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日本の奇習・土着伝承

奇習の集積。

2019年02月15日 19:08  by 千極斎

コメント一覧 57件中、51~57件表示

  • [リンク:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0%E3%81%97%E5%BF% B5%E4%BB%8F]隠し念仏[/リンク](かくしねんぶつ)は、種々の秘密主義をもつ念仏信仰・民間信仰を意味する呼称で ある。そのなかでも、浄土真宗系で呪術的な隠し念仏がよく知られており、浄土真宗では異端であることを意味する異安心とされるが 、真言念仏の系譜も承けている。信者は、御内法、御内証などと呼び、浄土真宗からは秘事法門、邪義などと呼ばれる。信者同士では 在家仏教、内信心とも呼ぶ。

    ■儀式
    ◇オトリアゲ
    信心決定の儀式はオトリアゲと呼ばれる。 善知識に会い、「助けたまえ」と頼む儀式が行われる。ある文献では同時に、頭を打ち 付ける。これを善知識が「よし(または「助けた」、「お助け」など)」というまで行う。鏡で儀式の終わった後、鏡でピカピカさせ て光明として拝ませることもある。信者は内容を部外者には語ってはならない、言えば血を吐いて死ぬと脅すことも行われる。

    ◇オトモヅケ
    生まれてまもなくの赤子に信心を与えることはオトモヅケと呼ばれる。その後、6~7歳になったときオトリアゲを行う。
    暴露本:教信会[リンク:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/822381/12]『邪 義秘事法門』[/リンク]1903年
    関連があると思われる団体:[リンク:https://www.syakaji.jp/date/2012/05]萬徳院釈迦 寺[/リンク](船橋市)

    2019年02月22日 10:03 by 千極斎

  • 舵子
    山口県情島
    昭和20年代に島民が戦災孤児や年季奉公の少年たちを集め、船の舵とりとして児童労働させていたことが脱走者の保護によって発 覚し、「舵子事件」と呼ばれ問題となった[2]。事件は1958年に「怒りの孤島」として映画化された。
    孤児を拾って朝4時から夜11時まで休日なし・食事もままならない劣悪な環境で働かせ、逃げようとすれば捕まって島民による壮 絶なリンチで殺害された、という。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E5%B3%B6_(%E5%B1%B1 %E5%8F%A3%E7%9C%8C)#%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96

    2019年02月21日 10:20 by 千極斎

  • おはぐろつけ
    陸前国(現:宮城県)
    婚約済みの娘の婚前交渉。
    「おはぐろつけ」と称する風習があった。これは結婚式の前日に、近所の若い男性を対象に「新婦が目星をつけていた青年に身を任 せ」るものだった。また、「青年が新婦を誘い出してもよく、また新婦の家に忍び込むのも差し支えなく、家族もこれを公然と認許( にんきょ)」し、「新郎もまた黙諾(もくだく)」していた)。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E5%A4%9C%E6%A8%A9#% E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%BB%A5%E5%89%8D
    リンクにある東北の日本海側にある初夜権もなかなか。
    花嫁が「自分の親族中の未婚の青年と通じてから華燭の式(かしょくのしき、結婚式)を挙げ、花婿はその後において専占」できる 風習があった。

    2019年02月20日 14:27 by 千極斎

  • おじろく・おばさ
    長野県旧神原村
    長男以外の兄弟姉妹は全て一生長男の奴隷。貧しい村で食い扶持を増やさないことが目的とされた。
    16世紀から17世紀にかけて始まったとされる。彼らは僅かな食事と寝床のみを与えられた。
    彼らを使用する家は幼少期から長男以外を世間との繋がりを強制的に絶たせ、長男に言われたことのみをする無感情なロボットにな るよう仕向けた。
    彼らは20代になるまで正常な人格であったがおじろく、おばさとして奴隷化が進むと共に精神疾患を患っている。
    明治5年には190人、昭和40年代でも3人いたという記録がある。
    映画にもなった「楢山節考」には、この風習も描かれている。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%8E%9F%E6%9D%91_( %E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8C)#%E6%AD%B4%E5%8F%B2

    2019年02月19日 10:42 by 千極斎

  • 海難法師(かいなんほうし)とは、伊豆七島に伝わる幽霊の一種。地元では“かんなんぼうし”と呼ばれる。水難事故で死亡した者の 霊とされる。盥にのって沖からやって来て、その姿を見たものは同様の死に様を晒すと言われている。

    ■起源
    海難法師の事の起こりは江戸時代、寛永5年のことである。豊島忠松(とよしまただまつ、豊島作十郎。)という悪代官(八丈島代 官)が島民たちを苦しめて、憎まれていたという。そこで島の人々は忠松を殺すために、わざと海が荒れる日を選んで島巡りをするよ うに勧めたのである。まんまと罠にはまった忠松は、言われた通りに海に出て波に呑まれて死んでしまった。それ以来、毎年旧暦の1 月24日になると、島民たちに騙されたことを怨む忠松の霊が、海難法師となって島々を巡るのだという。

    別伝では代官を殺そうとしたまでは同じだが、村の若者25人が暴風雨の夜にそれを決行し、船で逃亡した。しかし、かくまってく れる島や村はなく、さまよった挙句、1月24日に海難事故で全員が死亡した。村人に裏切られ、この世に恨みを残して死んだ怨霊が 島々を巡るという顛末になっている。

    この25人の霊は日忌様(ひいみさま)と呼ばれ、伝承の発祥地とされる伊豆大島の泉津地区にはこの日忌様の祠が祀られている。

    ■風習
    ある者がこの伝承を小馬鹿にし、戸締りをせずに外出したところ、なぜか顔中血まみれになって帰ってきたという。また同様にこの 迷信を信じない者が、家の戸に差したトベラを捨てて戸を開けたところ、なぜかその者は口がきけなくなり、精神病院に入院してしま ったといわれる。

    また伊豆大島の泉津地区では、門井という旧家が海難法師の25人の霊を迎え入れる役目を持ち、その役を受け 継いだ者は1月24日にただ1人浜辺に座り、波風に夜通し晒されつつ、霊たちの帰りを待ち続けるという。

    ダラケ 2018年08月09日 心霊映像ディレクターダラケ 25:07~
    式根島の伝承として紹介している。

    [リンク:http://kowai-story.net/archives/10198]ID:NZNHKwqA0[/リン ク]
    普段付き合いのいい同僚が、何故か海へ行くのだけは頑として断る。

    2019年02月18日 11:58 by 千極斎

  • 乃木坂って、どこ? あまちゃんに続け!地元愛を語りつくす! 2013年8月25日
    くんち料理 10:25~「他人の家で御馳走食べ放題
    https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=4Dsg-5a ZC1g
    長崎くんち(鎮西大社諏訪神社例大祭)に於いて、個人宅に訪問客がお邪魔して料理をふるまう。
    親戚や近所の人が来るのが普通だが、見た目が日本人だけど日本語が一切通じない人など、知らない人が来ることもあるらしい。
    https://nagasaki.keizai.biz/headline/653/
    佐賀県の唐津くんちでも、同じく くんち料理が存在する。
    http://opi-rina.chunichi.co.jp/naomi/2016/12/09/027313.html

    2019年02月17日 09:39 by 千極斎

  • ダラケ!2018年7月12日 44:50~

    新宿2丁目がハッテン場になったのは、江戸時代に死後寺に投げ入れられた飯盛女の怨念が降り積もって、「男性を相手する女性と いう形態の風俗」が流行らなかったため、という。
    現在でも、普通の性風俗が2丁目に入っても必ず撤退するらしい。

    2019年02月16日 09:52 by 千極斎

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