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親の資格について

突然ですが、次のような思考実験を考えてみる。

将来において、少子化などの人口問題は解決され、国の財政問題も解決したとする。さらに医学が十分に進歩し、新生児の遺伝的・ 先天的疾患や障害・不都合は、生まれる前に完全に治療ないし排除できるようになった。したがって、子どもが幸せになれるかどうか は、家庭環境、社会環境に依存するところが大きい。

そこで次のような制度が提案された。親は子どもに対し大きな責任を負うとの観点から、「親になる」すなわち「子どもを産む」こ とを免許制にするのである。親になろうとする者は十分な研修や実習を受け(そのためのシミュレーション環境は整っている)、かつ 経済的・人格的・心理的なあらゆる審査に合格する必要がある。これらを通過しライセンスを取得した者のみが、子どもを産み、育て ることができる。万が一、無免許で妊娠した子どもはすぐさま堕胎となる。

このような制度ができれば、どうなるだろうか?

私はこの思考実験を通じて、こう問いかけたい。
「あなたに子どもを育てる資格があるのですか?」

みなさんはどう考えますか。

2015年08月29日 19:06  by 

コメント一覧 23件中、1~10件表示

  • シビアな質問ですね。

    俺自身は、子供を育てる資格があるとは思っていない人間です。

    それから、シミュレーションって、あくまで予行演習ですよね。
    それでやっていけるほど人間て高度な生き物じゃないと思います。

    人間には生存欲求があり、生としての本能が子を求める側面を含めたうえで
    免許制にするのですか?

    世界のどれくらいの人たちが子供を育てることのできる免許を取得できるでしょう。

    過去の歴史では貴族ほど子供を作りたがらない、育てたがらないという話もあります。
    あらゆる側面で満たされるほど、子供は要らないとなってしまうのです。

    ある程度の生存に対する不安が、子孫を残そうと本能的に思わせるのかもしれません。
    もし、すべての面で満たされた世界なら
    皮肉なことに、もうみんな子供を作りたがらないかもしれませんよ。

    子孫を残さなければという危機感が一切ない世界で、毎日、自分の好きなことをして
    暮らせる世界で、わざわざ子育てをしようと思うでしょうか?

    少なくとも私は思わないです。

    2020年10月01日 16:35 by

  • 詳細なご意見ありがとうございます。

    確かに、何か問題があったときに対処できるような、子どもも親も救えるような社会制度があれば望ましいかもしれません。星一郎 様はむしろこちらのほうが重要とのお考えでしょうか。このトピックにおける以前の議論でも、「社会(周囲)が育てる」という意見 がありましたので、これをある意味「充実」あるいは「促進」させることは、一考の価値があるかもしれません。したがって、私とし ては他の人の意見も聞いてみたいところです。

    私が気になるのは、あまり地域社会にたよりすぎると、「どうせ社会がなんとかしてくれる」という気持ちが蔓延しないかというこ とです。下手に育てても、子どもが不幸になっても、子どもに拒否されても社会がどうにかしてくれる。親は責任を取らなくていい。 そのような状況は避けるべきではないでしょうか。

    私がこの思考実験を提示した背景に、「親のクオリティを確保したい」というのがあります。その点で、親があまりにも無責任にな ってしまうような社会は危惧するところです。

    この点について、ご意見をお聞かせいただければと思います。

    2015年09月22日 20:38 by

  • 最後です。

    >確かに子どもに否定されれば終わりですが、裏を返せば子どもに否定されること>のないよう責任をもって育てるべきとも考えら れます。

    親の資格がないと子供が親を否定する事ができる。
    お前を自分の子供だとは思わない、と子供を拒否する事もできる。

    でも、それで双方が致命的な状況(親殺し子殺しという意味です)に陥る事がないようにできれば十分だと思います。

    長々と失礼しました。

    2015年09月21日 22:07 by 星 一郎

  • 続きです。

    >まず、子どもは生まれた時点では判断能力がないということを指摘したいと思い>ます。ある程度成長するまでは誰かが育ててい かなくてはなりません。
    >そこまで誰が育てるのでしょう。
    >やはり産んだ親であることが原則ではないでしょうか。
    >その意味で、親は必要であると考えます。幼少期は多感であり、特に配慮が必要>ではないでしょうか。

    生物的な親になるにはやる事をやって受精し、受精卵が成長し、無事に出産すればなれます。
    しかし、それで家族としての親の資格があるのか、と問われれば難しいといわざるを得ません。そこはひねくれ者様のそもそもの問 題提起だと思います。

    家族としての親になるのは資格というのか、誰でもなれるわけではないのでしょうが、問題があるのは極少数派だと思います。
    世のお母さんお父さん達は日々の子育ての中で葛藤している事と思います。
    思わず手を出して自己嫌悪に陥ったり、子供とは関係ないことにイライラし、子供に辛く当たったり。

    まあ、それは今は置いておくとして、その家族としての親は、生みの親である必要は何も無いと思います。
    原則は生みの親が育てる、にしても問題は親の自覚のない生みの親であります。
    それを事前に排除すべきでは?というのがひねくれ者様の提示されたトピックでしょうが、問題は問題のある親です。
    どれだけ事前に親の資格を検証しても、実際として問題は出てくると思います。

    私が言いたいのは、予防は大事であるけれども問題が発生してからでも遅くは無いのでは?という事です。
    どれだけ問題を抱えた家庭であっても、最悪を防げたらそれで十分ではないですか?ということです。

    幼少期であれば地域の大人や関係部署が丁寧に親子の状況を把握出来る様にする。
    自我が目覚めてからは親から避難する事が出来るように法整備と施設を確保する。
    子殺し親殺し子供の自殺には、閉塞された自意識があるかと思います。
    思い切って逃げてしまえば状況は改善するかも、しれません。
    親子双方に逃げ道を作れれば、と思います。

    2015年09月21日 22:06 by 星 一郎

  • ひねくれ者様へ。

    「自分の親にふさわしいかどうかは子どもが決める」
    自分の親に相応しいか、ではありません。自分が親として相応しい言動を取れているかを自問したところでその裁定は子供がする、 というだけの事です。
    評価を下すのは他人であるからです。
    また、それは今日が良くても明日は失格となる可能性もあります。
    逆に、子供が経験を重ねて行くことで評価が逆転する事もあるかもしれません。

    「子どもが不適切と判断した時点で親権はく奪すればいい」
    ひねくれ者様が指摘されている様に、乳幼児には判断できませんし、我侭な性格であれば些細な事でもきれてしまうでしょう。
    未熟な子供が判断したところで大して意味はありません。
    親の資格がない、と親権を剥奪するには専門家でも判断は難しい事だと思います。
    しかしながら、放置しておいたら子供の命に関わる、となれば親から子供を引き離すのはしかたありません。
    周りが判断するのは当然の事です。

    でも、子供が「テメーを親とは思わねーよ!」、と思うのは自由です。
    しかし親としては子供に嫌われても躾けるべきことは躾ける。
    子供が親になれば、自分の親の気持ちが理解できる、と思います。
    そして、それは前に述べた評価が逆転の一例です。

    「その後の子どもは社会が育てる」
    今もそう変わらないかと思います。
    ただ、国の財政問題が解決されたなら、今よりもっと充実した対策が可能かと思われます。
    問題のある親からはさっさと子供を引き離し、そういった施設で育てていけばいいかと思います。
    家族というものを経験しなければ良くない、のなら、養子縁組というものをもっと広め、また、地域の方々の協力の下、地域の中で 子供を育てていければいいかと思います。

    2015年09月21日 22:04 by 星 一郎

  • 星一郎様、新たな視点でのご意見ありがとうございます。

    まず意見を整理したいのですが、
    「自分の親にふさわしいかどうかは子どもが決める」
    「子どもが不適切と判断した時点で親権はく奪すればいい」
    「その後の子どもは社会が育てる」
    という理解でよろしいでしょうか。間違っていれば訂正願います。

    まず、子どもは生まれた時点では判断能力がないということを指摘したいと思います。ある程度成長するまでは誰かが育てていかな くてはなりません。そこまで誰が育てるのでしょう。やはり産んだ親であることが原則ではないでしょうか。その意味で、親は必要で あると考えます。幼少期は多感であり、特に配慮が必要ではないでしょうか。

    確かに子どもに否定されれば終わりですが、裏を返せば子どもに否定されることのないよう責任をもって育てるべきとも考えられま す。

    親に責任を持たせるべきか、子どもに権利を持たせるのか、議論の価値はあると思います。

    より詳しい意見をお聞かせいただければと思います。

    2015年09月20日 20:42 by

  • すみません、おかしなことを書いてました。
    生物的な親なんてどうでもいい。つまりは家族としての親になって子供を育てるのには資格がいる、でした。

    その子供を育てる資格ですが、親に価しない、という烙印を回りに押されて親権を剥奪される事はあっても、子供が親だと思ってい る限りは親としてあるだけ、ではないでしょうか。
    子供を育てる資格の有無の判断は子供に与えられている、と考えます。

    周りが判断して親権を取り上げるしかできない現状、子供を育てる資格は社会から与えられていると考える事ができますが、本来で あればそれは子供のはず。
    その子供が判断するべき事だと考えます。
    子供を育てる資格の有無は子供に聞くしかない。

    私があなたの親でいいですか、です。
    自分では評価する事ができません。従って、子供を育てるのに資格が必要でも自分ではどうしようもない。
    社会から否定されない最低限の事は努力できても、子供に否定されれば終わりです。また逆に、社会から否定されても子供に拒否さ れなければ親でいられます。

    2015年09月19日 22:52 by 星 一郎

  • 親は必要でしょうか?
    私は必須とは思いません。従って、生物としての親は必須ですが、家族としての親になるのに資格はいらないと思います。

    親に育てられなかった子供は自分が親になっても子育てができない、のは動物の世界では多いようですが、人間はもちろんそうでは ありません。
    親的な存在は必要ですが、それが血の繋がった人間である必要はありません。
    ですので、子育てに問題がある親は必要ないともいえます。

    親は子供を幸せにする義務があるのでその義務を果たせない人間は子供を生めない。その必要があるのでしょうか。
    子育てをする権利が剥奪される、で良いのではないでしょうか。

    子供を虐待する(肉体的精神的であれ経済的であれ)親には親権剥奪で子供は施設に保護、で十分ではないでしょうか。
    経済的な問題がない事前提で考えれば子育てをしている家庭を訪問し、状況を調査する調査員なりを必要十分なほど雇うのも問題が ないと思います。

    生まれてこなければ幸せになる事自体ができません。どれだけ無茶苦茶な親であったとしても、社会でその子を育てる意識でいれば 、親は無くても子は育つと考えます。
    その子が幸せになれるなら、親なんてどうでもよくありませんか?

    2015年09月19日 21:52 by 星 一郎

  • ひねくれ者様、お返事ありがとうございます。

    あなたと私の意見の違いは、
    あなたは苦労には主観的にも客観的にもあらかじめ排除すべきである苦労がある、というのにたいし、私はいかなる[苦労]もよい 方向に働くか悪い方向に働くかはわからないため、[あらかじめ排除すべき苦労]はない、ということですね。

    また、最後まで反論で申し訳ないですが。
    >最後に、子どもを産むことに理由がいるかということについて、これは「生き物とはどうあるべきか」という、おそらく我 々では答えの出せない問いにつながると思われます。
    どうあるべきか、という当為の問題ではなく、事実の問題です。
    生物は自らの子孫を産み育てる。これを偽とする人はいないでしょう。
    理由がいるかいらないかではなく、理由なく、生物は生物の本能として次代を育てるものです。

    ひねくれ者様が内心を少し打ち明けてくださいましたので、私も少し胸の内を申します。
    私もかつて、[こんな親のもとに生まれてきたからこんなに苦しいのだ]と思っていた頃がありました。
    独り暮らしを始め、しばらくすると、[人のせいにしていてもしょうがない]と感ずるようになりました。
    子どもの頃ならいい。でも、大人になって、[親のせい]はカッコ悪い。例え原因が親にあっても、それに自分で気づいたのなら、 自分で改善できるはずだ。自分の人生は、自分で善くする。
    親なんて、完璧じゃない。なら、悪いところも反面教師にしちゃえばいいじゃないですか。

    最後は余計なお節介になってしまいました。すいません。

    長いこと付き合っていただいて、ありがとうございました。
    あなたとの対話は楽しかったです。

    2015年09月14日 21:50 by misa

  • 貴重なご意見ありがとうございます。

    順番が前後しますが、確かに私は「生きているだけで苦しい」と述べました。そして、その原因は多分に親にあると思っています。 ただそれを詳しく述べることは、私のプライバシーをさらすことになり、できれば控えさせていただきたいのが本音です。「生きてい るだけで苦しく、またそれは親に原因があると考えている人がいる」程度の認識をしていただければと思います。

    次に、「苦労」というものについて、もう一度考えを述べさせていただきます。事例として「貧乏」(要するに経済的なもの)を挙 げますが、たとえ貧乏がその子どもを成長させたとしても、その子どもは貧乏であったことを希望するのでしょうか。貧乏でよかった などと思うのでしょうか。できれば貧乏じゃなかったら、とは思はないのでしょうか。

    たとえ後になっても、子どもにとっては「必要なかった」と思える苦労があると思います。本人からしても、客観的にみても、「希 望しない」「不要だった」と考える「苦労」があります。そしてそのような苦労は「はじめから不要」であると考えます。そのような 苦労はあらかじめ排除すべきというのが私の考えです。

    最後に、子どもを産むことに理由がいるかということについて、これは「生き物とはどうあるべきか」という、おそらく我々では答 えの出せない問いにつながると思われます。

    また我々は子どもを産んだことがないので、理由が必要なのかどうか、あるいはない方がいいのか、考えるに足る経験がありません 。答えを出すべきかどうかもわかりません。これについては、たとえば他のブロガーさん?の意見を待ってみるということでどうでし ょうか。それを聞いてから議論するのでもいいと思います。

    まとまりのない意見・議論で申し訳ございません。
    私は様々な方からの意見を求めます。

    2015年09月14日 21:08 by

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