副管理人さん募集中です
気付けばメンバーが100人を超えておりました。皆さん感謝です。
ところで、管理人、今年いっぱいでFC2を退会することになりました。
管理人がアカウントを削除した場合、
運営するコミュニティがどうなるのか分からないのですが、
一緒に削除されるか、管理人不在のまま継続かのどちらかかと思われます。
つきましては副管理人を任命して、管理権を譲渡することにします。
アカウントは今年末で削除予定なので、
希望される方は、このトピックにレスをお願いします。
希望者が現れない場合はそのままアカウントを削除します。
コミュニティ削除の可能性があることを先にお伝えしておきます。
面倒くさがりなので、立候補しませんでした。すみません。
管理人さんお疲れさまでした。
新管理人 憂生 さん、よろしくお願いします。
>憂生さん
管理権譲渡を承諾していただきありがとうございます。
はい、立候補者はいませんでしたので、
憂生さんが正式にこのコミュニティの管理人となります。
私にはコミュニティの発足しかできませんでしが、
今後は憂生さんが中心となって発展させていただけたら幸いです。
憂生さん、そしてメンバーの皆さん、よろしくお願いします。
そして短い間ではありますがありがとうございました。
他になのりでてくれる方はいらっしゃらなかった?のですね。
私もかじる・・いや、なめるくらいしか、歴史のことはわかりませんが、
何人もの方が歴史への投稿を楽しんでこられたと思うと
残念に思え、管理くらいなら(甘くみちゃいけませんが)
なんとかできるのではないかと思ってなのりでました。
サークル運営にあたっては、皆様の意見や要望などをどんどん反映させていきたいとおもっていますので、
どうぞ、遠慮なく申し出てください。
2008年12月15日 23:12 by 憂生
>憂生さん
初めまして。返事が遅れまして申し訳ありませんでした。
管理人の件、引き受けていただけてほっとしました。
早速、副管理人に任命させていただき、管理権をお譲りいたします。
そして書いてくださったコメント、読ませていただきました。
私は日本の歴史については大変疎く、
大和政権については聞き覚えがあったものの、
その他の王朝の伝説があったことなどは初めて知りました。
久しく、本をよんでないのだが、
まあ、何かにつけ、思うのは
司馬遼太郎である。
彼の人物の解剖はいかにも、
そうであったろうと、思わせるものが多いが、
これも、
現場にむかうという彼の新聞記者としての性癖が功を奏しているのだろう。
時代も良かった。
彼の作品で秀作と思うものは、/個人的に/
明治維新頃を題材にしたものが多い。
人物が肉迫してくる。
何の本だったか、題名さえ忘れたが
彼の執筆裏話のようなものを読んだ。
彼は現場に向かう。
むろん、その場所に人物が生きて存在しているわけが無い。
ところが、その土地の気風や
郷土の感情。
生活環境などに触れることが出来る。
単純に言えば
雪が降るところの人間は慎重になるとか。
京都の商人は、
傘を求めに八百屋にはいったとて、
「すんまへんなあ。つい、さっきうれてしもうたえ。明日には、しいれておきますさかい、
堪忍しておくれやすや」
/京言葉かどうか、あやしい/
と、まあ、実にとおまわしに断りをいれるとか・・。
今でも、***の人が通ったあとには、石もおちてない。とか
***の出身者はでかそう(立身出世)とする気が多いとか・・。
その土地が育てる人間気質から掘り下げるだけなら、
時代が良かったとはまだいえない。
例えば、南州公/西郷隆盛などについていえば、地元に行けば、子供の頃にせえごどんを
見た事がある。話した事があるという生きてる人にであう。いや、さがしてくるのであろうが・・/
コレは、すごいなと思う。
写真などいくらか、残っている時代で
竜馬の写真なぞもあるが、
写真が語るより生のものである。
せいごどんは前あわせも閉じず
前のものがプラプラ見えるのも、お構いなしに
犬を連れて散歩していたという話が伝わっているが、例えば、老婆がみたせいごどんの印象をきけば、その話がさもありなんと思 わせる別の印象をつれてくる。
これは、司馬遼太郎の中で
立体感のある人物が彫像になる。
骨格見本のモデルを写生する絵師のように、
実像に近くなる。
そして、あげく、
1人の人間の中にある矛盾さえも、
たやすく解いてしまう。
2008年12月05日 21:11 by 憂生
あれや、これや、時代物がかった読み物をかいていますが、
本来は明治維新。
特に坂本竜馬が好きです。
竜馬を好きなのは、その考え方といっていいかな。
竜馬は実に単純で純心だと思います。
薩長連合を提示するにしても、
普通なら、そんな事ができるわけがないと、
思っても、実行にうつせない。
ところが、
「仲よくすりゃ、いいじゃないか」
できない事じゃない。
大政奉還にしろ、同じ。
あの状況のなか、そんな考えをもちだしていけば、自分の身だって危ない。
だけど、慶喜にとって、一番良い方法をあっさり、・・・誰だっけ?を通して、進言する。
時期的にうけいれやすい状態だったにしろ、
歴史の引き金をひく。
こんな事をあっさりやってのけた。
その竜馬でさえ、
天の思惑と、ずれた方向に動いたとしか思えない。
竜馬の思想はグローバルな見解の上になりたっていて、竜馬はいずれ、世界貿易などに進出してゆくつもりであったろうと、きく 。
そのグローバルな見地からみれば、
小競り合い。身内争いの薩長の輩など、
「仲良くすればいいじゃないか」
と、一笑で片付けられる手のひらの上の問題でしかなかったと思われる。
大政奉還も又、同じ。
日ノ本の国をおさめてゆくに、
最善の方法をかんがえたにすぎない。
その竜馬が強刃の露になる。
犯人は不明であるが・・・。
運がなかったとはいわない。
竜馬が天意にそったのは、ここまで。
あとは余分だったと、思う。
世界貿易とか・・・。
外国の商いが日本に入り込んでくる。
マネー本意の生活が今、まさにそうであるが、
これが、人心を殺伐としたものにする。
その一番のきっかけを明治維新のその頃に
もちこんでゆくことは、危険だったと思う。
ましてや、
裏の実力者ともいえる、竜馬が交易に従事したら、あるいは、日本は竜馬の植民地のごとく。
コレは、無論、竜馬が望んだ状態ではないが、
竜馬の持つ背景が竜馬を一国の統治者にしたてあげてしまいかねない。/むろん、外国勢からみてではあるが・・/その外国勢の 圧力ほどおそろしいものはない。
時代に早すぎた寵児はいくらか、時代のよどみの堰をきった。
そこまで。
天は竜馬の速足をとどめた。
2008年12月05日 21:10 by 憂生
竜馬を書くための「メモ」
届かなかった短筒を目の端にとめた竜馬の脳裏に慶喜の顔が浮ぶ。
「この先の日本丸を・・・」
大政奉還の進言に慶喜が返した言葉の一端であるとは、知らぬ渡辺篤であるが、
その刃でついえた者の魂の所在の大きさが
渡辺の胸をえぐった。
とんでもない人物の命を奪い去った。
その悔恨があとになるほど、深くなるとも知らない。
竜馬の命が消え果て、
わずか後、南州公の謀反とも思える暴挙である、西南戦争の時、
渡辺篤の胸中に沸いたのは
その時の竜馬の言葉であった。
「この先の日本丸を・・・」
渡辺の瞠目が開かれても
もう、
竜馬は居ない。
この渡辺篤が竜馬をついえた。
日本丸を思う誠の志士を
この渡辺がついえた。
2008年12月05日 21:09 by 憂生
言霊さきわう国
言霊こそ神代から伝わる日本独特の導きで、
言霊が、わが身の霊性から、発せられる。
霊性などとおおげさにいうと
あほきゃ?と思われることだろうけど、
日本人の発想の中に
喉仏というものがある。
どうやら、背骨の後ろ
ぼんのくぼに仏の形をした骨があるらしいが・・・。
そこに、仏の性が鎮座する。
そして、音叉である、喉・・一般に云われる喉仏を震わせて「慈愛」に満ちた言葉を言わせる。
言い換えれば良い言葉や愛情のある言葉
これがいえないのは、ぼんのくぼに鎮座する
仏性が悪性であるということになるのかもしれない。
すなわち、
ろくでもない言葉を言わざるをえないは、
ろくでもない仏性/業をもったまま?/に、
支配されてしまってるといえるかもしれない。
自分本来の善的部分をのっとられて、
業のままに差配され
悪言を放り出す。
おまえのせいじゃないが、
そんなものに支配されるおまえの卑小さを
恥じてくれ。
と、いいたくなるところであるが、これを
まずは、わが身に戒めて・・・。
尚且つ、逆に良い言霊を吐ける自分をして、
良い仏性のお陰とわが事にせず
自惚れず、より良く尊く生かされてると、
他に感謝する。
これが、日本人のもっとも素晴らしい持ち味である。
そういう民族だからこそ
言霊という一種の呪/詳しくは夢枕漠、陰陽師参照/を、扱える。
いわば、日本に銃という武器が入ってこないのと同じように
それを扱う者の思いのあり方が問われたように
日本人は神代から続く
呪である言霊を取り扱う唯一の赦された民族である。
こう考えると
言葉は・・何よりも恐ろしい武器であり、他方で、
何よりも和である。
2008年12月05日 21:08 by 憂生
流石に1000文字はきついですね。
冒頭だけにしておきましょう・・・。
日本のひらカナ
一文字一文字に何らかの意味が込められているという事であるので、
神代文字で表されるもののうち、
ひらがなであらわされているものの、
本来の意味を一文字一文字から、さぐってみるとおもしろいものがあるかもしれない。
例えば
すは清めるの意味がある。
さは佐・・人の左の意味で
つまり、人間の神的部分。
煎じ詰めれば
魂・・といっていいかもしれない。
こう考えると
次にある文献から、
せは、背。
つまり、自分の後ろ側。
抽象的な連想であるが、例えば自分を守護する守護霊なども、背であり、
万葉集などでも、自分を支え、守る存在である、伴侶を背・・女性に対しては妹背などという。
と、なると、
すさのおというのは、
人間の魂を清める緒。/元/という意味になり
すさのおが治める根の国とは、
人間の根・・・/魂?/
を、清める・・在所の統括者という意味合いになってくる。
なると、死して後にしか、
魂は清められないのかということになってくる。
この問題について
おおくにぬし、
黄泉の国の治めるといわれる
おおくにぬしの妻に
確か、/間違ってたら御免/
すせり姫というのが居たと思う。
清める。
背・・。
り・・/理/物の道理/
人の生き様を道理によって、清めていく。
あるいは、すさ、すせ、は
身代わりという意味合いもあるという。
憂生の得意とする、言い草に
「目に映ること、元は吾にあり」
で、この「知らせ」をどうにか、解明して、
自分をたてかえていってはどうか?
と、いう考えがある。
つまり、目に映ることは、
言い換えれば
「自分の身代わり」
この身代わりを見つめなおしていけば
黄泉の国に行かずとも
魂/生き方?/を清めることができますよ。
と、
おおくにぬしの横ですせり姫が答えを掲げている気がする。
2008年12月05日 21:05 by 憂生
ウは宇宙のウ・・・。 /終
話がぞれた。
で、
ウガヤフキアエズ朝が九州にあったとい、仮説をたてたくなった大きな理由が
その宇波西神社にまつられているのが、
ウガヤフキアエズだからなのである。
そして、ここのまつりに
「王の舞」と、言うものが残っている。
ウガヤフキアエズ朝が王朝であったなら、ウガヤフキアエズは「王」であろう。
神々の系図の中に存在するウガヤフキアエズと、同一人物なのか、どうかもわからないが少なくとも系図の中のウガヤフキアエズ が島流し?にされることはないだろう。
と、なると、ウガヤフキアエズ朝を子孫の名にかえただけにすぎないのかもしれないとおもいたくなる。
大和政権は九州地方にあったウガヤフキアエズ朝をほろぼしてしまったのか?
系図のなかとは、違う年代でウガヤフキアエズが王朝を築き、亡国の憂き目をなめさせられたのか?
なんにせよ、
ウガヤフキアエズ朝と系図の中の同じ名前のウガヤフキアエズがいまもって、ふにおちないのである。
2008年12月05日 21:02 by 憂生
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