人はなぜ戦争をするのか?
『シムーン第2章 ~乙女達の祈り~』と言う二次小説を書いています。
戦争とは何だろうか?人はなぜ争いを好むのか?
小説の参考にしたいので、ご意見をお聞かせ下さい。
「俺は戦争が大好きだ」と言う方のご意見でも結構ですよ。
そう言う心理も調べてみたいと思ってますので、ご遠慮なく。
http://simoun2.blog.fc2.com/
2013年12月19日 10:57 by 佐渡 譲(sado jo)
既にあらゆる答えは皆さんのコメントから出尽くしているような感じがしますね。
俺の過去からすればですが・・・。
サバゲーで、相手の頭部を狙い撃つとき、追い回すとき等
かなり脳内麻薬が出ていると感じていました。
撃ち返されても、闘争心による中毒的なものといいますか
そういうものから、さらに脳内麻薬が出て
やったな!となり、撃ち返すときに更に快感を覚える。
生を実感しているともいえるようなそういう感覚です。
倫理や道徳からすれば、もちろん良いことではないですけれども
理屈抜きでいうと野蛮ですが快感でした。
しかしながら、当たり所が悪いところに当ててしまい相手が本当に痛がると
罪悪感も湧きます。
罪悪感が沸けば、あとで苦しむのは自分ですから
もう、こういうことは辞めようとなるのが普通だと思いますが・・・。
戦争を仕掛ける人間や、政治家は自分自身は戦地に行かず
指示を出すだけなので、そういう苦しみを味わうことはないですよね。
良い御身分ですよ、まったく。
自分の目線は、戦地の最前線にいた人間のような感覚だと思いますが
戦争を仕掛けようと思う人間が、なぜ戦いを仕掛けようと思ったのかは
それこそ、手段を択ばない人たちが暴走したからではないでしょうか。
戦争をしようと言い出す人たちが、どういう思想なのかにもよりそうですが
己が欲を満たすために、大衆をあおって巻き込んで という感じに見受けられます。
世界で仲良く分け合えばそれで済む話なんじゃないかと思っちゃうんですけれも。
宗教戦争、民族紛争は価値観の相違
侵略戦争は高官の野心や支配欲
この2つに集約されるように思います。
ちなみに、原爆については日本共産党が犯した殺人で
投獄された仲間の釈放と引き換えに日本を米国に売り渡し
実行されましたし、真珠湾攻撃はその何ヶ月も前から中国気に偽装した
フライングタイガー隊という米軍によって奇襲を受けていますので
日本はいつも悪者にされてきた歴史ですが
その中で、米国本土攻撃を実現しロシア艦隊を撃破した日本への恐怖心からWGI(ウォーギルトインフォメーションプログラム) によって競争の意識を育てるものや
日本にとっての捏造事実を数多く刷り込まれて罪悪感を植え付けられました。
しかし、なぜか日本でだけは宗教戦争は起きないんですよね。
自ら戦争参加の意識を持ったのも大東亜共栄圏(植民地支配から開放しアジア人によってアジアを統治して独立を促し共存共栄を測 る思想)に基づき
大東亜戦争を起こした1度だけです。
植民地を開放されたオランダ人からも日本は正しいことをしたと賞賛された行為です。
戦争の根幹を調べようと思うなら、日本の歴史や日本での戦争の原因や
多様で柔軟な宗教的観点から見ると良いと思います。
天皇陛下はそもそも神道の代表ですし。
世界は利権屋脅しで武器をちらつかせては外交的有利を保とうとします。
日本の持っている外構意識とかけ離れているので
その根幹を解明すれば世界から戦争はなくなるのでは?と考えます。
2017年04月23日 07:13 by ナカト
戦争で金を儲け平和になると儲からなくなる者達が、戦争の原因を作ってる。
しかし戦争が次々起こり平和が来ない真の原因は彼らではない。
戦争の真の原因は、ごく普通の人々が「自分は死んでも生きている」という幻想に取り憑かれていることです。
人々がこの妄信を改めない限り、戦争で金を儲けようとする者がこの人々の中から次々育ち、戦争は次々繰り返されてやむことは決 してないとおもいます。
2016年05月09日 08:54 by sakagutitaruho
書いていらっしゃる小説をのぞかせていただきました。
哲学的な考察や側面もかなり感じられたので、それについて書いてみます。
「哲学的観点」という視点からも、考察されてみてはいかがでしょうか。
哲学的に見れば、戦争に限らずすべての争いは「欲」を原因としていると思います。
そして「欲」=「欲求」は、欠落や欠陥、欠乏といったものの裏返しではないでしょうか?
個人、家族、友人、村、町、国。
それぞれが抱える欠落と、そこから生まれた欲求、それらがどのように絡み合い、より大きなコミュニティとしての欲求へと昇華さ れていくのか、考えてみるのもいいかもしれません。
個人的には、「なぜ戦争が起きるのか」という問いに、一つの答えを出すことは難しいと感じています。
それでも答えをだすなら、やはり抽象的に、「欲求」なのでしょう。
2015年07月30日 17:50 by BLOGGG
みなさんの意見とても興味深いです。
貧乏が原因ってゆうのもありますよね。
この場合は富に対しての憧れが引き金になるのでしょうか。
愛や正義、人は大切なものを守ろうとしますもんね。
自分が貫く正義はどうしても他人に押しつけがちになってしまうものです。
宗教観や自然の大切さ、命の大切さなどを国連などを通じて共通認識とゆうか
ルール作りを100年でも200年でもかけて作っていけば
未来は少しは争いのないものに近づいて行くのでしょうか。
先日、ミカン農家の男性が土地を強制収用されているのをニュースで見ました。
あれだって小さな小さな戦争なんですよね。
大多数の人が強制収用ルールに賛成しているから小さな戦争で収まっているけれど
そうじゃなかったら多くの賛同者が座り込みなどの抗議運動をしたかもしれません。
やっぱり世界にはある程度のルール作りが必要なんじゃないかと思いました。
最低でも子供の命を大切に思う気持ちは人類共通であって欲しいと願います。
2015年07月15日 07:42 by かなりる
戦争とは外交手段の一つだと言われています。
戦争の反対は対話ですね。
各国が主権を保持し、その主権がぶつかり合う場合、外交手段が用いられます。
まずは対話ですね。
それでも決着がつかない場合、戦争という手段に切り替える。
これが一般論でしょう。
しかし、国民国家の概念が出来上がった近代以降では、この流れに違和感があります。
2つの世界大戦がいい例でしょうか。
その原因を突き詰めると、ニヒリズム、つまりは思考停止状態に陥ってしまった結果、対話が意味をなくし、そのまま戦争に突き進 んでいく。
その結果のほとんどは悲劇です。
しかも現在これに対する反省は見当たりません。
このままでは人類は過去の誤ちをまた引き起こしてしまうかもしれません。
2015年03月07日 17:05 by takashishichijo
ブログ更新しました。
「どうか、すべての人たちが健やかに生きられますように(ベーシックインカム)」
http://passpass00.blog.fc2.com/blog-entry-194.html
貧富の差と、それを原因とした争いのメカニズム(ニートと就労者の対立など)、対策としての「ベーシックインカム」について 書きました。
よろしくお願いします♪
2015年02月25日 17:07 by ササクレ
戦争とは何だろうか。という問いに関しては語ることがあまりにも多くなりそうなので自粛しますが、人は何故争いを好むのかとい う点は短く収まりそうなので書かさせて頂きます。
まず第一に人が争いを好むのではなく、この地球上のありとあらゆる生物が必ず争うように出来ています。人間だけが特別という 事は一切なく、全生物が常に争っているのが地球です。
これは常に大局的に見て合理的な判断であり、歴史上、生物の争いが原因で地球上の全生物が絶滅した事はありません。いつ如何 なる時代も自然の用意した僅かな生息範囲を賭けて生物は争い、勝利とともに生存し、時には敗北の中で新天地を見つけ、今日まで生 命は続いてきました。
争いとは生物にとっては総数の調整と適応化であり、この営みこそが生物を支えて来た根源です。限られた資源は戦いの中で生き 残った者達だけが享受されるべきというのが自然の理です。これは勝った負けたではなく、生き残ったという点が重要です。
人類の闘争の歴史もまたそこから外れるものではなく、人間の齎すあらゆる文化、宗教、戦争、兵器のありかたも生存競争の中で 人という生物から育まれてきた一つの営みです。
私はこう言った場で戦争を語るのならば、まずは個としての人間、そして歴史としての人類自体について言及するべきだと考えて います。
ジロさんのおっしゃられた「人の中の鬼」ですが、私自身はそれを「生きたい」という肉体の意思だと考えています。得てして現 代の道徳、倫理観は時として自身を「殺す」事を推奨する傾向にあります。
『人を殺すくらいならば死んだ方がまし』というのは確かに正しさを感じますが、『自分を死にたいと思わせるようなヤツ消して やる!』という意志もまた、私は生命として正しさを感じます。
私も文明社会で生きてきた人間なので、容易に人が殺し合う世界は望みませんが、そういった行為が残虐で忌むべきものと考える のも、現代の、ある時代の、極東の島国の感覚なのだと思います。
私は人は何故争うのか、という点に関して、争うからこそ生命なのだと考えています。
2014年09月09日 18:33 by やだ なにこれ?
世界情勢をみると、中近東の宗教戦争、植民地の覇権争いのように__大きくは、宗教と経済が戦争の原因になってきました。
唯一神の宗教は、個人の命を超えたところに《神》を置くので、信仰が強いほどに過激になる傾向を見受けます。戦前の日本は、天 皇を現人神、国民は「陛下の赤子」として帝国主義をすすめていきました。特攻隊にみる自爆テロのような戦闘行為は、信仰に近い狂 気のなかで、純粋な若者の命を散らせたようで痛ましく感じます。
武器製造・輸出する産業は、戦争や紛争地域、もしくは、《殺される恐怖がある世界》がなくては、成り立ちません。第三世界に武 器を輸出して殺し合いさせたり、核を持つことが均衡を保つという「抑止論」という欺瞞___武器を持つほどに、恐怖が増すという 泥沼のような地獄はわかっているのに、カネという猛獣がひとり歩きしているのが、この世界。国家権力の背後で操っている政財界に 、愚民は騙されやすいものですね。
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「狂気」という詩を読ませていただきました。
おじいちゃんの戦争体験だったのでしょうか__日本人は、あまりしゃべりたがらないから、墓場まで持っていく方も多かったので はないか、そんな気がします。
今ウィリアム・マクニールという人の「世界史」というのを上巻まで読んだのですが、「蛮族」というのがあって(それの最も有名な のは元=モンゴルですが、たぶん人種は様々だったのではないでしょうか)、それがユーラシアの内陸に広く分布していたらしいです ね。それが紀元前2000年から中世に渡って海沿い川沿いの文明全てにちょっかいを出します。
それが色々な動乱の引き金になったり、問題になったりするようですね。蛮族の動向がユーラシア全体の動向を結びつける鍵となる のかもしれません。
そして、蛮族はただ快楽のために略奪を試みて文明圏を侵略するみたいですね。要は肉食動物の本能が、それを突き動かすエネルギ ーになっているのではないでしょうか。近代の戦争においても、根底的にはこう言った原始的獣性や征服欲みたいなものがあるのでし ょう。
もちろん、進化した共感力の発達を持っている人には、縁の無い話です。
2014年04月26日 08:17 by 香月 真(かつき まこと)
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