"神"について
文化も場所も違うのに宗教は存在しますよね。
それは人間の本質が神を必要としているか、
もしくは神が実在するからだと思います。
あらゆる宗教における神を比考しながら、神とは何なのか、
又は神はどのように存在しているのかを一緒に考えませんか?
新興宗教もすべてがそうではないと思います。
例えば、異端視されているエホバの証人(ちなみに私はエホバの証人は嫌いです)は、日本カトリック協会より、何倍もキリスト教 の研究をしています。
大きくなった組織が自己研鑽しなくなった時、まじめすぎる人々が新たに独立することもあると思います(その後、かたくなになり 偏った考え方の人々のみの組織になってしまうこともしばしば)
もともと日蓮宗の一派だった創価学会についても同じことが言えるかも知れません。
…と思ったりします。
新興宗教は神聖であるべき宗教を己の利のために穢す、最低なものですよね!
学会なんてほぼマルチ商法です(#゚ぺ)
共産主義国家の人々が最高権力者を本当に崇めているのかどうかは疑問ですが、現代社会の風潮が危機的なほど本来の宗教から離れ ているのは判ります。
ソドムとゴモラのようで恐ろしいですよね…
神は世界各地で呼び名が違うだけで、本質は同じでしょう。
無神論者が増加した現代は、特異な時期。
無神論は共産主義者が広めたもの。
人間至上主義の共産主義が。
だから、共産主義国家では、独裁者が神の代わりに崇拝の対象となります。
また、新興宗教も同じく、神を知覚できない現代人が増加したため、形だけ神を崇めさせて、教祖を神として個人崇拝させています 。
現代の人々は目に見えるものだけを信じる傾向にある。
感覚が死んでいるのが現代人です。
昔の人は感覚で神や自然の奥にある何かを感じ取っていた。
だから、日本神道には教義がない。教義がなくてもわかっていたから。
そう考えると新興宗教も共産主義も構造は同じですね。
驚きました!
私と同じ考えをお持ちの方が本当にたくさんいらっしゃるのですね。
私は神とはエネルギーのことで、存在するものありとあらゆるものが神の一部だと考えています。
すべての宗教での神は同一で、その下でどう信じれば人間が反映するのかと考えた結果が宗教の違いだとも思ってます。
此処からは関係ないのですが
日本人の多くが「神を信じることは無意味だ」と言いますけれど、私はそうは思えません。
私たちは常に孤独で、自分を全面的に受け入れてくれるはずの母の愛が不完全であることを知ってしまった時、
直結する死の恐怖に絶え間なく悩まされることになります。
神様が見ていてくれる、自分は守られていると感じることはどれほど安心するでしょうか。
神は存在しないかもしれない、それでも神を信じることの恩恵は少なからず存在する。
素晴らしいことですよね!
神とは精神の根源
太陽も地球も月も巨大な生命体であり、それが神
自然を統括するのが神
始めまして私はクリスチャンで、日本基督教団に所属しています。
おなじキリスト教徒でも、日本福音同盟やエホバの人なんかとは全く話がかみ合わないところがあってやっぱり難しいですね。
さて神というものについて、「キリスト教では神が見ていてくださる」「神の試練」「あなたの全てを神は知っていてくださる」と いった言葉を良く聴きます。うまくいけば神のおかげ、うまくいかなければ試練といった感じですね。
「都合いいな」とおっしゃる方もおられると思います。
しかし、物理的に考えれば神はいないのです。いたとしても終末が来なければ現世では力を振るわれることは無いでしょう。
では、なぜ神を信じるのか?
根本的なところで我々はどこから来たか?我々とは何か?我々はどこへ行くのか?(これはグノーシス派の言葉ですが)この質問に 答えることができない、答えることができないことが不安である。そういった人のために神があるのだと思います。
我々は何故生きているのでしょうか?この点において他律的に生かされていると考えると神の姿が見えるかもしれません。「私は親 から生まれた○○だ、自分で考え、自分で望んた生き方を成しえている。」こういう風に考えられる人には神は遠いかもしれません。
むしろ神が必要ないといえるのかな。
2010年07月10日 00:51 by A.donodono
横入り失礼します!!
今日の記事にも書きましたが、私は『神』を信じてはいません。
ただひとつ思うのは、「神は私たちが様々な名前で呼び、思想を唱えているけれど、結局は同一人物なのでは」ということ。
イエス様でもお釈迦様でもなく、神様は神様。
そしてその『神様』と呼べる存在がいるとすれば、それはその存在を作り出した人間自身ではないのでしょうか。
mikaela5さんは言葉の定義について柔軟な考え方を持っているのですね!(*゚о゚)
言葉を使っている以上ある程度の語弊は否めませんから、そこは言葉を重ねるしか術はないのであきらめずに頑張っていきましょー !
そこで言うと此処で論じられていることは"神の定義"というより"神という言葉の認識のされ 方"と表現したほうがしっくりくるかもです。
科学についても、どのような考え方で道徳が絡んでくるのか判りませんが、そういう一面も併せ持っているのかもしれませんね!
もしよければあなたとご後輩の科学についての概念の違いを具体的に聴いてみたいです!
証明は須く相対的なものでありますから、神の存在の証明は意外と簡単かもしれませんよ!?
それとこのトピックはゲームみたいなものですからお気を楽にどうぞ(*>-<)
わからないこと、証明できないこと、
それを、何者かにとって都合のいいように、勝手に、推理、想像する。
それが、人のためであれば宗教であり、
神のためであれば科学である。
「神」「科学」「宗教」この言葉が定義されないまま、
突然思いついたこの文章を考えていくのは、難しいように感じました。
この、文章が正しくなるように言葉を定義できるか、
できなければ、正しくないということが証明されるということだと思います。
ただ、ここで定義された「神」は、ここ以外の文章では使えない
ように思いますけど、、。
すでに定義された辞書にある言葉を、ある程度使っていかないと、きりがないですね><
以前、会社の同僚である、文系大学出身の後輩と科学の話をしたとき、「科学」という言葉の定義が私と違うことに気がつきました 。
だいたい私の使う「科学」という言葉には、道徳を含みません。ただの学問、手段です。
追伸
あるていど不完全な表現でいいという私がどこかにあり、理解されなくても良いという傲慢があります。それは、知ったかぶりの 部分と、文章力、表現力の無さがそうさせていますw。反省します。
私も確か耳にした気がします。
女神様とは、僕らが「大発明だ!」と騒いでいると、どことなく淋しいお顔をされるそうです。
そして「大発見!」と目を丸くしながら驚いていると、何やら頬を赤く染めて微笑むとも言われています。
ちなみに私は、日夜女神様との隠れんぼに挑んでいるのでありますが、いまだかつて一度も、よい隠れ場所を見つけ出せたことがあ りません。
仕方がないので、鬼の役は、毎回私が引き受けています。
2010年07月02日 17:16 by おバカな意地悪くん
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