るアホな質問、お許しください。
卵が先か? 鶏が先か?
私は、【卵から鶏へなる仕組み】と【鶏が卵を生む仕組み】が、同時に用意されていたと思っています。
[起こり得ないことは、起きない。]つまり[起きたことは、起こり得た仕組みが最初からあった]と思います。
人間の[言うこと]、[すること]は、それは[言い得たこと]、[し得たこと]でしょう。
人間の仕組みを信じることは、神の創造を信じるか、否かに等しいようです。
ただ、その人間の仕組みについての説明は、人それぞれ異なり、言い争いにもなります。しかしその言い争っている状態も、神の用 意した仕組みから離れたものではないでしょう。
2010年07月24日 14:25 by おバカな意地悪くん
人や自分を信じている人というのは、本当に強い人だと思います。尊敬できますし、この人についていきたいと思っちゃいます^^。
私も、そうありたいと思います。
さて、、人を「信じる」ということと、神さまを「信じる」ってことは、同じことなのでしょか?
ちょっと疑問に思いました。私は、結構、単語に引っかかるタイプのようですw
もしかしたら、「信じる」という言葉の中身が違うのではないかと、そんな気がしました。
頭の悪いことを、今、私は言っているような気がしましたw
神さまを信じるということは、人を信じるということにはならないと、
言われてないですし、
神さまを信じると、人を信じるの「信じる」が同じだとも、言われてないですね^^。
同じであったとしても、なんの問題もないです。
信じるってなんなんでしょう?
abocoさん、
私は人間を信じるべきだと思います(^^)
神を信じるのは悪くありませんが、最後に信用できるのは自分と人間だけですから。
「 仏は常にいませども
現(うつつ)ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁に
ほのかに夢に見えたまふ」
梁塵秘抄からの引用ですが、
常にあるもの。しかし、それを実在のものとして「知覚」することができない。
(だから「あはれ」……価値がある、とも取れるし、悲しいとも取れる)
実体のあるものでなさそうですが、
無意識下では知覚できる、というような、概念なのでしょうか。
2010年07月20日 22:08 by デルタ
どの宗教も新興だった時期があるといえばそうなのでしょうが、
どうも学会やエホ証は好きになれないです…
ほんとに、私たちは何を信じるべきなんでしょうか・・・
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