親の資格について
突然ですが、次のような思考実験を考えてみる。
将来において、少子化などの人口問題は解決され、国の財政問題も解決したとする。さらに医学が十分に進歩し、新生児の遺伝的・ 先天的疾患や障害・不都合は、生まれる前に完全に治療ないし排除できるようになった。したがって、子どもが幸せになれるかどうか は、家庭環境、社会環境に依存するところが大きい。
そこで次のような制度が提案された。親は子どもに対し大きな責任を負うとの観点から、「親になる」すなわち「子どもを産む」こ とを免許制にするのである。親になろうとする者は十分な研修や実習を受け(そのためのシミュレーション環境は整っている)、かつ 経済的・人格的・心理的なあらゆる審査に合格する必要がある。これらを通過しライセンスを取得した者のみが、子どもを産み、育て ることができる。万が一、無免許で妊娠した子どもはすぐさま堕胎となる。
このような制度ができれば、どうなるだろうか?
私はこの思考実験を通じて、こう問いかけたい。
「あなたに子どもを育てる資格があるのですか?」
みなさんはどう考えますか。
なるほど、確かにある程度の均質化は子供の幸福のためには必要となるかもしれません。
多様性を阻害しない程度の最低ラインの試験の実施なら賛成です。
2015年09月01日 20:10 by こやひろかず
確かに、親が均質化されると子どもの思想・性格も均質化される可能性があります。
しかし、たとえば現在の教育は、教員免許を取得した教師によって、文部科学省の定めた指導要綱にそってカリキュラムが施行され ることを考えれば、すでに子どもの均質化はあるのかもしれません。
学校教育においてある程度均質化されているのに、家庭においてある程度の均質化を許さないのは、不自然なのかもしれません。
さらに言えば、むしろある程度均質化されなければ、子どもの幸せは保証されないのではないかとも考えられます。
私は子どもを育てる資格のない人がいると思います。たとえば人格的・経済的に破綻しているなど。その最低限のラインを見極める ことが大事なのではないかと考えます。
難しい設問ですね。
私は免許制に賛成ですが、そうするにしても試験はあまり難しくしすぎないほうがいいと思います。
何故なら、厳しい試験に合格した一部の選良だけが子供を作れるとしたら、子供は親の影響を受けますので、志向や性向などが同じ ような子供ばかりになってしまうと思うからです。
そうして均一化が進んだ国民は必然的に全体主義的傾向を帯びます。
それってなんか怖くありませんか。
また、堕胎するにも胎児の成長具合を考慮したほうがいいと思います。
やはり肉体がある程度出来上がってるものを殺すのは抵抗があります。
2015年08月30日 23:29 by こやひろかず
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