アルフ
二部
そんな二人から少し離れた所、春樹は目を閉じながら天を仰ぎ、何やらブツブツと呟いていた。
「うん・・・とりあえず、ここは制圧したから。・・・増援?・・・分かった。じゃあ、まずは本部の方を・・・うん。それじゃ 、その手はずで」
独り言なのか誰かと通信しているのか、そんな不思議な呟きはもうかなりの時間続いている。
その間の無防備な春樹を守るため、怜治は春樹から借りた自動小銃を使って不定期に襲ってくる追手を代わりに始末。しかしそ の追手も引き上げ たのか、すっかり襲ってこなくなっていた。
「なぁ、白羽。あいつ一体なにやってんだ?あと虚数空間ってなんだ?俺、理系分野は苦手なんだよ」
「さぁ?・・・あっ、動かないで。・・・私もよく分からない」
「何で本来は敵のあいつを俺とお前が守ってんだろうな。それと、このお嬢ちゃんは大丈夫なのか?いきなり目を覚まして俺をブ スッ、みたいなこ としないだろうな」
必要以上に肘をグルグル巻きにされながら(おかげで白羽の和服の両袖がなくなってしまった)、怜治は自分の膝を枕に眠って いる亜季を怪訝な 目で見た。助けた恩を仇で返された怜治としてはどうも彼女は信頼できない。
「大丈夫・・・だと思う。・・・多分」
そう答えた白羽の声もどこか不安気である。
その時、春樹がようやく謎の呟きを終えて二人の元に戻ってきた。
「お待たせしました。それと、陣地の死守ありがとうございました」
「そんな大それたことじゃない。本来敵のお前を守るのは気に食わんが、どうせ乗りかかった船だ。お前と俺達は運命共同体さ」
「・・・(コクリ)」
「そうですか、ありがとうございます」
怜治の苦笑いと白羽の静かな頷きを見て、春樹はどこか安心したような顔をし、
次の瞬間、
「ではせっかくですから、そのまま死地までお付き合いいただけますか?」
とんでもない言葉を口走った。
アルフ
一部
春樹の覚醒から2時間、三人は未だ原生林の中にいた。
飛び込んだ時は真上から照っていた太陽も今ではすっかり傾き、競うように高く伸びた木々に光を遮られた森の奥からは闇がヒ タヒタと近づいて きていて、このまま日が落ちてしまったら森から抜け出すことも難しくなってしまうかもしれない。
しかしそんな中、怜治はまったく別の理由で困り果てていた。
「白羽、もう本当に大丈夫だから・・・こんなのほっとけば治るって」
「ダメ。関節の骨折は固定しないと大変。だから、大人しくして」
その原因は無事再会を果たした白羽の変わりようにあった。
左腕を骨折した怜治がいくら大丈夫だと言っても白羽はまったく聞かず、その辺で見つけた手ごろな木と自らの着物をちぎって 作ったお手製の包 帯を握り締めながら怜治に手当てを強要してくるのだ。
―何でこいつはこんなに積極的になったんだ?俺の知ってる白羽は、確か無愛想な子だったはずだけどなぁ・・・。
再会してからというもの、やたらと怜治の体を気遣う白羽に、怜治はある種の不気味さすら感じるようになっていた。
参
ハルキの様子が変化しはじめる。鋭かった眼光が穏やかな……寝起きのような頼りないものに変わった。
「やはりあいつ、自分から笛を吹くよう白羽に頼んだんだな。……何をする気だ」
春樹がなにごとか呟く。内容を知りたい気持ちが勝り、怜治は隠れているのをやめた。
「白羽! 大丈夫か?」
振り向いた白羽が輝くような笑みを見せる。
「無事だったのね」
「俺はしぶといんだ。ところでその坊や、何やってるんだ?」
春樹がまた呟く。独り言なのか、誰かに聞かせようとしているのか判然としない。
「僕が起こされたってことは、虚数空間に接続しろってことなんだと思ったけれど……。これはハルキの判断なんだね?」
「何言ってる? こいつ一体どうしたんだ」
「わからない。でも人格を覚醒させるとか言ってたわ」
怜治と白羽の会話に、春樹が反応した。
「その通り。そして覚醒した。僕はハルキというプログラムでも春樹というぼーっとした人格でもない。意識の底に沈んで全てを 傍観していた、本物の如月春樹」
2008年10月27日 17:47 by いき♂
弐
まどろむ意識は鋭い痛みにより強制的に現実に引き戻された。
「ぐううっ!」
怜治は呻きつつ、自身の身体を入念にチェックする。背と脇腹に痛みと共に出血があるが、単なる掠り傷だ。問題は左腕――動 かない。左腕に最も激しい痛みを感じ、確認した怜治はため息をついた。肘が赤く腫れ上がっている。
「……折れていやがる」
怜治は葉巻に火をつけようとして思いとどまる。武器無しの状態で敵に位置を知られては厄介だ。
「しかし、なんなんだあの娘」
亜季は何故自分にとどめを刺さなかったのか。彼女にとって、敵を殺すよりも優先すべきことがあるのか。
「考えてもわからん。白羽を探すか」
丸腰のうえに左手が使えない。しかも亜季は人間ではない。圧倒的に不利な状況とは言え、ただじっと死を待つつもりなど、怜 治にはさらさらなかった。
怜治は痛みを堪えつつ、足音も気配も消して慎重に歩を進める。
「いくら慎重に移動しても、センサーで索敵されたら無意味だ」
その時、笛の音が聞こえた。草をかき分け覗いてみると、そこにいた――白羽だ。
「し――」
怜治は、呼びかけるのをやめた。立っている白羽の前に、横たわる亜季とひざまづく春樹の姿があることに気付いたのだ。
「神凪祈亜季を殺ったのか? あのガキも抵抗しているようには見えない」
ひとまず、白羽に危険はない。怜治は黙って成り行きを見守ることにした。
2008年10月27日 17:47 by いき♂
三番手 いき♂
壱
「神凪祈慶一郎。専務のイヌめ。……しかし、ざまを見ろ、専務。サイボーグなんて、洗脳が解けてしまえば途端に命令を無視し て動くじゃないか」
脇腹を刺された後も、慶一郎と互角に戦闘を繰り広げた沖田ではあった。しかし、『人間や、生身の肉体を持った記憶のあるサ イボーグは、自らの肉体の損傷後は戦闘に迷いが生じる』という事前にインプットされたデータが枷となった。
実際、右腕を斬り落とされようと、あばらに甚大な損傷を受けようと委細構わず攻撃してくる慶一郎は、まさに“肉を切らせて 骨を断つ”戦法をとったのだ。彼は自らの損傷を増やすたび、沖田の行動を確実に制限していった。加えて、慶一郎は顔半分吹き飛ば されても何ら変わらず行動して見せたため、沖田の対応が後手に回ってしまった。
「残念だったな、沖田。私の生身の脳は傷ついていないし、サイボーグとしての機動をサポートする電子脳は頭部にはない。私の 勝ちだ」
負けた沖田は、二度と再生できないように徹底的に破壊されつくした。慶一郎は、沖田の身体のどこに再生ユニットがあるかわ かりきっているとしか思えない。そのくらい迷いのない正確さで入念にガトリングの砲弾を叩き込み続けた。
慶一郎に誤算があったとするなら、先を急ぐあまり沖田の機能停止を完璧にチェックせずに立ち去ったことだ。とは言え、今の 沖田に何が出来るわけでもない。通信機能が生きていれば、会社にメールくらいは送れるかもしれないという程度だ。
「……以上のことから、専務側はこちらの情報を掴んでいるものと推測します。しかし、洗脳に頼るサイボーグ用の命令強制シス テムは不完全です。慶一郎は命令とは無関係に、自分の意志で行動しています。これの意味するところは超人的な力を手に入れたサイ ボーグによる反乱です。ひとたび反乱が起これば、会社に甚大な被害をもたらすことを警告いたします。一方、我々アンドロイドは命 令を拒否する心配がありません。よって、専務のサイボーグ・プロジェクトを潰し、社長のアンドロイド・プロジェクトを推進するこ とを強く提言します。なお、洗脳を突破した神凪祈慶一郎を、研究のため捕獲することを同時に提言します。従って、私の信号が消滅 してもミサイルを撃ち込まず、増援を要請します」
社長へのメール送信が先か、機能停止が先か。沖田は完全に沈黙した。
2008年10月27日 17:45 by いき♂
弐
「そんな・・・・彼女はいったい・・・・・?」
白羽を手で制し、下がらせるとハルキは亜季に近づいた。
「亜季・・・・俺が分かるか?」
「はル・・・・き・・・」
亜季の口がほんの少し持ち上がる。
ハルキは瞬時に亜季に近づき、額に指を当てた。
「カ・・・・・・?」
亜季はその場に崩れ落ちた。
「何を・・・・したんですか?」
白羽がそっと二人に近づく。
ハルキは静かに答えた。
「亜季のプログラムを一時的に強制停止させた。亜季は恐らく何かの衝撃で思考回路が狂ったんだろう。それを元に戻すんだ。」
ハルキは昔からこの事実を知っていた。
いつか彼女が狂ってしまうときが来る事も・・・。
「出来ればこうなる前に春樹に覚醒して欲しかったんだが・・・・。仕方がない。・・・・手伝ってくれないか?」
突然振られた白羽は、慌ててハルキに尋ねた。
「いったいなにを・・・?」
「お前の笛で、春樹を覚醒させて欲しい。お前は春樹の体に入っていた俺の人格を無理やり引き出すことが出来た。なら、覚醒さ せる事も出来るはずだ。」
白羽から見ても、それがハルキの苦渋の決断だという事が分かった。
二番手 螢羅琴音
壱
ハルキはクスッと笑うと、心底楽しそうに言った。
「春樹は人間さ。それも、今この世界で一番価値のある、ね。そして俺は春樹を守るためだけに人工的に作られたプログラム。春 樹のためにただある存在さ。」
ハルキの最初の記憶は真っ暗な闇。
次第にたくさんの情報が自分の中に流れ込んでくるのが分かった。
「これで・・・・完全に完成だ。さあ、目を開けろ!ハルキ!!」
初めに飛び込んできたのは研究者の顔と、真っ白な部屋。
冷たい寝台の感触とともに、春樹の肉体を感じた。
きょとんとするハルキに、研究者は笑顔で言う。
「ハルキ・・・・・君はもう知っているだろう?自分のやるべきことを。」
ハルキはコクンとうなずくと、立ち上がり手刀で研究者の喉を潰した。
研究者は、笑顔で死んでいった。
ハルキはそのまま研究所の全てのデータを消去し、残った人間は消し、全てを完全に無に戻した。
そしてそのまま春樹の家に行き、その意識を春樹の体の奥で眠らせた。
以来、ハルキは春樹の中でうまく立ち回って生きてきた。
春樹は何も知らない。
春樹の存在も、己の指名も、何もかも。
「それで?彼はいったい何者だって言うの?」
「それは・・・・。」
ドガッ!!
突然二人の前に何かが勢いよく降り立った。
「ハ・・・る樹・・ヤッとみつ・・・ケた・・・。あイたカッタ・・・・・」
「亜季・・・・。」
亜季はボロボロになった服の切れ端を体に身につけ、虚ろな目でハルキを見つめていた。
白羽は口元を押さえ、驚愕の瞳で亜季を見つめている。
「はルキ・・・・ハる・・・キ・・・」
亜季は、狂ったように春樹を求め続けていた。
四
──そのときだった。
笛の音が聞こえてきた。人の心を優しく和ませる、川のせせらぎの様な綺麗な調べ。
「ぐっぐぁぁああああっ!!ば、ばかなぁ……っ!」
突然、慶一郎が苦しみ始める。ハルキに向けた機関砲の銃口を降ろし、白目を剥き、口から涎を撒き散らしながら、苦しみ悶え ている。
そして、その頭が割れた。血肉とそれを構成していたらしい機械の部品がハルキの顔にかかる。そして、主無き体はゆっくりと 黒い土に倒れた。
ハルキが振り返ると、そこには逃げた筈の白羽の姿があった。
「お前っ……なんでここに!」
「……ごめんなさい……」
白羽は笛を両手で包むように胸に持って俯いた。流石のハルキもその子供じみた横顔を見て、罪悪感に駆られる。
「……助けてくれたんだな。悪かったよ。怒鳴ったりして」
ハルキがそう謝ると、白羽はにっこりと笑った。屈託の無い、純粋な笑顔だった。
「……しかし、何でこいつにそれが効いたんだ。こいつは人間じゃないから効かないはずだろ。……それに自爆云々言ってただろ ……大丈夫なのか」
ハルキは慶一郎の体を見下ろして、そう呟いた。
「その人の体に指令を出すシステムがその人の脳を大元として作られてたから、効いたんだと思う。その神経回路をいじくって睡 眠状態にしたの。それから、頭を壊して睡眠状態を解除できないようにしたから、多分自爆しないと思う。事実上は寝てるけど、実質 死んでるのと同じ」
「……そうか」
ハルキはそう相槌を打って、それからふと表情を変えて白羽を見据えた。その表情には、翳(かげ)りが見られないが、油断も 隙もまた見られなかった。
「俺がいたのにも関わらず……ということは、さっきの俺とあいつとの会話を聞いてたのか」
白羽はこくりと頷いた。そして、首をちょこんと傾げて言った。
「貴方、やっぱり人間じゃないの?」
参
「まさか貴様が私を裏切るとはな。そんな度胸があるとは思わなかった」
「俺だってお前が自らの肉体を、兵器に改造しているとも思わなかった」
「ふん……まぁいい。お前を回収できれば、土御門はまた一つ先のステップに進める」
「何故俺を狙う?狙うなら亜季を狙えばいいだろう」
「分かっているんだろう?春樹。土御門が本当に欲しいのはお前だ。そして、ここでお前を捕らえられれば、亜季も助けに来るか もしれない。探す手間も省ける。一石二鳥だ」
互いが一言交わす度に、互いの銃口が火を噴き、互いが立っていた場所に火花が散る。
目の前に居るサイボーグは慶一郎だった。どこかで戦闘してきたのだろうか、体の各所の肉が抉れて、骨や内部部品が露出して いる。
だがいくら相手が半壊隻腕のサイボーグだとしても相手は機関砲、こちらは自動小銃。ハルキが不利なのは一目瞭然である。
木陰に身を潜めようとも、その木が一瞬で灰と化す。弾を撃とうものなら、弾道を予測され易々とかわされてしまう。体術など 痛みを超越しているだろうから効果は無いだろうし、それ以前に接近することもままならない。
湿った土を蹴り牽制の弾を慶一郎に向かって撃ちつつ、ハルキは相手に隙が生じないか慎重に観察する。だが、師範の名を持っ ていただけあり、隙らしい隙が見当たらない。
「貴様、折角この世に生み出されたのに、このまま死ぬのは嫌だろう?」
そんな蚊一匹入り込めないような激戦の最中、慶一郎がふいとそう言った。
「どういう意味だ?」
「どっちにしろ、私の体はそう持たないのだ。一回死んだ身であるからな。しかし、私はこの怨恨を拭いきれていない。だからな 、私の臨時心肺機能が停止すると同時に、私は自爆するようにした。爆発範囲は、そうだな……軽くこの島を呑み込むだろうな」
ハルキは目を少し眇めた。その一瞬の隙を慶一郎は見逃さない。
近くにあった木を一蹴すると、一気にハルキとの間合いを詰める。そして、突然の行動に身動きが取れないハルキの首に機関砲 の銃口を突きつけた。
「がっ!」
喉を突かれて、声にならない声が出る。
「お、俺を殺していいのか?」
「ふん、さっき言ったのは殺される前の話だ。今は気が変わった。今の私は貴様が憎い。死ぬほどな」
がちっ、と機関砲の銃身が回る音がした。
「死ね」
弐
白羽は男が叫んだような声を聞いた。それから、白羽は春樹に手を取られて思いっきり引っ張られた。
「きゃっ……」
その一瞬後、白羽が居た場所には、木々の葉の間から漏れる僅かな光だけでも禍々しく光る剣が突き刺さっていた。その剣の柄 の先には人間の二の腕がついていて、その先にその腕の主は居ない。
「久しぶりだ、春樹。」
気がつくと、白羽は春樹の腕に抱かれて呆然としていた。その春樹の鋭い双眸が見据える先を追ってみると……顔の半分が無く なり、胸の肉が抉れてあばらが露になっている男が立っていた。右腕が無く、左腕は肘から先がガトリングになっている。
更に、抉られている体の各所から、機械の様な金属質の光沢が見える。説明を受けなくとも分かる。サイボーグだ。
「っ。本命はお前だったか」
春樹が毒づいた。その声はさっきとは違う、どこか作られたような声だった。
春樹はその男を一瞥すると、春樹の変化に怯えている白羽を見て、声をひそめて言った。
「ここは俺に任せて、お前だけ逃げろ」
「え……?」
白羽がぽかんとして見上げると、春樹はさっきとは別人の様な視線を向けてきた。
「あいつの狙いは俺だ。お前を殺されてあの怜治とかいうやつに亜季を殺されたら俺が困る。早く逃げろ。……あいつは見てのと おり人間じゃない。だから小細工は通用しない」
白羽は笛の入っている懐に伸ばしかけていた手を止めた。確かにあれは人間じゃない。人間で無いものに白羽の魔術は通用しな い。
「早くいけ」
白羽はそんな春樹に気圧されて、慌てて頷き踵を翻して濡れた空気が蔓延る原生林の中を走り出した。
なんとか理性を保って、白羽は考える。
白羽が見つけたあの着物を見た途端、春樹の態度が急変した。あの人にとって、亜季という人はどういう人なんだろうか。殺さ れたら困るといっていたが……。
「怜治……」
白羽にとって怜治は恩人であり、パートナーでもある。白羽の中でただ一人の生きている中で死んで欲しくない人。だが、その 希望をあの網膜に焼き付いて離れない禍々しい多量の血痕が否定している。
白羽は立ち止まって後ろを振り返った。森を揺るがす銃声が木霊している。
──白羽の求める解答は、まだ遠くにあるような気がした。
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