[リンク:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8E%9F%E9%9B% 91%E9%AD%9A%E5%AF%9D]大原雑魚寝[/リンク](おおはらざこね)は、節分の夜、京都府愛宕郡大原村井出( 京都市左京区大原野村町)の江文(えふみ)神社で雑魚寝した風習である。
◇概略[編集]
「和漢三才図絵」「山城名勝志」などによれば、江文神社の祭神は天三降霊命化神、内裏三十番神のひとつとあるが、また一説に倉 稲魂命であるともいう。
里伝によれば、むかし井出の大淵に大蛇がいて、おりおり里に出て、ひとを捕り食らうので村中の男女はひとところに集まって臥て 隠れた。これから雑魚寝がはじまると「大原物語」にはある。
かつて節分の夜、老若男女は産土神の江文神社の拝殿に参籠し、通夜した。 したがってこの夜はいかなる情事があってもみのがし たという。
「にしき木の 立聞きもなき 雑魚寝かな」 蕪村
http://bbs.jinruisi.net/blog/2009/04/553.html
[リンク:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%96%87%E7%A5 %9E%E7%A4%BE]江文神社[/リンク]
所在地:京都府京都市左京区大原野村町643
2019年03月24日 11:07 by 千極斎
越後の国大面の鹿嶋神社
恒祭日には近郷の若い男女が社殿に集まり、夜になると雑魚寝をした。享保まで常陸帯の神事もあったと伝えられている。
※三条市大面の鹿島神社。
所在地: 三条市大字大面922
※常陸帯の神事とは、鹿島神宮で正月14日に行われていた占いである。現在は廃れている。
2019年03月23日 11:21 by 千極斎
〈鍋冠祭〉と呼ぶ奇祭が滋賀県米原の筑摩神社に伝えられている。
《伊勢物語》などに見られるごとく,〈筑摩の祭〉として平安時代すでに都にも知られていた祭りであった。
女たちが「交渉をもった男の数だけ、なべを重ねて」かぶり、神幸にしたがった。
江戸時代中期に、わざと少ない数の鍋をかぶった女性に神罰が下り、かぶっていた鍋を落とされ笑いものにされ、お宮の池に飛び込 み自殺してしまうという事件が起きた。
事件の顛末を聞いた藩主の井伊氏が鍋冠りを禁止したが、嘆願の結果、7,8歳の幼児による行列ならば、と許可され今日の姿とな った。
筑摩神社
所在地: 滋賀県米原市朝妻筑摩1987
2019年03月22日 10:08 by 千極斎
◇日本五大奇祭の1つ!恥ずかしすぎる「しもと祭り」
富山県婦負郡にある鵜坂神社の神事で、平安時代から江戸時代まで、水無月(6月)の16日に行なわれていたお祭りが「しもと祭 」、別名、尻打祭です。
これは女性の貞操を戒め、安産や縁結びを願う神事で、神主は祝詞を唱えながら女性の尻をまくり、榊のしもと(木でできたむち) で打ち据えます。
むちでお尻を打ち付ける回数は、なんとその年に女性が会話や食事などを共にし、交流した男性の数 。
鵜坂神社
所在地:富山県富山市婦中町鵜坂212
2019年03月21日 15:17 by 千極斎
能登の国寺家の三崎権現社
毎年八月十五日の祭礼の夜には、雑魚寝と言って、近村は言うに及ばず、遠く数十里から男女が集まり通夜してにぎわった。汽車 も汽船もない時代に数十里の旅をするとは誇張しているように聞こえるが、神に対する敬虔な態度と、性に惹かれる本能の執着とは、 当時の人たちをそうさせずにはおかなかったのであろう。
※須須神社 。旧名・三崎権現。
所在地:石川県珠洲市三崎町寺家4-2
金分宮よりも北、海岸沿いの道路に鳥居がある場所。
2019年03月20日 08:47 by 千極斎
下野の国太平山神社の八朔祭
八月四日の夜は「お籠り」と称して参詣の男女が雑魚寝をなし風俗を乱すので、警察では取締りを厳しくしている。
太平山神社
所在地:栃木県栃木市平井町659
祭事「お籠り」:8月4日
2019年03月19日 12:55 by 千極斎
信州諏訪郡の八幡社
毎月十四日の祭礼の夜に青年男女が「お籠り」と称して近郷近在から集まり、社殿に泊り込んで良縁を祈る。
※御射山 神戸八幡社 ?本殿に道祖神が祭られている。八幡社なのに、祭神が大山祇神。
所在地:諏訪郡富士見町富士見字御射山神戸10724
2019年03月18日 09:41 by 千極斎
大和の十津川
村内の妻子奴僕とも自他を選ばず、或は旅人にいたるまで、行きがかりに男女が寝所を同じくして交合する。元来、人目を守る関 もなく、これがために嫉妬の心もなく、古くから色欲のために身命を失う者なしと言われている。
十津川村(とつかわむら)は、奈良県の最南端に位置する村。
盆踊りの時期に行われる、ともいわれる
2019年03月17日 08:50 by 千極斎
青森見黒石市の盆踊り「よされ祭り(黒石よされ )」は、3日間は、まったく性が解放されていた。
奈良県吉野郡十津川村の盆踊り、
四国山中の木頭村の盆踊りも同じく。
この盆踊りは1961年ころまでは確実に存在していた。
一説には、巫女が血統によって神懸りになる役目に対して、神楽は天鈿女に由来 してお り、本来は分けて扱われた、とされる。
神楽に由来するものが盆踊りなどの祭事、そして乱交と密接にあった、と言う。
2019年03月16日 08:37 by 千極斎
琉球の各地
雑魚寝のことをヤガマと言っていて、語源的に解釈は小屋の意味で、古くから各村にあったが、度々禁止されたので、明治になっ てからは寡婦の家や民家の離れ家などを借りた。
ヤガマの目的は最初は共同宿泊だったが、若い男女が集まることで盛んに雑魚寝が行われ、全く共同婚と撰ぶことのないくらい堕落 してしまった。
その後に儒教が渡来し、ヤガマは未婚者の自由結婚所と化し雑魚寝は変じて男女一対ずつの抱擁場となり、さらに時勢の影響をうけ て相手のない若者達の合宿所となったのである。こうなるとヤガマは求婚所となり、一人を破談して他を求める場合の配偶者交換所に もなる。
この時代には琉球においても一回の性の結合が、直ちに夫婦関係になることは勿論であった。
2019年03月15日 10:13 by 千極斎
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