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日本の奇習・土着伝承

奇習の集積。

2019年02月15日 19:08  by 千極斎

コメント一覧 57件中、31~40件表示

  • [リンク:http://happism.cyzowoman.com/2013/05/post_2446.html]おっと い嫁じょ[/リンク]とは、強姦婚の風習。事件が起きた場所は串良町、現在の鹿屋市である。
    [リンク:http://anond.hatelabo.jp/20110902232813]鹿児島地判昭和34年6月19 日[/リンク]

    2019年03月14日 11:12 by 千極斎

  • [リンク:http://matomecup.com/blog-entry-9763.html]ID:JYnG2SuC0. net[/リンク]
    遠野旅行での出来事なんだけど 需要あるかな?

    [リンク:https://dostoev.exblog.jp/15964381/]座敷わらし祈願祭[/リンク]
    大出早池峰神社
    4月29日に行われる例祭だが、[リンク:http://www.tonotv.com/html/catv/daily/2 017/05/02/3.html]昭和63年から始まって[/リンク]おり、それほど歴史はない。今年行われるもので32周年 になる。

    2019年03月13日 09:19 by 千極斎

  • 同國最上領山寺の事

    ○同國最上領に山寺と云(いふ)あり。慈覺大師の開基の地にて致景の所也。
    七夕の夜、ふもの町近在より男女登山し、人家に宿し枕席(ちんせき)を共にす、新舊識をわかたず、大原のざこ寢といへる如し。
    又此奧最上川の邊にめたくた村といふあり、谷中二三十軒もある村也。この風俗も常に男女の差別なく、往來寄宿する事なり。めた くたは滅他無性(めつたむしやう)になどと云(いふ)詞(ことば)のごとしとぞ。

    ※「同國最上領山寺」前項を受けて出羽国で、無論、「山寺」は現在の山形県山形市大字山寺にある天台宗宝珠山(ほうじゅさん) 立石寺(りっしゃくじ)。古くは「りふしやくじ(りゅうしゃくじ)」と読んだ。
    天台宗宝珠山立石寺
    所在地:山形市山寺4456−1

    寛政の頃に書かれた書物に、山寺に近いさばね峠も古くはざこね峠と称していたとある。

    ※おそらく、猿羽根峠の事。
    所在地: 〒999-4601 山形県最上郡舟形町境の峰2981 舟形駅

    2019年03月11日 10:50 by 千極斎

  • 30: 名無しさん 2016/11/18(金) 12:16:55.83 ID:2lpr/XAx0
    節 分に豆と1円をティッシュに包んで三叉路や曲がり角に置く っていう風習今でもありますか?

    32: 名無しさん 2016/11/18(金) 13:06:09.10 ID:g6djkgbQ0
    >>30
    もうない・・・と思う。
    と書くと四国のどこか、まるわかりw
    ティッシュじゃなくて「ちり紙」ね。
    ちり紙って知ってますか?

    106: 名無しさん 2016/11/22(火) 02:54:23.75 ID:C4QOc86A0
    >>30
    あったな
    ばあちゃんが絶対に後ろは振り返らんでね
    何か忘れたけど追っかけられるから
    って言われて走って帰ったいい思い出

    107: 名無しさん 2016/11/22(火) 09:15:15.14 ID:kuKhbSHD0
    >>106
    あったあった
    振り返ってはいけないって言ってたね

    2019年03月10日 10:19 by 千極斎

  • 群馬県藤岡市 三嶋様の夜祭りでは、かつて上社にて雑魚寝が行われていたという。

    妙義山麓の性神風土記 下巻 (上州路文庫)
    著者 小板橋 靖正

    2019年03月09日 09:47 by 千極斎

  • [リンク:http://narcissu.doorblog.jp/archives/18537183.html]■[/リ ンク]子種石、乳母が石、またげ石と種貰い〔他人の精子を貰うという意味〕
    摂州の住吉神社の「子種石」や
    大和奈良の水屋神社の「お×こ石」や、
    京都の梅宮神社の「またげ石」なども、その古い土俗に遡れば
    縣神社の種貰いと同工異曲のものだと想像される。

    摂津の国真上の[リンク:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%A0%E6%A3%A E%E7%A8%B2%E8%8D%B7]笠森稲荷[/リンク](瘡守と付会されて有名な下の病の神)
    毎年七月十七日から二十日まで四日間行われる例祭で、子の無い 婦人は夜々尻をまくって河原の石の上に座っていると、 必ず子 を授かるというので、大正の時代にも祭礼の後にはこうし た志願の女性を見かけるとあるが、この子供を授ける神の正体も 大概は 見当がつくのである。

    下野の国[リンク:http://team-v.jp/tozan/kotohira/kotohira.html]柏倉の金 毘羅神社 [/リンク]
     明治八九年の頃は子授けの神として関八州の流行神となり、 参籠の女性が群集したものだが、子授けの神は天狗の仮面を 被っ た神官どもであることが露顕した騒ぎがあった 。
    神の申し子の真相は概して神官の奸計に出たものが多い。

    2019年03月08日 09:55 by 千極斎

  • 毎月一回くらい集まって地区の道路の掃除とか酒飲んだりする日がある。
    http://www.oumaga-times.com/archives/1066993225.html
    地元では定期的にみんなで集まって地区の掃除をする行事みたいなものがあった。その日は昔からあって何を祀っているのかも不明 な神社を掃除することになったのだが、そこには「近づいたら死ぬ」と言われている曰くつきのU字溝があってェ…

    2019年03月08日 09:47 by 千極斎

  • 寝宿とは。
    昭和二十年の初めまで、関東から以西の主に沿海部の漁村に分布する 独特の風俗習慣に「寝宿(ねやど)」と言う制度があった。
    北日本、東日本ではその存在が希薄である「寝宿」は、地方 により「泊り宿」や「遊び宿」とも言う。若い衆には「若い衆宿」、 娘衆には「娘衆宿」があるのが普通だが、男女別のものばかりではなく、土地によって同宿のものもあった。集会場や仕事場としての み用いられ るものは「寝宿」とは呼ばない。「寝宿」は文字通り寝泊宿で、男子 の場合、若い衆へ加入と同時に「寝宿」へ参加す るものと、「寝宿」へ 加入する事が、逆に若い衆組への加入を意味する「形態」とがある。
    娘衆の場合、集会としての娘宿は多いが、寝泊宿の例は比較的少なかった。
    たとえ、寝泊宿があったとしても、いずれにせよ、一つの寝宿に 兄弟姉妹が同宿する事は避けるものであった。
    寝宿の機能は、「婚姻媒介目的」と「漁業目的」 の二つに大別され、双方を兼ねる場合もある。
    婚姻媒介目的の場合、若い衆は「寝宿」から娘衆の家・ 娘衆宿・娘の寝宿へ夜這い(よばい)に訪れ、おおら かに相性を確かめ た上で将来の伴侶を選んだのであり、 そのさい宿親と呼ばれる宿の主人夫婦や宿の若い衆仲間達が、 助言や支援を行った。
    つまり、明らかに村落共同体としての合意ルールによる 「夜這い」である。いずれにしても、この寝宿制度は「夜這いを容易にす る手段でもあった」と言える。
    したがって結婚すれば寝宿から卒業する地方もあった。

    一方、漁業目的の場合は、寝宿から夜間の漁に出たり、寝宿に宿泊して遭難、災害、紛争(他の村落相手) 等の非常時に備える現 実的な目的(今で言う自警団)があった。
    「寝宿」としては、一般に新婚夫婦のいる家屋の一部屋 を利用するものが多いが、漁業に関係した「寝宿」は 網元の家が用いら れる事もあつた。
    また寝宿専用の家屋が常設されている地方もあった。
    こうした慣習が、関東以西の広範囲に大正末期までは 顕著に続けられ、その名残は、地方によっては村の青 年団や消防団などが こうした習慣を継承して、 昭和の二十年代初めまで続いていたのである。

    2019年03月07日 09:40 by 千極斎

  • 一部の農村・漁村では、
    「筆おろし」「ヒラキ」と呼ばれる「前近代的」な儀式がおこなわれていた。
    精通期の男子をつかまえて、初体験をさせるのである。
    一種の通過儀礼といえるだろう。男子が相手を選んだり、自分の好きにふるまうことは許されない。相手は、 共同体が近所のおば さんや遠い親戚の女性から選択するか、相手をつとめる女性が「あんたも齢頃だからヒラいたらどうぢやろ」と声をかけるかして(高 倉薫「童貞開きの伝習奇習」179頁)、決定した。

    2019年03月06日 10:14 by 千極斎

  • 沖縄県のA島=新城島[ /リンク](あらぐすくじま?)では、なんとも奇怪な祭りが行われている。それは通称「種子取り祭 」と呼ばれ、若い男女の営みを参加者に公開する、 セックス祭りである。

    沖縄県は八重山で最も人口が少ない島”A島”。ここでは、島出身者以外の旅行者では絶対に参加できない 秘祭[/太字 ]が行われている。それは豊年祭と呼ばれ、表向きは神を讃える祭りなのだが、特に見物人に対しての制限は難しい。

    運良く見物人として参加できても、写真撮影禁止、そして決して祭りを口外にしてはいけないという固い厳守事がある。

    一体なぜなのか? それには驚愕の真実が隠れているからである。この祭り、実は裏では
    「種子取り祭り」と呼ばれる、いわば公然セックス鑑賞会なのだ。

    毎年、過疎化を防ぐために島で選ばれた若い男女が、この祭りの時に、島中の人々が集まる場でセックスを行うのである。

    首里王朝に伝わる古の書物には「風俗の乱れこれあり…」と書かれた一説があり、 島では若い女性たちは半ば強制的にセックスさ せられ、種付けをさせられるという。

    ちなみにもし、[太字]島外の者がその場を見物していることがバレると、島中の男たちから半殺しに遭い、五体満足の体では二度 と本島には帰って来れない
    という。

    島外者立ち入り禁止の神社として[リンク:https://blog-okinawa.com/hang-out/3506# mokuzi2]人魚神社 (東御嶽)がある。

    2019年03月05日 15:52 by 千極斎

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